きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.8(木)

 契約社員が満期を迎えて退職することになりました。職場懇親会の幹事長としての私は当然、送別会をやろう!と呼びかけて実行しました。職場の9割近い人が出席してくれて盛会でしたね。退職することになったのはまだ30代の若いお母さんで、仕事も一所懸命にやってくれて、肝っ玉かあさんのような母親ぶりも好感を持たれていましたから、こんな高出席率になったんだろうと思います。予定の2時間を越えて2時間半、それでも呑み足りない何人かは(私も入ってます(^^; )、主役がいないけど二次会にも行くという積極性。うちの職場も変りつつあるなぁ。

    040708.JPG

 写真は主役と幹事連中。早く次の職場が見つかるといいね。弊社の正社員募集があるので、それにも応募するようですから、事によったらまた会えるかもしれないけど、それまで元気でいてください。短い間でしたけどありがとうございました。



  季刊・詩と批評誌『キジムナー通信』22号
    kijimuna tsushin 22.JPG    
 
 
 
 
2004.6.30
沖縄県那覇市
孤松庵・宮城松隆氏 発行
90円
 

    終わりのある風景    詩鳥 神那(那覇市 十七歳)

   あるのはただ
   少しくすんだ机と椅子

   朱の入った光線が深緑に跳ね返って
   部屋にはっきりと明暗が表した

   傾いていた掲示物も
   声も音も あの 顔もすべて
   はがされていた

   少し部屋の影が伸びた気がする

   黒板は最後の文字を綴って
 
   教室には 少しくすんだ机と椅子と そして
   僕の影があり
   もうすぐそれの境目が消えていくのを
   そっぽを向いてみないことにした

 最近「おきなわの新人」という投稿作品を受付けるコーナーが出来たようで、「学生部門」に佳い作品がありましたので紹介します。作品も好いのですが、批評もまた素晴らしい。次のように書かれていました。

    * 寸感 *   作者は那覇市在住の高校生とのこと。まずは、不特定
   多数の他者の目に自作をさらす一歩を踏み出してくれたことに、敬意を表し
   たい。学び舎での生活は一年一年に出会いがあって新鮮なものだが、同時に
   そこには別れもある。級友と打ち解け、楽しさを実感するあたりで進級、卒
   業を迎えるものだ。作品にはその寂しさ、ほのかな悲しみが描かれている。
   こういった題材を描く上で重要なのは、感傷を抑制し冷静に描かなければ他
   者の共感を得がたいというところ。その点この作は「朱の入った光線」や「新
   緑」という言葉で季節や時間が表されており、「あの顔」が掲示物と同じよう
   に「はがされている」と表している点や、薄くなっていく「僕の影」から目
   を背ける点にも作者の後ろ髪を引かれる心情が託されていて、ダイレクトな
   表現を避けてなおかつ実感から遠ざからないバランス感覚が現れていると思
   う。今回学生部門の投稿作はこの一篇のみだが、自己の身辺を真摯に見詰め
   た佳い作品に巡り合え、光栄に思う。  (宮城隆尋)

 これ以上付け加えることは蛇足ですが、一言、二言。私も高校生の頃から詩作らしきものを始めましたけど、これほどのものは書けませんでしたね。宮城隆尋さんも評していますが「そっぽを向いてみないことにした」という詩句は、これはなかなか書けない。作品の抑え方も判っているようです。部外者が言うのも変ですが、どんどん投稿してもらいたいものです。将来が楽しみです。



  詩誌『EKE』25号
    eke 25.JPG    
 
 
 
 
2004.6.30
沖縄県那覇市
EKEの会・中里友豪氏 発行
500円
 

    昆虫の書    高橋渉二

   バナナゲリー

   おれはベトナムの蝶
   バナナゲリー
   おれは見ていた
   弾丸の集中豪雨 忌わしい雨足
   ガーイン ガーイン ガーイン
   無縁であった人間と人間とが
   初対面でつくってしまう
   黒焦げの死の姿焼

   ガーイン ガーイン
   進軍する目は鼻になり
   鼻さきから銃剣になっても
   敵が見えない
   誰が敵なのかわからない
   めん玉が停電してしまって
   人間はよつ足であるく泥
   または爬行する塵へと急激に退化する

   夜と蛭 神出鬼没のガジャンガジャン
   そしてノドを占める常闇の痰のガム
   そうして命というはかないより糸が
   密林の木の罠にからんで切れていた
   その毛ぶかい密林の緑の糞となる
   迷彩服だなんて不服にみえる
   みえみえなんだよ森の神様の目には
   停電しない大いなる力があるという

   あらたに発電する星々とは無縁に
   星条旗の、あの星 みんな黒星

   <一九六六 米つきジョンソン狐つき>
   <一九六七 べ平連のデモ隊にショージ>
   <一九六八 キング牧師暗殺>
   <涙が血の点滴となる切なる祈り>

   おれはベトナム生まれの蝶
   バナナゲリー
   ベトナム戦のとき
   米軍の輸送機の荷物のなかに
   うっかりまぎれこんでしまった
   そしてせっせと蟻たちが貯金をする国
   夜道のすきなゴキブリたちの国
   ジャパンの南の島にはこばれてしまった

   そうして基地の島の危機の緑に棲んだ
   亡命の蝶々とかよばれて蝶迷惑だが
   どうせ あの祖国には帰れない
   とおいとおい故郷には帰れない

   包囲された涙がまっ赤な血となる目で
   おれは見ていた
   蝶のまねをしてあそぶ人間たちを
   鳥のまねをしてとんでゆく人間たちを
   そして渋滞する嘉手納
(カデナ)の空

   いったいなにが
   変ったというのか

                     ※ガーイン(おごり高ぶる・気勢ををあげる。)
                      
ガジャン(蚊)

 「バナナゲリー」という「ベトナム生まれの蝶」が実際にいるのかどうか知らないのですが、そう言われてみると1970年代にそんな話を聞いたことがあったような気がします。作者は私と同年代の人かもしれませんね。「一九六六」〜「一九六八」に書かれている内容は記憶しています。
 実は、その記憶している£度のことに作者は警鐘を鳴らしているのではないかと思います。最終連の「いったいなにが/変ったというのか」というフレーズにそれを感じます。「せっせと蟻たちが貯金をする国/夜道のすきなゴキブリたちの国」にしてしまったのは私たちなのではないか、という告発を感じてしまいます。1970年代を知る身として考えさせられる作品です。



  詩誌『花』30号
    hana 30.JPG    
 
 
 
創刊10周年記念アンソロジー
2004.7.20
埼玉県八潮市
花社・呉 美代氏 発行
700円
 

    おいしい男に    呉 美代

   粕漬けの魚の切り身を
   火に焙る
   酒の香気が立ちのぼり
   ほどよく焼けた魚の切り身を
   舌にのせると
   なま臭みが消え
   切り口に酒の味がなじんで
   いうにいわれぬほど美味しい
   日々を酒粕のふところに抱かれ
   寄り添われていた魚
   しぼられるだけしぼられ
   カスなどと呼ばれながら
   なお魚に尽くし
   魚の持ち味をいっそう深くした
   寄り添う人を仕上げた女房のような
   酒粕よ

   わたしもこんど生まれ変わったら
   「苦労」という酒に
   しぼられるだけしぼられよう
   そんなわたしのふところで
   海から上がったばかりの
   ぴちぴちした魚のような男を
   じっくり育てたい
   そして
   深海の藍より深いわたしの海へ放ち
   前世で出会ったあの人に優るとも劣らない
   とびきりおいしい男に仕上げてみたい
                  (第十七号)

 今号は創刊10周年記念のアンソロジーです。ご出版おめでとうございます。45名の同人のうち42名が過去に『花』に発表したなかから4〜5篇を選んで載せていました。ご存知の方も多いと思いますけど、『花』は、故・土橋治重さんが主宰した『風』が季刊で30年余りつづいた後、遺言に従い129号で終刊となり、1994年に『風』の同人が集まって創刊したものです。
 紹介した詩は『花』になってからの発行者・呉さんの作品で、2000年1月発行の第17号のものです。「酒」「酒粕」「魚」の喩がおもしろいと思いましたし、「とびきりおいしい男に仕上げてみたい」とは云いながら、結局は「前世で出会ったあの人」である土橋さんを偲んでいる姿も見えて、感慨深いものがありました。
 詩誌『花』のますますのご発展をお祈りしています。




   back(7月の部屋へ戻る)

   
home