きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.23(金)

 昨夜は出張帰りで帰宅が0時近くになりました。ちょっと疲れ気味でしたから週末の呑み会はやめておこうかなと思ったのですが、結局行ってしまいました(^^; お気に入りの店でお気に入りの「獺祭」を2合呑んで、それだけのことでしたけど気は晴れましたね。今週の疲れはこれですっかり回復しています。酒さえ与えておけばしっかり働くヤツだなと我ながら思いますね。



  隔月刊詩誌RIVIERE75号
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2004.7.15
大阪府堺市
横田英子氏 発行
500円
 

    弥生の昔の物語(28)    永井ますみ

     発芽

   婆さまを葬った土まんじゅうに
   載せた印の右が僅かに落ちこむ
   もうそろそろ あっちの世界に行きなったか
   毎日手をあわせている

   月のものを見ないうちに
   二人目の子が腹に宿り
   お兄ちゃんになるあこが
   上手にお座りをしてお参りする
   まんまんちゃん

   ふっとみると
   土まんじゅうのへりからドングリの芽
   土の下からの便りかな
   婆さまの手に
   少しずつ持たせてあげた
   お米
   粟
   稗
   ドングリ

   日に日に大きくなるドングリの木と
   あこ
   これで世界が閉じても構わない
   と思う

 連載も28になりました。「婆さまを葬った土まんじゅうに/載せた印の右が僅かに落ちこむ」という最初のフレーズでハッとしました。遺体が縮小して土饅頭が凹むという具体性が「もうそろそろ あっちの世界に行きなったか」という言葉に昇華させる先人の知恵を思った次第です。「土まんじゅうのへりからドングリの芽」というのもいいですね。自然と一体になっていた「弥生の昔」を感じさせるフレーズです。「これで世界が閉じても構わない/思」ったのは、現代以上のものがあったのでしょう。「弥生の昔」を考えることで現代に照射させる、稀有の作品だと思います。



  個人誌『風都市』11号
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2004初夏
岡山県倉敷市
瀬崎 祐氏 発行
非売品
 

    祭礼広場にて    瀬崎 祐

     雨期の章

    放射状の街路が集まる地点で 祭礼広場はいくつかの建物に囲ま
   れている それぞれの建物では指令にしたがっての業務が行われて
   いるが、いわば その日常業務の欠落が 祭礼広場を形成している
   のだ 欠落であるが故に 広場は四方からの衆人の視線に曝される

    終わることのない雨期のただ中で 壁に寄りかかった貴女の湿っ
   た腹部をなぞる 何かを孕んだその腹部は柔らかな半球状に隆起し
   ている 壁面上に貴女がつくる陰影も また 微かな膨らみや破損
   した部分で作られており その形は ある種の獣たちを連想させる

    建物の出口を隠すように並んでいる鉄格子を 端から慎重に数え
   る 六番日の鉄格子の隙間からしたたり落ちる不透明な樹液のよう
   なもの 足元に次第に盛り上がってくるその形を見つめる ああ
   まるで 古代壁画の中の獣たちが 背後から忍び寄ってくるようだ

    その時はすでに遅く この一群の建物のさらに外側を囲む城壁の
   内側全体に 白濁した気流が渦巻く しかも その渦の方向は 正
   確に路地や倉庫の配置をなぞっている 建物の角ごとの詳細な案内
   図は 身体を左に傾けた貴女が 昨夜の間に貼付して回ったものだ

    低くたれ込めた黒雲を突き抜けて 通信棟からの指令が 再び届
   く 砂嵐によって雑音だらけとなった指令は いつの日も判読不能
   だ 絶え間なく繰り返される執政官の言動に耐える ああ それか
   ら 衆人の監視の中で 貴女の姿が物見塔の上に露わになってくる

 「祭礼広場にて」という総タイトルのもとに「雨期の章」「家畜たちの章」「密偵の章」の3章立てになっていて、それで完結だそうです。ここでは第1章にあたる「雨期の章」を紹介してみました。あとがきには瀬崎なりの反戦を主題とした作品である≠ニありますから、その言葉も鑑賞の助けになるでしょう。

 正直なところ反戦≠ワでは読み取れませんでしたが「いわば その日常業務の欠落が 祭礼広場を形成しているのだ」というフレーズに着目しました。単純に日常の欠落が祭礼≠ナあると読み換えてみました。祭礼が欠落部分を補う役割を持っているというのはおもしろい見方だと思います。しかし、ここはあくまでも広場であって、現に祭礼が行われているわけではありません。そこに注意が必要でしょう。「貴女」を私たちと置き換えてみて、現実をもう少し深く考えなければいけないのだと思った作品です。



  月刊詩誌『柵』212号
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2004.7.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    独酌独語    鈴木一成

     人生

   わかったようで
   わかりません
   わかりません

   はがゆいが
   わからない
   わからない

   くやしいが
   わからぬ
   わからぬ

   どうしても
   わからへん
   わからへん

   けっきょく
   わからんわ
   わからんわ

   やれやれ
   わからんまんま
   わからんまんま!

 「独酌独語」という総タイトルのもとに「人生」と「生きる」の2篇が載せられていて、ここでは「人生」を紹介してみました。「人生」なんて「わからん」ものですが、それを直接、堂々と書いているところにこの作品の魅力があると思います。普通はもう少しシンミリしたり、それこそ人生訓のような書き方になるのですが、これだけ真正面から書かれると潔さを感じますね。最終連も見事です。最期まで「わからんまんま!」なんだと改めて納得した作品です。



  総合文藝誌『金澤文學』20号
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2004.7.20
石川県金沢市
金沢文学会・千葉 龍氏 発行
1700円+税
 

    樹を思うとき    名古きよえ

   私たちは樹を 樹であることしか知らない
   樹はすべて 人というものを知っている
   昼は じっとしていられないことや
   心と行動と言葉と
   微妙に変わることなど

   樹は 動けないまま
   人間の行く手を見ている
   人間らしく生きようとする人間が
   近づいたり 離れたりするままに
   過去も記憶している

   樹は寂しいのか
   自分を生かした葉は 殆ど根元に落とし
   土になり 水を蓄え 根の養分にする
   太れば太るほど 細かい葉になり
   自分に優しくしている

   あらゆる樹は 気から離れることがないので
   人はいつの間にか爽やかに
   深呼吸をして
   肺の細胞を蘇らせ
   樹との違いを 静かに思う
   樹に言葉がないことなどを

   いつの日か人は
   樹を本当にわかるだろうか
   長い物語を聞く子どものように
   自分の人生の
   日々が創造であると 楽しめるだろうか
   樹のように 崇かく

 「樹」は私にとっても興味の対象なのですが「樹はすべて 人というものを知っている」という風には思いもしませんでした。しかし「昼は じっとしていられないことや/心と行動と言葉と/微妙に変わることなど」も「知っている」と書かれると、不思議に納得できるものがあります。それは恐らく「樹に言葉がないことなど」の、私たちと「樹との違いを 静かに思う」ことがあるからでしょう。「樹」の「長い物語」にも思いを馳せた作品です。




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