きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.7.26(月)

 仕事はそこそこ順調で、18時にはオシマイにして帰宅しました。昨日、今日と、その日にアップしています。宿題がないと謂いますか、野球で言えば借金が無いという状態ですね。いつまでこの状態が続くか分りませんが、年に何度もない状態ですからね、大事にしたいと思います。



  詩誌すてっぷ67号
    step 67.JPG    
 
 
 
 
2004.7.20
京都市左京区
すてっぷ詩話会・河野仁昭氏 発行
800円
 

    ぼくでごめんね    司 由衣

   「いい大学を出て
    いい会社に就職をして
    いいお嫁さんをもらって」
    …かあさん口癖に言うけどね

   ぼくのパンセは疾っくに娑婆を過ぎて
   限りなく広く自由だよ
   悪もなく 戦争もなく 老いも 病も 死も
   もはやない むろん備差値なんてのも
   でも
    …遠すぎて
   かあさんの目に届かないだろうね
   「強くならないと生きていけないのよ!」
    …かあさんぼくを叱るけどね
   強いって汚れにまみれて生きていく人?
   戦争って美しい瞳をして人を殺しにいくよ
   かあさん茶の間でコーヒー飲みながら戦争を見物してる
   こんな時代に生まれついて
   ぼくの心は
   傷つき
   えぐれて
   真っ青に血を流すんだ

   心の中で神様助けて! と叫ぶと
   神様の心と
   ぼくの心がリンクして
   言葉もいらない 気遣いもいらない 学歴も 肩書きも
   もはや必要ない 真っ青に血を流すことも
   でも
    …遠すぎて
   かあさんの耳に届かないだろうね

   かあさんったら今日もぼくを気遣って
   三色おむすび だの
   手作りのチョコレートパフェ
   でもね かあさん
    …食べ終わったら
   ぼくは再び ぼくの旅に出るね

 現代の子供の心境をうまく掴んでいるのではないかと思います。「かあさん」は一昔前の母親の設定かと思います。21世紀の母親の平均的なところは、実はよく知らないのですが…。母親との距離が「…遠すぎて」しまうのは、昔も今も同じなのかもしれませんけどね。
 「ぼく」の設定年齢が判りませんが、「パンセ」などという言葉が出てくるところをみると中学生かな?と思います。中学生でこのくらいしっかり自分を見ていると、いいですね。むしろしっかりしていないのは「かあさん」の方で、その意味ではまさに現代だなと思いますね。「ぼく」になりきって、うまくまとめた作品と云えましょう。タイトルの「ぼくでごめんね」、最終連の「ぼくは再び ぼくの旅に出るね」もよく効いています。



  詩と批評誌『呼吸』第U巻17号
    kokyu 17.JPG    
 
 
 
 
2004.7.1
京都府八幡市
現代京都詩話会・武村雄一氏 代表
500円
 

    売家の庭    司 由衣

   三階のベランダから
   売り家の庭が見える
   境谷中通りに沿って石垣のある角家の庭だ
   そこのおんな主とは入居時からの顔見知りで
   なんどか立ち話もしたことがある
   庭いじりがなによりも好きで
   会うたびに春が来るのが待ち遠しいと…

   最近洩れきこえてきた噂では
   長びく不況でせっかく手掛けた事業が行き詰まり
   家を担保に銀行から借金
   けれども負債が増えるだけで赤字の穴埋めにならず
   切羽詰まって家を売りに出したが
   買い手にも恵まれず
   ついには競売にかけられ落札したとか…

      五年前 私の身の上にも同じようなことがあった
      壬生に近い呉服屋の三代目、私の夫が死んだその途端
      手の裏を返した輩が裏庭からずかずかと踏み込んできて
      「かんにんやで 取立てが俺の仕事やし」
      「払うてや!あした店の支払日やさかい」
      「よもやわたしの代で老舗は潰せまへんよってに」
      口々に責め立てられ 追い詰められて
      ええいままよ! さっさと家を売り払って清々と…

   あと半月ばかり持ち堪えたら
   薄い紙のような苞から淡い黄緑色の春蘭が咲いて
   さぞおんな主の心も癒されたろうに

   今は 折られ束ねられた春蘭の遺体に
   苞からさまよい出た花の精がとりすがっている
   まだ覚めやらぬ寒い朝に

 こちらも司さんの作品を紹介しますが、先ほどとは違った趣でおもしろいですね。「ついには競売にかけられ落札した」話ですからおもしろい≠ニいう表現は不適切ですが…。ここでは冷たい人間模様が描かれていますけど、読者の私としては「おんな主」をいかに描いているか、人物像が描けているかに着目しています。それを描くことが実は作者を描くことになると思うのです。その観点からすると、ちょっと突っ込みが甘いかもしれません。例えば「庭いじり」の具体的な姿が出てくると良いでしょう。しゃがみこんでの作業ではなく、いつも中腰だとか…。それは、何かの場合に備えてすぐに動ける態勢が「おんな主」としては必要だから、とか…。そういう創作≠煢チえてみると作品の奥行きがグーンと広がると思います。

 実は、司さんからのお手紙には合評会にもなかなか出られないので批評が欲しい、とありました。あえて2誌の司さんの作品を採り上げて批評≠キる次第です。HPをご覧の皆様も何か助言できることがあったら私にメールをください。転送いたします。



  日高のぼる氏・山田典子氏共著詩集パキスタン ピース・ツアー バザールの少女
    bazar no syoujyo.JPG    
 
 
 
 
2004.7.15
埼玉県上尾市
春と風出版刊
1000円
 

    パキスタン酒事情   日高のぼる

   ツアー三日目 夜ホテルで飲むための酒を仕入れに行く
   昨夜は大晦日でビールなど買ってきてもらい飲んだのだが
   酒屋もなく法律で飲酒が禁じられている国の
   酒の買い方について出発前から気になっていた
   パキスタン生まれのメブーブさんと一緒に
   私たちが泊まっているホテルの五倍はするという
   ペシャワールのパールコンチネンタルホテルへおもむく

   フロントにあいさつし五階へ上がると
   酒のバー担当の人がきて部屋の鍵を開ける
   金色の英字で大きく「外国人旅行者のみ、ムスリムは入室禁止」とある
   かなり広いラウンジとカウンターはあるが他の客はいない
   一般には新年を祝う習慣がないという
   カウンターも酒の棚にも鍵がかかっている
   厳重そのものだ
   パスポートを確認し酒の購入申込書の三カ所にサインする
   ウイスキー、ブランデー、ラム、ウォッカ、ビールなど種類も多い
   カウンターの壁面全部が酒の陳列棚で圧倒される

   イスラム教もはじめは禁酒でなかった
   それが酒を飲んで礼拝をおろそかにする人が増え禁酒になったという
   イスラム教以外の人のためという酒の醸造工場は
   ラワルピンディをはじめ国内各地にある
   輸出しているのかと開くと 小さな声で
    すべて国内で消費されています

   飲酒が見つかると三カ月間の投獄という厳しい国の
   酒事情にあきれた

 2002年暮から2003年正月にかけてのパキスタン旅行だったようで、「平和を創る旅」と銘打っていますから、それにちなんだ詩が多いのですが、私の好みでどうしても「酒」に関する作品を紹介してしまいました(^^;
 イスラムの国でも酒は何とかなる、とは聞いていたのですが、非常に具体的ですね、安心しました(^^; 結局「飲酒が見つかると三カ月間の投獄という厳しい国の/酒事情」とはいったい何だ、と思いますね。本当に「あきれた」ものです。よその国をとやかく言う筋合いはないんですが、これもイスラム文化の一面として記憶しておきましょう。


    バザールの少女    山田典子

   小さなザルに
   髪かざりや 髪どめ 紐などを並べて
   人混みの中を 歩きまわって
   声をかけている

   ノーサンキュー
   手を振っても 振り払っても
   ずっとついてきて
   買って欲しいと 訴えてくる

   観光客が すっかり減ったという
   イスラマバードのバザール
   夜の街に
   物売りの子どもたちの
   黒い瞳が
   あふれてゆれている

 共著ですので、こちらの作品も紹介します。詩集のタイトルにもなっている詩です。「観光客が すっかり減った」のは9.11や核実験に起因しているのかもしれません。核実験の金を「物売りの子どもたち」にまわせばいいのにと思うのは、自分の国を見ていない言い分でしょう。「黒い瞳」のための国が出来るのはいつのことでしょうか。私たちもよその国のことを言える立場ではありませんが…。



  詩誌『青い階段』75号
    aoi kaidan 75.JPG    
 
 
 
 
2004.7.25
横浜市西区
浅野章子氏 発行
500円
 

    お知らせを受け取った    荒船健次

   同窓会開催のお知らせを受け取った。四〇余年ぶりだ。
   老いたアルバムを開き、その頃を手繰る。

   多摩川の河口近く、門前町に住んでいた。戦災を免れた
   古い木造の校舎で過ごした。校門を潜ると、柳の老木が
   池に枝を垂らしている。老木の陰、暗い水面を背に、二
   ノ宮金次郎の銅像が立っている。薪を背負った彼は、い
   つも本を読んでいる。原っぱで 遊ぶほうが 好きな少年
   は、銅像の彼に無関心。宿題が重荷のときだけ、少年は
   彼の姿に気づき、彼も顔を上げれば良いのに、とため息
   をつく。

   空はいつもぼやけている。町の向こうは海で、海岸に沿
   って鉄の塊の工場が立ち並び、巨大な煙突が幾本も昼夜
   を分かたず、倒れた日本を立ち上げるために黒煙を噴き
   あげる。鉄粉とセメントと化学物質に空は塗りつぶされ
   ているけれど、誰も文句を言わない。

   煤塵は校舎の隙間、窓の破れ目から侵入し、床や木の机
   に灰色に降り積もる。授業前の掃除は欠かせない。机の
   列ごとに掃除当番が割り当てられ、当番に当たった生徒
   は、その日早めに登校し、机の煤塵を雑巾で拭く。雑巾
   は、使い古しの布切れで、どの家の母も心を込めて縫っ
   てくれる。

   生徒は目や鼻を患い、喉のがらがらに、悩まされている。
   春の健康診断で、生徒は大概、結膜炎、蓄膿症、アデノ
   イドと診断され、梅雨が明けるころから、治療に通う子
   どもの声が病院の待合室に木魂する。夏は病院から始ま
   るのが恒例だった。

   父はカーキ色の作業着で近くの工場に出かけ、母は昼食
   を用意し、学校から帰る子どもを待った。暮らしはつま
   しく、蒸かしたサツマイモや蒸しパンは、美味しかった。
   バラック屋根の下、大きな父母の手は、小さな手をいつ
   も温かく包んでくれた。

   あらためて老いたアルバムを眺める。
   おじさんみたいに頼もしかったM君、あいつがこんなに
   あどけなかったとは。お姉さんぶっていたケイ子の隣、
   少年が密かに思いを寄せた、無口なおかっぱ頭の女の子。
   明るい冬日の中で目元がとろけている。途中で姓が変わ
   った子もいたな。「今日から△子さんは、姓が○○さんに
   なります」と先生が説明。いつもの歯切れのよさはなく、
   言葉がこわばっていた。ぼくらはじきに、彼女の新しい
   姓に馴染んだ。

   小さな二宮金次郎の肩すれすれに、ツバメが宙返りした。
   四〇余年ぶりの同窓会のお知らせ。まるで手品師の前に
   いるみたい。揺れるな、老いたアルバム。新しい出会い
   が始まりそうな。

 この感覚は良く判りますね。そして、うまいなぁと思いました。時代も多少違って、過した場所も違いますけど「まるで手品師の前に/いるみたい。」は実感ですし、「揺れるな、老いたアルバム。」はうまく心境を言い表していると思います。なにより「新しい出会い/が始まりそうな。」という最終の詩句がいいですね。まさにそういう感じなんです。「四〇余年」も前から知っているのに、新しい出会いを感じるんですね。ここはさすがに荒船さん、と思いました。
 タイトルも憎いのです。何気なく「お知らせを受け取った」ですからね。本当は「新しい出会い/が始まりそうな」期待をしているのに、涼しい顔をしている。このギャップが荒船詩の魅力かもしれません。この夏の同窓会に、私も行く気になりました(^^;








   back(7月の部屋へ戻る)

   
home