きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.4(水)

 今夕から大分県に向けて出発します。湯布院を中心に観てこようと思っています。4日ほどアップできませんが、よろしく。
 出かける前の一仕事で、日本詩人クラブのHPを移転しました。新しいURLは、
http://homepage3.nifty.com/japan-poets-club/
になります。
 今までコンタクトいただいた方には同報メールを送信してありますので、拙HPともども、よろしくお願いいたします。





  月刊詩誌『現代詩図鑑』第2巻8号
    gendaishi zukan 2-8.JPG    
 
 
 
 
2004.8.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

    川のモチーフ    真神 博(まがみ ひろし)

   私の身体から
   歩いて十分くらいのところに
   もう一人の私がいる
   二人の間には
   この世で最も能動的に流れる
   一本の川が横たわる
   私は偶々
   彼を知っているに過ぎない

   二人が川のそばにいることは
   遭遇ではないけれど
   私達はなぜ川を挟んで対峠しているのかを
   説明できないままでいる
   水の流れを
   毎日、言葉だけが渡って行く

   川は
   こちら側からも
   あちら側からも
   偶然同じ流れとして見えるという
   残酷性を示しているが
   どちらの私も
   もう一人の自分には
   こちら側に来てほしくないのだ

   川の流れには
   地上の雑多なイメージを消し去る役目があり
   水の流れが何かを思い出してしまったら
   時間はたちまち止まってしまうだろう

   空模様からは
   明日も洪水が期待できる
   そして私たちはいつまでも
   自分が 川面に吹き渡る
   一陣の風であることに気が付くことはない

 「私の身体から/歩いて十分くらいのところに/もう一人の私がいる」というのは、おもしろい「モチーフ」だと思います。「歩いて十分くらい」というのが妙に具体的でイメージしやすく、納得してしまいますね。「私達はなぜ川を挟んで対峠しているのかを/説明できないままでいる」のですが、結局は「川面に吹き渡る/一陣の風である」ことが読者に知らされて、種明かしされるわけですが、どうもそれだけではないように思えてなりません。もっと違う面を謂っているのでしょうけど、それは作品からは読み取れない部分だろうと思います。そこはこの作品をきっかけに読者が考えることなのかもしれませんね。



  隔月刊詩誌ONL74号
    onl 74.JPG    
 
 
 
 
2004.7.30
高知県中村市
山本 衞氏 発行
350円
 

    Uターン    丸山全友

   「パソコンがわからん言うとるで」
   テレビを見ていると
   妻が娘の部屋の方から大声を出す
   「まちごうてマウスを押してしもたわ」
   部屋をあけると娘が
   パソコンの画面を見つめたまま泣きそうな声を出す
   「その釣り針みたいな矢印を押してみな。
   一つ前に戻るんや」
   「歳は戻らんの。三十回ぐらい押してみ。
   もう一度嫁に行きたいわ」
   妻もパソコンを覗き込んでいる
   「もとには戻らんって出たわ」
   娘が大声を出す

 よくある光景ですが、失礼ながら思わず笑ってしまいました。「歳は戻らんの。三十回ぐらい押してみ。/もう一度嫁に行きたいわ」というフレーズは最高です。考えもつかなかった(^^; おそらく実年齢から来ているのでしょうが「三十回ぐらい」という数の設定もいいですね。これが五回、十回だとリアルすぎてちょっと笑えなくなります。この「三十回ぐらい」には人生の余裕さえ感じてしまいました。久しぶりに笑った楽しい作品です。




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