きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.8.1(日)
午後から会社へ行って3時間ほど仕事をして、そのまま四谷に向いました。「四谷コタン」で奥野祐子さんのライブがあったのです。今日は4人のライブで、奥野さんはもちろんトリ。奥野さんの前に演った舞雷(ぶらい)という男も良かったですね。きちんと発声していて聞きよかった。私はどうしても歌詞を考えてしまいますから、意味が採れないとダメなんです。
奥野さんは1時間ほど熱唱してくれましたが、ちょっと悪いことをしてしまったかな。私の帰りの新幹線が東京発22時47分が最終なんで、それに間に合うようにとちょっと早めに終えてくれたんです。でも、歌は良かった。今回は2回目ということもあって、曲も歌詞もなじみになったものが半分ほどあって、余裕をもって聴くことができました。
もっと良かったのが奥野さんのCDが入手できたこと。前回、欲しいなと思っていたのですがゆっくり話す時間が無くて、聞きそびれていました。やっぱり出していたんですね。さっそく聴きましたよ。うーん、悪くはないけど、ライブの迫力には負けるな。CDを聴いて曲を覚えて、やっぱりライブを楽しませてもらおう!
○詩誌『1/2』17号 |
2004.8.10 | ||||
東京都中央区 | ||||
近野十志夫氏 発行 | ||||
400円 | ||||
タバコ止めようかな 都月次郎
少しくらくらしてきたら
タバコの吸いすぎ。
禁煙は今日も出来なかった。
煙になってしまった一日の命が
すすけた天井に漂っていて
いがらっぽい会話が
のどのおくにはりついている。
一流会社が
一日で泥にまみれる時代。
もともと三流以下なんだから
いつ無くなっても不思議ではない。
物もひとも
消費されるためにあり
捨てられるものだけが日々生まれ
海を食べ
空に向かって無限に繁殖する。
消費者といえば聞こえがいいが
消費される一生は
一本のタバコのように
じりじりと身を焦がして
やがてあとかたもない。
タバコ止めようかな
最後の一本に火をつけながらつぶやいた。
たまたまタバコを吸いながら拝見していました(^^; ちょっとギョッとしましたけどね。特に「消費される一生」という詩句には…。私たちの人生なんて「物もひとも/消費されるためにあ」る一環なのかもしれません。でも、「煙になってしまった一日の命」は惜しいには惜しいけど後悔なんてしたくないですね。ムキになって、オレは絶対に「タバコ止めようかな」とは言わないゾと思ってしまったのも事実です。ムキになる必要なんてまったく無いんですけどね。そんなことを考えながら読ませていただいた作品です。
○詩誌『黒豹』106号 |
2004.7.30 | ||||
千葉県館山市 | ||||
黒豹社・諌川正臣氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
はつみ
初見 諌川正臣
二月なかば 春を思わせる日
ふわり 菜の花に白い影
もう お目見えか 春の使者
「モンシロ初見」と口走ったとたん
木陰から弾のように襲いかかったヒヨドリ
瞬時に飛び去ったあとは
かすかに菜の花が揺れているだけ
長い冬を蛹で凌ぎ
さあこれからと舞い立ったばかりの
ちいさな命の火を消した
まひるまの深い闇
キャベツを食い荒らすアオムシも
多くはハチの餌食に
蛹になっても安心できない
殻を破ってぞろぞろ出てくるのは
寄生のアオムシコマユバチだったり
ことなく羽化しても
まわりには容赦のない天敵ばかり
それでも三月の半ばを過ぎれば
目に見えて数を増すモンシロチョウ
南風の吹き荒れた明くる日
ひらり急降下してきた燕を初見
これはショックだったろうなと思います。スピード感あふれる描写に私も思わず惹き込まれてしまいました。そして「まひるまの深い闇」という洞察。詩人ならではの眼力と云えましょう。
最終連の「目に見えて数を増すモンシロチョウ」「ひらり急降下してきた燕を初見」というフレーズでは安心もしました。「まわりには容赦のない天敵ばかり」だけど、いずれ数で圧倒していく自然の不思議さ、バランスの良さ、そんなことを感じさせてくれた作品です。
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