きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.22(木)

 21〜22日、福岡県に出張していました。関連会社の定期監査を主目的にしていましたが、出来映えの良さに驚いています。昨年指摘された事項は完璧に対処されていて、さらにその延長線上で改善をしてくれていました。対応の素早さ、質の良さに敬服した次第ですが、それ以上に技術力の高さにも瞠目しましたね。こういう会社がパートナーとしていてくれるのは誠に心強い思いです。

 出張は往復とも新幹線にしたかったのですが、帰りは時間の余裕が無くて飛行機。でも、飛行機も快適でしたよ。

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 写真は、左が行きの「のぞみ」車中にて。愛用のサングラス・煙草に今回はピーナツがお伴です。右は帰りのANAのB777型機から。大分県の上空だと思います。西陽がきれいでした。揺れも乗客も少なくて久しぶりに快適な思いをした空の旅です。そうそう、この機は画面で高度を教えてくれましたので、羽田に着陸するときの高度を楽しみました。私がパラグライダーで到達した最高高度は約1,000m。窓の外を見ながら3,000mあたりから高度の感覚を思い出していましたが、自分の到達した高度というのは覚えているものですね。夜間でしたけど建物の大きさに覚えがあって、妙に感動しました。10,000mの高度なんて判んないけど1,000mなら判るゾ、と過去の栄光に酔ったフライトでした(^^;



  詩誌『飛揚』39号
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2004.7.7
東京都北区
葵生川玲氏 発行
500円
 

    羽化    みもとけいこ

   ハハが指から
   指輪を抜いて 私に
   くれるという

   ハハが着ていた服を脱いで
   私にくれるという

   ハハが
   思い出を
   受け取れとでもいうかのように
   何度も 何度も
   同じ話を繰り返す

   その重さに
   つまずきそうになる

   ハハはすべてを脱いで
   私に着せようとする

   ハハは次々脱いで
   軽くなる

   ハハはハハを脱いで
   透明になるという

   ハハが現世においていく
   ずぶ濡れの人形をした蛹は
   まだ羽化せず

   ハハの形をした見知らぬ人が
   青い空を見上げている

 「ハハ」から「私」への世代交代を表現していますがおもしろい視点だなと思います。世代交代をするということは「ハハ」にとっては「次々脱いで/軽くなる」ことなのだと改めて認識しましたね。それに反して「その重さに/つまずきそうになる」「私」。それは「ずぶ濡れの人形をした蛹」で「まだ羽化」できないでいる、このギャップが作品を成り立たせていると思います。
 最終連もいいですね。すでに「ハハの形をした見知らぬ人」と冷めた目で見ているところが作品に緊張感を与えていると思いました。



  斎藤 央氏詩集『秘色』
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2004.7.20
神奈川県小田原市
すもも舎刊
735円
 

    秘色

   水は 時として
   ひとのこころまで狂わせるのか
   幼い頃の記憶をたどると
   母が決して話題に触れることのない
   掘り抜き井戸のそばに出る
   母の胸に封印されたはずの
   秘められた時間が
   私のなかで
   ひそかな水音を立てて流れ出す

   神経を病んだ母は
   私を井戸端に立たせ
   衣類の汚れとともに
   日々の徒労を濯ぎながら
   濯いだ数を何度も数え直した

   静かに年老いた母の
   こころのなかにある
   明かりの灯らない薄闇に
   今も消え去ることのない鈍色の日々
   刻々と時は移っても
   水はあくまでも透明なはずなのだが
   外からは見えない
   濃色の容器のなかで
   あの日の忌まわしい影を沈めて
   秘色と呼ぶにふさわしい
   色調を保っている

 この詩集は「色に関する詩だけを集めた」と同封の挨拶状にありました。紹介した作品は詩集冒頭のタイトルポエムです。「秘色」(ひそく)とは「濃色の容器」から思い出しましたが青磁の色のことと記憶しています。「水」のイメージととても良くマッチした作品だと思います。「神経を病んだ母」が「濯いだ数を何度も数え直した」行為と「秘色」と関係にも納得できるものがあります。「濃色の容器」の「秘色と呼ぶにふさわしい/色調」をうまく使った作品と云えましょう。



  斎藤 央氏詩集『忘れ雪』
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2004.7.20
神奈川県小田原市
すもも舎刊
735円
 

    衝突

   新聞によれば
   二〇一四年に 小惑星が地球に衝突する可能性が高いという
   衝突を避けられるか杏かはわからないらしい

   地球は水の星
   満ちたり引いたりする潮のように
   そこに住むひとも また
   そのからだに
   凪いだり揺れたりする
   水を持っている

   その水を狂わせて
   気がつかずにいるひとがいる
   言葉が
   時としてやさしさを失い
   口論になる
   不安が
   そのひとの胸にあふれると
   月食のように
   表情が暗く翳る

   小惑星は
   宇宙のどこのあたりにあるのか
   速度はどの程度か

   避けられない衝突の危険をはらんで
   今も そのひとと向かい合っている

 最終連が見事な作品だと思います。「衝突」は「小惑星が地球に衝突する」ことも大変なことですけど「今も そのひとと向かい合っている」ことはもっと大変、そんな思いが伝わってきました。おもしろいのは「地球は水の星」であるから「そこに住むひとも また/そのからだに/凪いだり揺れたりする/水を持っている」という視点ですね。「その水」が「狂」うから「口論にな」ったり「表情が暗く翳」ったりするのだというのは、一面の真実を謂っているように思いました。



  斎藤 央氏詩集『冬の薔薇』
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2004.8.1
神奈川県小田原市
すもも舎刊
735円
 

    

    鯰を見ているのが好きだという男は 「中
   学生の頃に戻れるとしたら 何をしたいです
   か」という広報誌の問いに 迷わず「学校に
   行きたい」と答えた 快活に大声で笑う男の
   艶のよい顔には かつて不登校だった少年の
   面影はない

    男の胸にはどんな水音が去来しているのだ
   ろうか 耳を澄ましても聞こえない 遠い日
   の残響 狭い水槽の中に自分自身を閉じ込め
   た 繊細な少年の姿は 水底に沈んで見えな
   くなってしまったのか

    穏やかな優しい視線を投げかける男の見つ
   める先には 日の当たらない暗い池の隅っこ
   で 息を凝らし ただ時間が過ぎるのを待っ
   ているかのような 鯰に似た少年時代の自分
   の姿があるのだろうか 水に映った男の姿が
    一瞬魚影のように揺らめいて見えた

 「男」の人間像が巧く描けている作品だと思います。「男」についての直接の描写は「快活に大声で笑う男」「艶のよい顔」「穏やかな優しい視線を投げかける男」という明るい面の三つしかありませんが「かつて不登校だった少年」という詩句がよく効いていますね。この一言で「鯰」との関連もよく判り、イメージが広がりました。最終連の「一瞬魚影のように揺らめいて見えた」というフレーズも奏功していると思った作品です。




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