きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

    kumogakure.jpg    
 
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.6.29(火)

 いつもは18時頃には仕事を終るようにしているのですが、今日はなぜか19時まで掛ってしまいました。あれっ? と気付いたらいつの間にか19時になっていました。それだけのことです(^^; まあ、そんな感じで仕事に熱中しているとこともたまにはある、と言いたいだけでした(^^;;;



  奥野祐子氏詩集スペクトル
    spectrum.JPG    
 
 
 
 
2004.6.30
東京都千代田区
西田書店刊
2200円+税
 

    てんとうむし

   草が
   なんてにおうのだろう
   草が
   くもった空の重さ
   空が落ちてくるような
   真昼
   小さな小さなおまえを連れて
   草むらに立つ
   手を引いてやろうと差し出した
   私の手を はらいのけて
   おまえは
   おぼつかない足どりで
   ずんずん歩いてゆく
   ふっとかがんで握りしめた
   おまえの小さな手の中には
   もっと小さなてんとうむし
   「きれいだね」
   わたしがささやくと
   おまえはフシギそうに
   鮮やかな羽を見つめている
   と、
   おもむろに手を伸ばし
   ためらいもなく
   てんとうむしの羽を
   いちまい
   いちまい
   むしりとっては捨ててゆく
   小さな桜色の手が
   容赦なく
   てんとうむしの
   羽を裂き
   足を裂き
   きょとんとした顔で
   おまえはついに
   むしの小さなカラダまで
   ぎゅっ
   と、握りつぶして
   捨ててしまう
   みどりの体液にまみれた
   小さな小さな手
   今
   世界はまるごと
   おまえのものだ
   たとえ
   一瞬のうちに
   この世界が崩れ落ちてしまおうと
   おまえだけは
   がれきの中に
   きょとんとした顔で
   きっと立っている
   この世を創った神さまは多分
   おまえそっくりな顔をしてるにちがいない

 「小さな小さなおまえ」が「てんとうむしの羽を/いちまい/いちまい/むしりとっては捨ててゆ」き、「容赦なく/てんとうむしの/羽を裂き/足を裂」いた、という作品ですが、ここには著者の本質的なものが含まれていると思います。まず、偽善者ぶって「おまえ」の行動を止めないこと。そして「この世を創った神さまは多分/おまえそっくりな顔をしてるにちがいない」と神≠フ本質を見ていることが挙げられます。この姿勢は詩人としては大事で、実は自然科学者としても大事な視点だと思っています。現象をきちんと見て、その現象を引き起こしているものを考えるという点で…。

 奥野さんのライブに行ったときに思ったのですが、叫びのような歌い方の中で、実は極めて冷静な思考を感じました。どんなものでもきちんと見る、その結果として「みどりの体液にまみれた/小さな小さな手」があったとしても、それはそれで是とする、という冷静さです。ですから、この詩集は善良≠ネ人から見ればずいぶんと汚いこと、ひどいことが書かれていると感じるでしょう。しかし、それを越えたところにしか真実は存在しないのだと思います。きらびやかな「スペクトル」の収束している先は、実はそんなものだと厳しく見ている詩集だと思いました。



  詩とエッセイ誌『樹音』47号
    jyune 47.JPG    
 
 
 
 
2004.6.1
奈良県奈良市
樹音詩社・森ちふく氏 発行
400円
 

    影    撫子

   大きな木の陰は
   夏は涼しく
   冬は冷たい風をさえぎる

   彼の影は大きく
   親 兄弟 子供も
   すっぽり包みこむ

   彼女はその影でゆったり過ごした

   大きな木は倒れ
   影はなくなった
   彼女は小さな影でも作らねばと
   おいしいおにぎりを作ったり
   昔の話を聞かせたり
   一生懸命だ

   ささやかな影だけど
   子も孫もつどう

 特集「かげ」の冒頭の作品です。「大きな木の陰」が無くなったあとの「小さな影」の重みが伝わってきます。「子も孫もつどう」という「彼女」の「ささやかな影」は、日本の母親の象徴として好ましく拝読しました。「かげ」と謂うと、どうしても暗いイメージが付いてしまいますが、それを逆に採った手法はあざやかだと思います。年輪を重ねたと思われる詩人の、心底の強さを感じた作品です。




   back(6月の部屋へ戻る)

   
home