きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.14(水)

 今日で日本詩人クラブのHPを開設して5周年になります。1999年当時の7月の理事会で認められて、すぐに開設したのがたまたまパリ祭のこの日になったと記憶しています。
 しかしそれにしても来訪者が少ないなと思います。5年間の開設で来訪回数は17,000件弱。年間3,400件、一日あたりは9件ほどになりますが、私が一日1、2度は行きますから実質7、8件というところでしょうか。公式HPという性格上、決まりきったことしか書かれていませんから当然なのかもしれません。むしろ、そんなHPでも逆に7、8件の訪問があるのかと驚くべきことなのかもしれませんね。

 しかし考えようによっては日本の詩壇を代表する組織にHPがあるというのは悦ばしいこと思います。インターネットが全てとは思いませんが、そんな道具をちゃんと日本詩人クラブは持っているというところに自負があります。私がいつまでこの役割を続けられるか判りませんけど、もう解任するよと言われるまでは続けるつもりでいます。拙HPともども、今後ともよろしくお願いいたします。



  江口あけみ氏詩集『風の匂い』
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子ども 詩のポケット6
2004.6.20
川崎市麻生区
鰍トらいんく 発行
1200円+税
 

    いのち

   なにかが おわるときがすき
   なにかが はじまるときだから

   なにかが はじまるときがすき
   なにかが めばえるときだから

   なにかが めばえるときがすき
   いのちが もえだすときだから

 子供向けの詩集ですが、大人が読んでもかなり難しい内容を含んでいます。紹介した作品もその一例で、一般に輪廻≠ニ表現される思考の具体化と云えるでしょう。
 しかし、意外と子供にも伝わるものかな、とも思います。大人はそんな見方でしか子供を見られないものですが、子供の持つ能力は高いとも云われていますからね。そういう意味では大人と子供を区別する必要のない詩集と云えましょう。普段使う脳とはと違う部分を刺激された詩集です。



  詩誌『孔雀船』64号
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2004.7.10
東京都国分寺市
孔雀船詩社・望月苑巳氏 発行
700円
 

    押し売り屋    間瀬義春

   問答無用だ、玄関戸を開く、押し売り産が土間に立った。わたしの空気
   が重くなる。彼は町の秩序が病気する、時間という名前の無頼者だ、油
   断を狙うカビに似る。彼は垂直に腰を土間に植えて、鞄から未来箱とい
   う品物をちらつかせて、口上風を噴火させる。その音色はわたしの顔を
   洗濯しながら、動かない。それは強い引力を旨とする商法だ。わたしの
   言葉は迷路の困惑を抱き、不買の激怒へ変身した。しかし彼の精神は石
   である。ゆれない。むしろ勇敢な開拓者になり、新たな口上風を造る。
   それはとぎれなしの前進の哲学を背負い、あるときは猫なで声の波長で、
   地球の夜明けを不吉な運命へ暗示する、とみるや、今度は家を破壊する
   ほどの落雷音で、人間的な道徳や愛や涙の香りを死滅させつつ、わたし
   の購買力へ火を放つ。その圧力はそろばんでは弾けない数字だ。まさに
   宇宙の無限な恐怖が渦巻き、わたしの思考が炭になる。それでわたしの
   精神はとうとう白旗を掲げた。これが彼の落とし穴だ、狙いはまるく家
   に収まった。彼はなにごともなかった青空顔で、未来箱というあいまい
   ないかがわしき品物を置いて去っていった。ところで未来箱の中身はど
   んな色か。わたしは胸をジンマシンに染めて、未来箱のふたをあけた。
   時計の音がする、どかん、と冬風が飛び散った。地球が急に寒い時代に
   なった。見ているまに空気がばちばちと凍てつき、わたしの肌に霜柱が
   咲き、眼が死魚のようにうるみ、脚が千鳥にたたらを踏みつつ老いてき
   た。遠くで寺の鐘がなっていた。

 今では珍しい「押し売り」を扱っていますが、駆け引きがおもしろいですね。「彼」の手を変え品を替えての「口上風」も説得力がありますし、それを迎え撃つ「わたし」の心理も見事に表現されていると思います。「未来箱」の具体性も納得させられます。最終の「遠くで寺の鐘がなっていた。」という詩句も象徴的で、作品の効果を高めていると思いました。



  個人誌『むくげ通信』22号
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2004.7.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

    卵屋さん    飯嶋武太郎

   ぼくが子供の頃
   卵も豆腐もパンも一個十円だった
   どこの家でも鶏を数羽飼っていたが
   卵は売るもので家族はなかなか食べられなかった

   あれから五十年が過ぎて
   パンは百円になったのに卵は今でも十円あまりで
   物価の優等生と言われている
   今ではスーパーの安売りの客引き商品となり
   一人年間三百個も食べる安い食品だが
   ぼくの職場ではさらに安い一個八円で売っている
   研究用の鶏が産む卵で
   毎日産卵する五割を業者がひきとり
   残りをぼくらが手分けして売りさばいている

   卵の色は自と赤が普通だがぼくらはさらに
   南米チリ原産のアローカナの青殻卵を加えた
   十個入り三色卵パックを九十円で売っている
   ところでこの四月からぼくは
   その卵を売りにゆく卵屋さんになった
   最初は技術屋がする仕事じゃないと思っていたが
   やらないわけにはいかなくなった

   「卵の販売に来ましたが如何でしょうか」
   「二パックください 三パックください」
   と声がかかると結構その気になって
   「この卵食べたら他の卵食べられない」
   と嬉しいことを言われれば産み立てですから
   新鮮ですからと答え
   今日も二〇〇〇個を完売し
   胸を張って逼迫する県財政を支えてきた

 作者の日常が判る作品で好感を持ちました。今は「技術屋がする仕事じゃない」と言える時代ではないんですね。「逼迫する県財政を支え」るために千葉県ではそこまでするのかと驚きました。しかし「嬉しいことを言われれば産み立てですから/新鮮ですからと答え/今日も二〇〇〇個を完売し/胸を張って」いることに暗さはなく、むしろ爽やかささえ感じます。作者のお人柄なのかもしれません。




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