きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.8.8(日)
4日ほど大分県湯布院町に行っていました。埼玉県の文芸誌『蠻』に連載されていた秦健一郎氏の小説「地果つる処まで―油屋熊八物語」の現地見学です。物語の主たる舞台は別府なのですが、熊八の思想が端的に表出している地が湯布院だという認識がありましたから、そちらを主としました。もちろん別府にも立ち寄り、ハンググライダー・パラグライダーの聖地鶴見岳にもロープウェイで登りましたけどね。
写真中央は湯布院盆地から見た由布岳で、右の小さな山が鶴見岳です。湯布院は温泉場ながら水田が豊かでした。地元の人の生活や農業を大事にしながら観光地として成功させる、という熊八の理想が実現しているなと思いました。大正の終りから昭和の始めに開発されて、全国屈指の温泉場でありながら、そんな理想が今だに息づいていることに驚きましたね。
ただ、熊八の名が地元で一般的に口にされているかというと、そんなことはないようです。直接聞くことはせず、タクシーの運転手や旅館の仲居さんの説明を注意して聞いたのですが、まったく熊八の名は出てこないのです。地元の本、例えば『湯布院ものがたり』3号にはちゃんと出てきますから、忘れられているわけではないと思います。実は、それが熊八にとっても理想の姿だったのかなと思います。
「亀の井ホテル」「亀の井別荘」「亀の井バス」など、物語で重要な役割を演じる建物(新築されていますが)・事業も現存していて小説と現実が混在する楽しい旅でした。
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2004.9.15 |
東京都新宿区 |
文芸社刊 |
1200円+税 |
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むかつく
男運が悪いのではなく、つまり「運」ではなく、
私の心がけのせいだと言う。
――もう少し努力して、きちんと化粧をして、それなりの服を着れば、
見苦しさは半減するはずよ。
そうすりや寄って来てほしいモンが、ワンサと寄って来るモンだわさ。
むかつく。
必死の努力で、きちんと化粧して、極上の服を着ているつもりなので、
いよいよむかつく。
「私」「カラ子」「A子」という3人の女性が出てくる物語性の高い詩集ですが、女性の心理が余すところなく表出しているように思えて楽しみました。それも取り澄ました表面上のことでなく、いじわるとも思えるほどの本音で出ているのではないでしょうか。女性の眼と限定している作品が多いのですが、対面の男なり、男女を超えた人間批評として読み取るべきでしょうね。
紹介した作品は「カラ子」が「私」に言ったという設定になっています。女同士とはそういうものかとニンマリしてしまいますけど、実は男でもこういう場面はあるわけで、思わず我が身を振り返ってしまいます。人間の「心がけのせい」ではどうにもならないところまで踏み込んで読めて、おもしろい作品です。
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2004.7.7 |
東京都調布市 |
田上悦子氏方・飛天詩社
発行 |
500円 |
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海の匂い 磯村英樹
北海道の秋
山深く
海の匂いがする
鮭の大群が
河を遡って
運んできた海が匂うのだ
なぜ「北海道の」「山深く」で「海の匂いがする」のだろう?と思ったら、「鮭の大群が」「運んできた海が匂う」のですね。お見事!としか言い様のない作品です。イメージが鮮やかで、その上「海の匂い」までしてきて、感覚を刺激されました。
私事ですが、私は北海道生まれですけど、記憶にあるのは実際に住んだ小学生中学年のときの1年間だけです。近くの河に鮭が上って来た記憶もありますけど「海の匂い」があったかどうか…。ただ、事実かどうかは問題ではなく、詩作品として成立するかどうかが問題なのですが、その面では天下一品だと思いました。
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2004.6.30 |
三重県度会郡玉城町 |
村井一朗氏 発行 |
非売品 |
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花筏 松沢 桃
ひとひらひとひら
花いかだにつどう散り花
ことしも逝く
いのちいくたりか
病に戦場に事件事故に
たえまない
火の海で見失った
あの人を
生涯忘れることなどできない
なきがらを
一日中抱きしめて彷捏う
気のふれた空襲下
しあわせはどこにあるの
父とは生きわかれ
母も仕送りのため離ればなれ
親戚にあずけられた歳月
甘えべたはかなしい性
さみしいひとりっ子
しのびよる不安の影いくたび
うすい血縁をなげく
最初の夫の死と母の死
二度目の夫の療養と休職
母の再婚相手と義絶そして改姓
思いもかけぬ暮らしの変転
ふたりの子の独立と孫の誕生
ようやく実りの秋をむかえた矢先
不意にかげる世界 ま ぼ ろ し
昼夜をわかたず蝕む幻視幻聴
気分がすぐれない苦しい
誰にもわかってもらえない
そして
また散りゆく花びら
甲斐ないさだめ
父や母がすむ彼岸の地
好きな人にも逢えるだろうか
重い荷をふりほどく
「花筏」という華やかなイメージとは遠い詩ですが「さみしいひとりっ子」の半生を知る上では貴重な作品だと思います。実は「花いかだ」とは「つどう散り花」が本来のものなのかもしれません。そのことにも気付かされます。
「重い荷をふりほどく」のはもっと後のことになりますけど、いずれ誰もが「彼岸の地」を訪れます。そのとき「好きな人にも逢える」ことを楽しみに「花筏」となる身を見つめたいと思った作品です。
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2004.7.30 |
愛知県知多郡武豊町 |
スポリアの会・坂口優子氏
発行 |
非売品 |
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ひみつ 長谷賢一
はずみか 偶然か
私の靴に飛び込んだ
石ころ一つ
靴を返し
石を取り出すこともできたが
私はひみつを持って歩くことにした
踏み砕くかも
靴に穴を開けるかもしれない
だが今は小さな痛みを感じながら
歩くのを楽しんでいる
夕暮れの道
この「ひみつ」はいいですね。私にも「石ころ一つ」が飛び込むことはありまして、そのまま「持って歩くこと」が多いです。それは単に「靴を返し/石を取り出すこと」が面倒だから(^^; それに比べて作者は「だが今は小さな痛みを感じながら/歩くのを楽しんでいる」のです。しかもそれを「ひみつ」として…。下司の勘ぐりですけど、作者もことによったら私と同じで単に面倒だからなのかもしれませんが、仮にそうだとしても「ひみつ」として作品にする、この行為には脱帽です。「石ころ一つ」での彼我の違いを見せ付けられた思いの作品です。
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