きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.20(火)

 午前中は会社近くの業務委託会社まで外出して、午後は電子発注業務の研修会に出て、ほとんど席にいませんでした。席に戻ったらすぐに定時のチャイムが鳴ったんですけど、仕事はドッサリ。結局20時過ぎまで居残ってしまいました。この日記は7/20に書いていますけどアップするのはいつになるかなぁ。明日、明後日は九州に出張です。たぶん土曜日にならないとアップできないでしょうね。
 それにしても今月は出張が多かったですね。山形に始まって東京医科歯科大、そして九州と、北海道を除いた全国を走り回っている気がします。まあ、行く先々でおいしいお酒が呑めていますから不満はありません(^^;



  季刊文芸誌『南方手帖』77号
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2004.7.20
高知県吾川郡伊野町
南方荘・坂本 稔氏 発行
800円
 

    箱    平井広恵

   男は山へ行きました
   山で大きな木の洞を見つけて帰りました
   女は川へ行きました
   着ていた物を脱いで水浴びをして帰りました
   あくる日二人で山へ行き 洞の中で抱き合って眠りました
   無になるまで

   風が吹くと木洩れ日がきらきら二人に降り注ぎました
   この箱の中にその時の木洩れ日が入っています
   開けますか?

 現代の寓話と謂ってもいいのでしょうか、妙に惹かれる作品です。「男」と「女」が「無になるまで」「抱き合って眠」ったときに「きらきら二人に降り注」いでいた「木洩れ日が入ってい」る「箱」を、わざわざ「開けますか?」と聞く・聞かれるわけですから、表面的には青春の一頁≠フような喩を考えてもよいのかもしれません。しかし、どうもそれだけではないように感じられます。一般的にはそういう青春≠過ぎた現在、そう単純ではないぞ、と思います。「開けますか?」という疑問形にその鍵があるように思うのですが…。それと、この疑問形が発したものなのか、発せられたものと受け取るのか、その違いによっても「箱」の意味が変わってくるでしょう。明確な解釈≠ヘ出来ませんが魅了させられた作品です。



  詩と批評誌POETICA40号
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2004.6.30
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    その歌を止めるな    中島 登

   書物は引き裂かれた
   ふるえる指のまえで
   苦悩する指の関節のたにあいで
   あえなくもページは乱れ散った

   時代は燃えさかる炎とともにある
   頭脳の檜の林は倒され
   心の奥の杉の苗木も引き抜かれた
   鳥たちの羽毛はむしられて土に埋められる
   天にむかって叫ぶ声たちのこだま
   愛でさえ もう問いでしかなくなった
   結ばれるものさえすでに裁かれて横たわる

   流れる水よその歌を止めるな
   書物よ読まれることをためらうな
   ふるえる掌のなかで「言葉」よひそかに黙してあれ

 「時代」を敏感に感じ取っている作品のように思います。「書物は引き裂かれ」「頭脳の檜の林は倒され」「心の奥の杉の苗木も引き抜かれ」る時代。そこでは「愛でさえ もう問いでしかなくなっ」ており「結ばれるものさえすでに裁かれて横たわ」っている。詩人の鋭敏な感覚を感じます。
 しかし、そんな時代になったとしても「流れる水よその歌を止めるな」、「書物よ読まれることをためらうな」と呼びかけており、ここに救いを感じます。ただの絶望ではない、新しい時代の詩人の「言葉」を感じた作品です。



  個人詩誌Quake8号
    quake 8.JPG    
 
 
2004.7.15
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    水二題    奥野祐子

    U 完璧なプール

   やっときました
   みつけました
   ひとけのないプール
   かんぺきです
   みずは うごきません
   みずは にごりません
   そっと わたくしの
   かぼそいうでで
   うつくしい みずのおもてをかきわけると
   わたくしのつくったぶんだけの
   きれいな はもんが
   やさしく そっと ひろがって
   きえてゆきます
   なにもうごきません
   ぜったいの せいじゃく
   まっすぐな みなも
   ここでなら すぐに
   およげるように なりそうです
   およぎかたを
   おもいだすことが できそうです
   ひとけのないプール
   ああ なんて
   みずのなかってきもちいいんでしょう
   ここでなら
   とびこみのれんしゅうだって
   よろこんでするでしょう
   あ だれか
   にごったこえのおんなが
   わたくしのなまえをよんでいます
   さけんでいます
   おかあさまです
   「だめよ!だめよ!だめよ!
    ゆうこ!
    そのプールはからっぽよ!
    みずなんか いってきもはいってないのよ!」
   うそです
   そんなにおっしゃるのなら
   おかあさま
   あなたの すぐ めのまえで
   いますぐ このプールへ
   あたまから とびこんで さしあげます
   わたくしが もしも しんだら
   ただしいのは  あなたです
   そうれ
   いち!
     に!
       さん!
         ・・・・・・・・

 「水二題」と題してTには「渦」という作品が載せられており、こちらは恋人と川で泳いでいて渦が出来、逃れられなくなるというもの(これも寓意的でおもしろい)。
 紹介したUは「おかあさま」の位置づけに興味を覚えました。「にごったこえのおんな」としているところがミソだと思います。少女期の一時期に起きる母親への反発を底流に持っているように思います。「かんぺき」なもの、「うつくしい」もの、「ぜったい」なものを求める少女が「ただしい」ものに生死を賭ける、そんな女心を描いた作品と思いました。




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