きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.7.29(木)
今日も早く帰って、と云いますか、疲れを感じて早めに帰宅しました。もちろんまだ空は明るかったです。昨日の写真は良かったよ、というメールをいただきましたので、気を良くして今日も撮ってみました(^^;
わが家から北の空を撮りました。画面では明るい空ですが、実は東も西も真っ暗なんです。南はもう少し晴れていましたね。台風10号の外側の雲です。台風の動きが遅いので、明日も同じような空が見られるかもしれませんが、残念ながら午後から東京に出張です。帰りは呑み過ぎて写真どころではないだろうなぁ(^^; しばらく写真が無いかもしれませんので、しばらくこの写真でお楽しみください。
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2004.7.18 |
千葉県東金市 |
玄の会・高安義郎氏
発行 |
1000円 |
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負債 山口惣司
北京では三十八度九分
札幌でも三十度を超えたという
六月の半ばにしては早すぎるが
主因は地球温暖化にあるらしい
いまここで
地球温暖化防止策の京都議定書に
調印を拒んだのは誰だ
などという詮索はさておく
ただ飛んでもない子孫への負債が
突きつけられているのに
それを防止し得なかった弱者の私たちも
同罪であるだけは確かなことだ
負債といえば極く身近にもある
金利だ
もともと金利を生むだけの元金も無いが
退職金がまだ半分ほど手元にあった時
(金利四パーセント台だったので)
元金を取り崩さなくても
老後の小遣い程度にはなると
甘い計算をしていたことも確かだ
やれ先祖の墓だ
孫の祝い金だ
人並みに海外旅行でもと
いつの間にか元金さえ無くなったが
金利も限りなく透明で
陽炎のように儚いものになった
六十五歳以上は一口に限り
一万円の特別利子をつけてやると
したり顔の行員が薦めに乗って
(つい十年前の普通預金の金利なのに)
虎の子の百万円を預けた
その百万円がどうしても必要になったので
半年を残して解約した
何と金利は四円であった
印鑑が違うと言われ二往復したので
銀行まで十キロの我が家からは
ガソリン代四百円になる
何のことは無い
半年かけて差し引き三百九十六円である
子孫への負債といい
わが身の直接のマイナス感といい
このような制度を
作り続ける偽政者が恨めしい
そしてそれを断ち切ることの出来ない
私たち自身の力の無さも
負債の最たるものに違いはあるまい
「子孫への負債」と「金利」を巧く懸けた作品だと思います。「それを防止し得なかった弱者の私たちも/同罪である」というのは同感です。「それを断ち切ることの出来ない/私たち自身の力の無さも/負債の最たるもの」というのもまったく同感ですね。選挙制度に問題があるとは云っても、結局のところ「このような制度を/作り続ける偽政者」を選んだのは私たちに他なりません。
「金利は四円であった」というのも頭にくる話ですね。銀行振替で取られる金と利息の差を考えると、金融制度が信じられなくなります。まっ、そういう日本にした責任は私たちのあるのだから、甘んじて受けるしかないかな、と思うこの頃です。
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2004.7.25 |
滋賀県栗東市 |
苗村吉昭氏 発行 |
非売品 |
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シュミレーション 苗村吉昭
娘が家を出て行く日
僕は少し恥ずかしそうに
手を振ると思う
少し恥ずかしそうに
娘が家を出て行く日
僕は少しぎこちなく
作り笑いをすると思う
少しぎこちなく
ほんの二十年ほど
異界から娘を預かっていただけ
きっとそんなふうに思うだろう
今はまだ僕の腕の中で眠っている
産まれたばかりの娘の睫毛を見ながら
僕はなぜか別れの日の訓練をしている。
娘を見る父親に特有なのかもしれませんが、これは良く判りますね。娘が大きくなるにつれ「ほんの二十年ほど/異界から娘を預かっていただけ」という思いは強くなるようです。それにしても「別れの日の訓練」をするのは男親だけなんでしょうか。女親はそんなことは考えないのでしょうか。嫁に来た家内や嫁に行った妹を見ていると、いくつになっても自分の母親とベッタリしていて、私などには信じられないのです。いつまでも父親とベッタリする気はありませんからね。そんなことを考えさせられた作品です。
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2004.7.15 |
鹿児島県日置郡伊集院町 |
解纜社・西田義篤氏
発行 |
非売品 |
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息子たち 石峰意佐雄
眠らないやつらが
バイクをうならして 行ったり来たり
へうん へうん へうん へうん
どこいらあたりか
いつもこうして 寝床の中でだけ聞くから
夢のような みずたまりのようなところで
遊んでいるみたいな
あめんぼみたいなやつら あいつら
あたまの小さい
うおんうおん うおんうおんうおん
をあ―――お あ―――お ああああ――お
ねどこのなかで こうして きいてると
とおいいので
(行ったり来たり)
なんだか まゆを織ってるような
めん めんめん めめめんめん めん めん
めめめめめん めめめめめん
だだっこみたいに
しりあがりに たたみかけてくる なんという
甘えかた
ぐっしょりだ
へうん へうん へうん へうん
だれか いってなぐりたおしてやれ
をあ―――お をあ―――
(あいつら ぼくらの 息子たち)
へうん へうん へうん へうん
だれかきて なぐりたおして くれ
へうん へうん へうん へうん
もちろん暴走族に悩まされている詩ですが、オノマトペが凄いですね。わが村から遠く離れた国道に出没する暴走族の音を思い出していますけど、そっくりです。「うおんうおん」は一般的ですが「へうん へうん」「めん めんめん」には参りました。確かにそのように聞こえます。
そんな彼らを「だだっこみたい」「なんという/甘えかた」と評するのもおもしろいですけど、彼らを「(あいつら ぼくらの 息子たち)」と見ているところに作者の懐の深さを感じます。それが「だれか いってなぐりたおしてやれ」から「だれかきて なぐりたおして くれ」へと対象が変化するところにも現れていると思います。こんな詩は見たことがありません。現代を表現しながら人間性の深さをも現した作品だと思います。
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2004.7.20 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社・丸地
守氏 発行 |
788円 |
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桜 松尾静明
この国の川岸は どこも桜並木だ
この国の空は どこも桜吹雪だ
この国の表札は菊だが その下地は桜の老木だ
この国の民の心は 隅々まで桜が散る紅墨色だ
そして いま
この国の桜は 淡さに湿って哀切な衝動だ
この国の桜は 狂う清らかさに薄命だ
この国の桜は 号泣する純粋に直裁だ と
桜のぬかるみに足をとられて
桜に押されて行進しながら俺は
俺への言い訳を考えている
住い音楽を聴いた 机を叩いて議論した
魂の話をして 集団的無意識とか
暗喩とか 想像力とか
あれが どうだったというのだ
この魂ひとつすら堰止められない
それが 何だったというのだ
この桜の大きな奔流のなかで
二千年の倭人のエクスタシーのなかで
作者の底知れない憤りのようなものを感じます。何度も出てくる「この国」という言葉、いかにこの国≠考えているかの証左でしょう。最終連では作者の辿った足跡が読み取れます。しかしそこには「あれが どうだったというのだ」という自嘲とも思える言葉があって、作者の苦悩を感じてしまいます。とどめは「この魂ひとつすら堰止められない/それが 何だったというのだ」というフレーズです。「この桜の大きな奔流」に流されまいとして流されてしまう作者と「倭人」の救いようのなさ。詩人の本質的な哀しみを伝えた佳品として拝読しました。
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