きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.7(水)

 念願だった実験室の工事が始まりました。工事と云っても簡単なものですが環境負荷を考えると効果は大きいと自負しています。私の管理する実験室には超純水製造設備があります。その排水は工場の総合廃水経路に導入されています。総合廃水経路は化学薬品を含んだ廃水を想定していて、多額の費用をかけて処理し、最終的には一般河川に流されます。
 ところが超純水製造設備から排出される水は99.9%以上がきれいな水で、一般河川の水質より100倍も1000倍もきれいなのです。確かに0.1%は化学薬品に汚染された水で出ますけど、その時だけ総合廃水経路を使えばいいわけで、無駄な処理を総合廃水経路に強いていることになります。通常は雨水やエアコンの水のように一般河川に流せば、処理を低減できるわけです。神奈川県との約束でも年々、大気汚染物質や化学薬品の処理を減らしていきましょうということになっていて、その面からも減らす必要性がありました。総合廃水経路を使用する工場の廃水の中で、私の設備から出る水は1%にも満たない微々たるものですが、かつて環境問題の評論を書いたことがある身としては放っておけるわけがありません。で、予算を申請して認められ、今日の工事となった次第です。

 費用対効果を考えると、まったくペイしない工事ですが、要は姿勢の問題だと思っています。環境負荷低減では、神奈川県からも先進的な役割を期待されている弊社は、そういう面には寛大でどんどんお金を使っています。そこに私も信頼を置いていますけど、最終的には現場の社員の判断ですからね、間違いは許されません。経路の切り替えミスで間違っても汚れた水を一般河川に流さないような指導をしていきます。



  福田美鈴氏著『わが心の井上靖 いつまでも「星と祭」
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2004.6.26
静岡県長泉町
井上靖文学館発行
1200円
 

    無題    井上 靖

   妥協をけとばせ。
   装飾をはぎとれ。
   ペンは俺等のツルバシだ。
   金が出るか、石ころが出るか、
   先づ自己の大地を掘下げてみることだ。
   だん悌子を降りてゆく
   あの鉱夫の命かけの心持ちで、
   俺等は確りとペンを握らねばならない。
   短い人生だ。
   五年かかるか、十年かかるか
   或は又、一生かかるか
   それでも足りなかったら
   ツルバシを鉱脈に打込んだまま

        (『高崎新報』昭和四年八月七日号)

 1991年1月に井上靖が亡くなっていますが、その7年前から詩誌『焔』を中心に続いた著者との交流を綴ったものです。詩誌『焔』を始め井上靖関連の雑誌・研究誌等に寄稿した散文をまとめていますが交流≠ネどというものではなく、タイトル通り「わが心の井上靖」であることが文章の端々からも感じ取れました。著者は民衆派詩人として詩史に名を遺す故・福田正夫の娘さんで、井上靖は若い頃に福田正夫の世話になったという関係があり、著者に力を貸してきたようです。初期の作品あり、詩壇の交流ありと井上靖研究には欠かせない1冊と云えましょう。

 紹介した詩は10数年前に発見されたもののようで、井上靖がまだ20代の学生の頃の作品です。井上靖が生涯持ち続けた社会正義の思想の発端が見える貴重な作品だと思います。なお「ツルバシ」「命かけ」は原文のママであることをお断りしておきます。



  季刊・詩とエッセイ誌『焔』68号
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2004.6.30
横浜市西区
福田正夫詩の会 発行
1000円
 

    美酒への想念    山崎豊彦

    新年や父の日や私の誕生日に
    倅が持参したり送ったりしてくれる銘酒

    西郊の町で知り合った酒屋のおやぢさんが
    味を分ってくれる人にだけ売りたい、とのことで
    いつも丁寧に新聞紙にくるんである一升瓶二本
    それには特徴のある字で 八海山 〆張鶴 と書い
   てある

    苦労した杜氏の味を少しでも保つため 光にあてま
   いとの
    おやぢさんの心遣ひが伝はつてくる

        ○

    けふも瓶の新聞紙をほどいてゐたら
    「人減らし競争の様相」といふ見出しが目についた
    企業などが生残りをかけるために
    まづ減らすのが人件費――つまり人――なのか

    中学教師の倅も
    「ゆとり教育」でかへって忙しさが増したと
    学力だけの受験競争などを批判しながら
    その渦中に巻きこまれてゐる

        ○

    造る人 味はふ人のために
    その心を思ひやり 気を配るおやぢさん

    他方で競争に勝つために
    従業員をむちうつ経営者
    つとめに疲れ 他人やまはりのことを思ふゆとりも
    わが子の躾さへままならなくなった人々

        ○

    どこが いつから をかしくなつてしまつたのか
    こんな世の中にするために
    身を粉にして働いてきたはずではないのに
    とはいふものの やはり自分らにも一半の責任はあ
   るのだ

        ○

    胃に入り なかからからだを温める酒
    その味を包み守つてきながら捨てられる新聞紙

    将来の人つくりのために 教へ子の気持に寄り添ひ
    懸命の努力を続ける途中で
    過労から殉職した広島・尾道の中学教師は
    まだ五十代の 住い詩を創る人でもあつた

    おやぢさんの思ひ 詩友の心 倅の健康
    さらに世の有様などに想念をめぐらし

    今宵飲む美酒はいつもよりほろ苦い (04・2・28)

 「どこが いつから をかしくなつてしまつたのか/こんな世の中にするために/身を粉にして働いてきたはずではないのに」という思いに共感します。科学の発展のため、世の中の進歩のため、強いては日本人の豊かさのため、と思って働いてきたはずなんですけどね。その反動として何が来るかを考えられなかった私たちが、結局は浅はかだったと云うしかないのかもしれません。ですから「やはり自分らにも一半の責任はあ/るのだ」という思いは持ち続けなければならないものでしょう。

 「八海山 〆張鶴」は私も大好きでよく呑みますけど、でも「今宵飲む美酒はいつもよりほろ苦い」という思いは時として忘れています。真剣に「一半の責任」を考えていない証左だろうと思います。しきりに反省させられた作品です。



  詩誌『二行詩』2号
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2004.7.7
埼玉県所沢市
二行詩の会・伊藤雄一郎氏 発行
非売品
 

    影の日々    伊藤雄一郎

       帰 館
   影たちが一日の仕事を終えて塒に帰って来る
   ものに陰影をつけ 人間たちにそれぞれ存在証明を発行して

       隠 匿
   影たちが重なりあって闇をつくる
   夜の王国へ逃げ込んだ亡者はたちまち行方不明

       事 件
   身包み剥がされた影は一瞬 白い閃光を放ち消滅する
   あとには金色のボタンが一つ残されただけである

       出 勤
   朝が来ると再び出番がやって来る
   あなたにボディガードのように寄り添ってどこまでも

       正 午
   すべての物体の下に折り畳まれる
   ひととき お前という存在が消える

 どうしても4行や5行になってしまう詩というのは時たま出来てしまうのですが、改めて「二行詩」を、と考えると難しいですね。イメージをいかに凝縮するか、しかしその結果としていかに広がりを持たせるか、そんなところが難しいのだろうと思います。
 そこへいくと紹介した作品は巧いものだなと思います。「影たちが」「人間たちにそれぞれ存在証明を発行して」「塒に帰って来る」。「影たちが重なりあって闇をつくる」。「身包み剥がされた影」。「あなたにボディガードのように寄り添って」。「すべての物体の下に折り畳まれる」。などなど…。「影」というものの本質を見て、その上で創造していることがよく判りますね。そのくらい良く見て、言葉を選び抜いていかないと創れないものだと思います。勉強になりました。




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