きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.12(月)

 午後から東京本社の営業担当者の訪問を受けることになっていたのですが、その前に来てもらって別の打合せをすることにしました。彼の担当分野で私がやらなければいけない仕事があるのですが、ちょっと滞っています。打開策を相談したかったのです。メンツから云えば、そんなことは相談するまでもなく私のやりたいようにやればいいのですけど、メンツなんてものは捨ててかかっています。個人や職位のメンツを立てるとロクなことがありません。それよりも知恵を集めて、結果として成功させる方が大事だと思っています。
 結論としては打開策も見出され、良かったと思います。本来の会議も無事に終了。精神的にもすっきりとした一日でした。



  詩誌ひょうたん23号
    hyoutan 23.JPG    
 
 
 
 
2004.4.20
東京都板橋区
ひょうたん倶楽部・相沢育男氏 発行
400円
 

    水たまり    阿蘇 豊

   朝の河川敷にできた
   大きな水たまり
   高架道から見下ろすと
   左足が少しねじれたあおむけのヒトの形

   おはようございます
   痛むのどを気づかう
   チョークの粉を吸う
   他人を○と×で評価する
   鼻をかむとひりひりする
   脚立に上り蛍光灯を取り替える
   冗談を言って自分で笑う
   パソコンをしながらウトウト
   話しかけて無視される
   インスタントコーヒーを5杯
   同僚の失敗をからかう
   蚊にひたいを刺される
   お先に失礼します

   帰りの高架道
   水たまりは少し乾いて
   首はかろうじてつながっているが
   右足のももあたりから切れて
   朝の河川敷を知らなければ
   ヒトに見えない

   橋を渡れば
   もう忘れる
   おれは明日のある
   ヒトだ

 「おれ」は「左足が少しねじれたあおむけのヒトの形」をした「水たまり」ではなくて「明日のある/ヒトだ」というメッセージが印象深い作品だと思います。そう強調するけれど、日頃は「冗談を言って自分で笑」ったり「話しかけて無視され」たり「同僚の失敗をからか」ったりしている、謂わば平凡な教師。そのギャップがこの作品を成り立たせていると思います。「橋を渡れば/もう忘れる」ことはいっぱいあるけど、やっぱり「ヒトの形」をしたものへは目が行ってしまうんですね。作者の視線と日常が見える作品で、好感を持ちました。



  詩・仲間誌ZERO9号
    zero 9.JPG    
 
 
 
 
2004.6.25
北海道千歳市
「ZERO」の会・綾部清隆氏 発行
非売品
 

    在り続けること    綾部清隆

   季節の終末 乱反射したひかりは
   若葉に突き刺さっていく

   帰っておいで

   川のせせらぎはあやうさを保ち 刻はしなや
   かな微光をふりまき 流れている
   おまえの好きだったかたくりの花が 夢の中
   ではじけた

   影を半分なくしたからといって 責めること
   はない あなたがあなたであることに かわ
   りはないのだから

   噴水が噴きあがった
   その辺りにひかりの朝をまき散らして
   ひとりの日焼けした少年が 道草を喰い
   もうひとりの青ざめた少年は 忘れ物を取り
   に走っている

   こんな朝は歩いてきた時間だけ戻れそうな
   そんな気がしないか それほどやさしいひと
   とき

   だからあなたも風のように帰っておいで ま
   だあなたのにおいが残っている いつもの居
   場所 木の椅子に
   そしてまったく影をなくしても あなたはあ
   なたで在り続けられるのだから

   さあ 流れに身をまかせて
   風のように五月の陽だまりへ

   ほら 少年はひかりに溶ける
   祈りたくなる朝何かが起こりそうな気がしないか

 作品と実生活は本来関係がありませんけど、この作品は作者が最近奥様を亡くされたことを念頭に置くと鑑賞の手引きになると思います。「影を半分なくし」、「そしてまったく影をなくして」いく「あなた」への呼びかけが胸を打つ作品です。
 第6連の「こんな朝は歩いてきた時間だけ戻れそうな/そんな気がしないか」というフレーズも見事だと思います。もちろん奥様に対する言葉ですが独立した詩句としても通用するものです。ひとつの高い次元に至った作品と感じました。




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