きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.9(月)

 私の短い夏休みも残すところあと2日。午前中はある詩人の作品を電子化し、日本ペンクラブ電子文藝館用の原稿を作りました。これで本人の校正が終れば出稿となります。他人のこともさることながらお前も次を早く出せ、と言われているんですがね、なかなか…。もうお一人、出稿の了解をもらっている詩人がいるので、その処理が終ったら自分の番にしようと思っています。
 午後はいただいた本を拝読して過しました。それにしても暑い! ベッドで横になりながら読んでいたのですけど、ときどき頭がボーッとして、そのまま眠ったりしながらの拝読です(^^; クーラーなしで十数夏、まだまだガンバリますぞ。





  岡 隆夫氏詩集『麦をまく』
    mugi wo maku.JPG    
 
 
 
 
2004.8.31
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2400円+税
 

    ガーデンシュレッダー

   直径四センチの枝でも三ミリのチップスに切断できるシュレッダー!
     というフレーズにコロリと落とされ
   初めてメール注文でガーデンシュレッダーなるものを買った
     鋼鉄のV字型二枚刃とそれに交叉する二枚の平刃
   たかきびの茎 無花果の枝 リンゴの枝
     何でもチップスにするからチッパーズとも言う
   ナノテクという名の極微の世界にはほど遠いが

     おじいちゃん 去年は草刈機で右の手首を抉
(えぐ)り 今年は
     チェンソーで右の親指擦傷し 今度はシュレッダーで両腕刻むの?
     と 娘が言う 血の滴る手羽肉 出てくるんじゃないの
     食べられないわ パパの血 汚れてるでしょ

   剪定した果樹の小枝はほとんど焚き木にした
     五右衛門風呂の臍の下を沸かしたこともある
   桃・柿・花梨 梅・梨・イチョウ
     無花果・ブドウ 庭木の小枝も
   全部燃やした 灰は石灰の代わりになると
     しかし燃やすとエネルギーはほとんど消失する
   だからかねてからチップスにして堆肥にしたかった

     小三の孫が組み立てを手伝ってくれる その傍らで娘の口が
     うるさい うるさい おじいちゃん 軍手ダメよ 皮手袋よ
     この防護用メガネ着けないと でもマフラーはダメ
     白髪もろとも 首根っこまで吸い込まれるよ

   寒のブドウの剪定は手足がかじかむ
     家内がかき集めて燃やす焚き火が助かる
   三十年余続いたわが家の冬の風物詩
     フランスはフルーリーの生白い煙が鼻を突く
   コート・ドール丘陵のコルゴロアン村の飴色の煙が目にしみる
     野焼きは公害!と 昨今やかましい
   そうは思わないが 燻
(くすぶ)る小枝の煙もこれで終わりか

     紙くずを底に埋め 落葉をのせ 枯草をのせ 竹をのせ
     また落葉をのせ その上にブドウの小枝をどっさりのせて
     家内はしゃがんで 火をつける
     燃えさしを中に寄せては 彼女はまた小枝を拾う

   そう 焚き火はしばらく続くだろう
     シュレッダーにはかけられない太い枝も結構ある
   桃・柿・花梨 梅・梨・イチョウの太いシュート
     毎年三センチずつ腐ってゆくブドウの支柱の竹・竹
   薮から棒の太い根ぶち 焚き火はしばらく続くだろう
     そう 冬がくると水が飛んで萎
(しな)びつつ
   高貴に熟すブドウの房があるかぎり

     シュレッダーはパソコンのように静かに始動する
     小枝を入れるとユンボのように轟音を立て その振動が
     脳天を震撼させる チップスは予想以上に細かく薄くかつ白く
     金毘羅歌舞伎の風花にも使えはしまいか

 詩集はタイトルからも判るように農業を主体とした生活を描いたものです。しかし、いわゆる農民詩集や農業詩集とは違うように感じました。それは、他の作品から窺えることですが、「一九六八年 研究機関の助手に採用されるや」(作品「渋柿をむく」)などの詩句から、大学の助手・助教授・教授の傍らの農業だったと思えるからです。定年後は本格的に農業に携わったのかもしれません。

 紹介した詩は、そんな農作業の中の作品です。「ガーデンシュレッダー」に対する思いが伝わってきますが、それ以上に家族の描き方に心打たれます。「その傍らで娘の口が/うるさい うるさい」なんてフレーズがいいですね。「小三の孫」「娘」「家内」に囲まれた「おじいちゃん」の生活に思わず口元が緩んだ作品です。



  西村富枝氏詩集『母発息子たちへ』
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2004.5.5
横浜市港南区
私家版
非売品
 

    弟の入学式

   式典を盛り上げるブラスバンド部は
   練習の成果の見せ所
   壇上にりりしくそれぞれのパー卜が陣取る
   あらあのこいない
   クラリネットのパートにいない
   がっかりした瞬間
   手ぶらで現れた
   楽器忘れたか?
   いや、マイクに向かって話し出した
   入学祝いのメッセージ
   そのあとでブラバンの指揮者
   そんなこと家では誰にも言わなかった
   そんな秘密うれしい
   弟君のお祝いだから≠ニ言ってくれたという
   部員の方たちの計らいもうれしい

 右の頁に詩、左の頁には花々のカラー写真があって、美しい詩集です。添えられた手紙には「二人の息子について、ほぼ同量で綴り、下の子の婚礼の日に二人の嫁さんにプレゼントしたものです」とありました。プレゼントしてもらったお嫁さんたちも、ご亭主の幼少の頃が詩になっているなんて驚いたことでしょうね。さすがはハマっ子、粋なことをするものだと敬服しています。

 紹介した作品は、そんな「二人の息子」のある日を描いたものです。「そんなこと家では誰にも言わなかった」兄の奥ゆかしさ、「そんな秘密うれしい」という著者の素直な気持ちが胸に染みます。それにしても「部員の方たちの計らい」、ハマっ子の粋はここでも出ていますね。



  川端 実氏著『私説 松尾芭蕉』
    shisetsu matsuo basyo.JPG    
 
 
 
 
2004.7.20
埼玉県所沢市
蠻詩社刊
1500円
 

    また『不易流行』にしても「不易 とは変らないもの」「流行とは移り変るもの」とい
   われており「この二つは同じものなのだ」と多くの俳句指導者は口にしているが、ではな
   ぜ同じものなのか……という質問に対しては指導者個々の解釈から全く異なった結論が出
   されている。
    私は「風雅の誠とは、文芸のあるべき真実の道」だと解釈した。また「不易流行」では
    「『不易』とは、文芸に向う作者の基本姿勢の在り方であって、それは自身が定めた目
   標を追及する一筋の姿勢であり、その目標に向う姿勢は移り変ってはならないものなので
   ある」と定義している。
    また『流行』とは、個々の作者が自己の目標に向って精進してゆく文芸作品そのもので
   ある」と定義している。
    作品を生み出す作者の目標は不変のものでなければならない。同時にその目標に向って
   日々精進することから生み出される作品は、昨日と今日が同じものであってはならない。
   昨日から今日、今日から明日へ、常に新しい作品を創造して止まない開拓者の在り方が要
   求される。それが『不易流行』の真の姿だと私は考えている。此の『不易流行』について
   は、本書『奥の細道』の項で改めて詳述する。

 俳句にはまったくの門外漢なので、本著を読み通せるかどうか正直なところ不安がありました。しかし、読み始めたらこれがおもしろい。止らなくなって、夕飯もそこそこに220頁にのぼる本著を6時間ほどで一気に読み終えていました。何がおもしろいかと云うと、研究者や評論家の言葉ではなく庶民≠フ言葉で判り易く、しかも既成の論を載せながらそれを論破していく熱情が伝わってくるからなのです。私にとっては既成の論≠熄奄゚て見るものですが、それを解説しながら著者の論を展開していくところに納得させられるものがありました。

 紹介した文はその一部ですけど、ここにも有名な『不易流行』について著者の斬新な見方が示されていると思います。「作品を生み出す作者の目標は不変のものでなければならない。同時にその目標に向って日々精進することから生み出される作品は、昨日と今日が同じものであってはならない」という言葉は、俳句に限らず詩・文芸、さらに芸術一般に通用するものだと思います。300年も昔に芭蕉はそのことに気付いていたことに驚きましたけど、現代でも著者が解釈するまで揺れ動いていたのかとそのことにも驚きます。

 この『不易流行』の更なる解釈は紹介した文にもありますように「本書『奥の細道』の項で改めて詳述」されています。そこまで引用すると本著の半分以上の引用でも済まなくなりますから止めますが、俳句・詩を志す人には一読を薦めます。「俳諧の改革から見る」という副題が付けられていて、その面での芭蕉論としての斬新さもさることながら芸術論として読むべき著作と思いました。




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