きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.3(火)

 夏連初日。久しぶりに買物に行ってきました、娘と二人で(^^) 初めてのことです。Tシャツとズボンを買うことにしたのですが、私はまったく不得意なんで娘に選んでもらいました。こういうときの娘というのは重宝ですね。息子だったら役に立たないだろうなぁ、自分を省みてそう思います。
 親子で買物をしている図というのは、ハタから見ているとボケ老人が娘に引き摺られて、というふうに見えるでしょう。まだちょっと老人には早いけど、いずれそうなるんだろうな。娘に叱り飛ばされながら買物をする、そんな日が目の前です(^^;;;





  鈴木茂夫氏詩集『戦後の学校』
    sengo no gakkou.JPG    
 
 
 
 
2004.8.15
東京都中野区
潮流出版社刊
2000円+税
 

    戦後の学校

   戦争中は練兵場にされた学校が
   村とこどもたちに返された

   学校には貸出し用の唐傘が
   一〇〇本はあった
   雨の日に
   ぬれずに家に帰れるように
   水田地帯のこどもたちが
   雨をきらいにならないように

   学校には舟までもあった
   洪水で通学路が水につかっても
   学ぶことは大切で
   そういうときでも通えるように
   友だちと遊べるように

   学校には
   父や母も教わったという
   元気すぎる年寄りの先生がいて
   農地改革で地主から貧乏教師になった体験談や
   若いころの楽しい話へと
   脱線してくれた

   校舎にも朝礼台にも
   地元の人たちの力と思いがこもっていた
   戦争はごめんだ
   平和をつくろう
   幸福な未来のためには教育が必要だ
   そう決意した戦後の村人の
   願いがこもっていた

 詩集のタイトルポエムです。このタイトルを採用したことについて「あとがき」では次のように述べています。

    タイトルは重要だと、いつも思う。詩集名に限らず、ふだんの作
   品名にも頭を悩ます方だ。当初は作品「ものの見事に」や「ニッポ
   ン売り」を候補にしていたが、最終的には「戦後の学校」を採用し
   た。内実から見て、まだ卒業などしていないのである。
    私にとっての大学は、この社会全体であり、今も学習中というこ
   とになる。

 短く見事に言い表した文章だと思います。著者の姿勢も端的に表現していて、作品鑑賞の助けにもなりましょう。
 私も「戦後の学校」に通った部類ですが、確かに「幸福な未来のためには教育が必要だ/そう決意した戦後の村人の/願いがこもっていた」時代でしたね。個人的な成功のための学校ではなく、みんなの「幸福な未来のため」の「教育が必要だ」という思いがあったように記憶しています。スバ抜けて頭のいいやつがいて、そういう連中はどんどん上の学校へ行ってみんなの役に立つ人間になってくれ、オレたちは職工や百姓が身の丈に合っている、そんな区分けが自然に無理なくできた時代だったと思います。

 そんな当時の大人たちの思いが伝わってくるのが「水田地帯のこどもたちが/雨をきらいにならないように」「洪水で通学路が水につかっても/学ぶことは大切で/そういうときでも通えるように/友だちと遊べるよう」などのフレーズです。「若いころの楽しい話へと/脱線してくれた」のは、あの時代の余裕だったのだと今にして思います。
 学ぶということは、学校というものは、などなど、現代を考えさせてくれる佳品だと思いました。



  個人詩誌『犯』26号
    han 26.JPG    
 
 
 
 
2004.8
さいたま市浦和区
山岡 遊氏 発行
非売品
 

    東京グランドゼロ

   さみしい愛欲の忍者との
   すれちがいの会話はこれでお仕舞いにしよう
   愛ある限りわたしたちのからだは情報の排水溝だ
   ムササビのかたちをした怪しい雲が
   都庁の角からせりだし
   魚に変わる
   やがてその口が裂け
   トカゲになって
   住友ビルの背後に消えて行く
   その間 十数秒
   新宿白糸の滝から見あげるわたしの脳髄は
   命ある限り驚愕の便器
   心の悩みセンターにでも電話をかけてみようか
   「もしもし、この男はまだ
    世界で一番善人面のうまい種族の一員なのでしょうか」
   いやその前に
   踏みしめた虹の橋
   一刻も早く
   わがノーコン政府から
   この聖なる鈍物を守る方法をあみださなければ

   東京都庁北展望台
   地上二〇二メートルの円形マット椅子に座り
   爪を切る無邪気な老女を背に
   さっきまで見あげていた鳥を今見下ろしている
   一息入れた彼女は整ったその指先で
   ポテトチップスを摘みあげ口元に運ぶ
   この街のどこか
   あざとい平和の暴走が産みつけた教育不可能な卵が割れようとしている
   右足が痛むのか
   かがしのようにふらつく法の女神テーミスよ
   こちらへおいで案内してあげよう
   (あちらが大菩薩峠)
   (こちらが池袋サンシャイン)
   尚も右前方にまなざしを転じれば
   激しい地響きとともに塔がぐらりっ、と揺れる
   テーミスの目隠しが熱風で波打つ
   閃光を受けた左側頭部がどこかへふっ飛んでゆく!
   木っ端微塵に砕けた硝子窓が滝飛沫
(しぶき)となって
   中央公園に降りそそぐ!

   そうとも ここが
   グランドゼロゾーン!
   問いただす間もなく
   伸びすぎた爪が根元から掻き切られるところ!
   ひくひく、と焦げてゆく
   白昼夢想犯の眼底の奈落
   風より密かに
   やりなおしの効かないハラノムシが
   nitroglycerin
(ニトロ)を抱え
   無援の時空をひた走る!

 「白昼夢想」かもしれませんが「そうとも ここが/グランドゼロゾーン!」になる日が来るのかもしれませんね。「わがノーコン政府」のもとで「世界で一番善人面のうまい種族」も多く、「あざとい平和の暴走が産みつけた教育不可能な卵」もあちらこちらに…。
 「やりなおしの効かないハラノムシ」はいったいどうしたらいいんだろうか、そんな私たちの潜在的な思いを表現した作品だと思います。「爪を切る無邪気な老女」の置き方も巧いなと思いました。「無援の時空をひた走る!」山岡遊氏に密かな応援を送った作品です。



  会報『沼声』277号
    syosei 277.JPG    
 
 
 
 
2004.8.1
静岡県沼津市
沼津の文化を語る会・望月良夫氏 発行
年間購読料2500円
 

    地名研究者や歴史家などが、怒りを込めて
   指摘しているように、ずいぶん珍妙な新自治
   体名が登場している。
    周防(山口県)の南部であるから周南市ぐ
   らいまでは、私でも許容できるが、島根県で
   旧国名「出雲」の南部であるから雲南市とす
   るに至っては、いかがであろうか。
    南アルプス市・九十九里市・瀬戸内市・南
   あわじ市の登場も叫ばれ、住民意思とは違う
   結論に導かれた公算も強い。当事者たちは許
   容の限界のバルブが開いたままである。

 浅香勝輔氏の「許容の限界」というエッセイの一部です。私の住む神奈川県南足柄市も30年ほど前は町でした。市に昇格するにあたり足柄市≠ノしようという動きもあったようですが、結局は町を市に改めただけで落ち着きました。足柄市≠ノしようと画策した人々には小田急線の「足柄駅」や御殿場線の「足柄駅」があることから足柄市≠独占したいという意見があったと仄聞しています。そんな馬鹿げた理由が通用しなくて本当に良かったと思います。南足柄は足柄山(そんな山は無いんですが)の南にあって、長ったらしくていい市名だと思っています(^^;

 「住民意思とは違う/結論に導かれた公算も強い」市は多いんでしょうね。私が小学生の一時期をすごした <いわき市> は、確か全国初のひらがら市名だったと思うのですが、当時は新鮮に思いました。昔の常磐炭田を主体とする市ですけど常磐市≠ナは読み方も判らないし固い感じを受けます。その後にひらがな市名が続きましたが、二番煎じには新鮮さも魅力も無くなったと思います。「南アルプス市」(これはもう出現した?)、「南あわじ市」など「ずいぶん珍妙な新自治体名」ということになるのかもしれません。作者の「当事者たちは許容の限界のバルブが開いたままである」という指摘は一考に価するものだと思います。




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