きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

       
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.10(火)

 夏休みも今日が最後です。思い立って本箱の整理をしました。2年ぶりかな。疲れたぁ。午前中から初めて20時半までタップリ。会社でもこんなに働いたことはありませんね(^^;
 いただいた詩集が「あ」〜「ん」まで順番に揃いました。念願が叶いました。この2年ほどでいただいた本は積読になっていましたから、探すのにも大変でしたが、これで大丈夫。せめて1年に一度整理をするといいんですがね、なかなか時間が取れません、、、呑む時間はあるけど(^^;;;





  詩誌『木偶』58号
    deku 58.JPG    
 
 
 
 
2004.8.10
東京都小金井市
増田幸太郎氏編集・木偶の会 発行
400円
 

    何故?    荒船健次

   父が亡くなり、少し遅れて、父と再婚した叔母さんも亡くなった。
   叔母さんの葬儀後、われわれを産んだ母が、再婚であったことを知
   った。母は先夫との間に三人の子を産んでいたという。まさに「事
   実は小説より奇なり」という諺である。知らされずにきたのだから、
   これからもそうしよう、といったんは割り切った積もりだったが、
   日が経つに連れてそうはいかなくなった。

   母はどれほど惨い闇を生き抜いたのか。

   夫と三人の子とも別れた母が背負った闇の重さとは? 傷心の母は
   父と出会う。何処で、どのように?

   父は傷心の母に惹かれる。母は過去の闇をありのまま父に打ち明け
   る。母は父の心に賭けたに違いない。父は悩み抜いた末(あるいは
   そうでなかったかも知れない)、母の闇を引き受ける

   二人は、光の結び目となることに躊躇しなかった。結ばれた。一途
   な愛に燃えた。父は母を愛した。父の愛に母は応えた。母は五人の
   子どもを産んだ。しかし・・・。

   闇の中に取り残された三人の子。どれほどの光で後に来た五人を照
   らそうとも、母はあの闇の子らとの絆を断ち切れるはずはない。

   母は四十代半ばで死んだ。われわれは子どもだった。成人した後も、
   父は母との出会いを一切、話さなかった。何故だろう? 叔母さん
   も母の闇を知りぬいていた。しかし、彼女も母の闇の封印を解かな
   かった。父と、母と、叔母さんと、三者三様の強靭な沈黙。

   母よ。幼い日の記憶を辿り、あなたの背負った闇のことを考えてい
   ます。母よ、父を会社に、姉と兄を学校に送り出したあと、あなた
   は洗濯 拭き掃除をすませると、髪を整え、身なりを正し、清まっ
   た部屋の隅の仏壇の前に、何時も正座しましたね。背中に赤ん坊の
   妹を負ぶって。それから少しの時間、手を合わせ、一心不乱に拝ん
   でいました。その間、わたしと弟は、あなたの周りを無心に、ぐる
   ぐる、駆け回っていました、ね

 詩作品ですから、現実とは切り離して鑑賞した方が良いと思います。その前提でも「三者三様の強靭な沈黙」があった時代を考えてしまいますね。確かに昔はそうでした。私は作者よりちょっと年下になりますけど、似たようなことは聞いていますし若干の体験もしてきました。作品を通して感じるのですが、やはり女性が自立できていなかった時代だったのだなと思います。現在でも自立できているとは思えないし、仮に自立できているとしても問題は多々ありますが…。そんなことを考えた作品です。

 最終連2行目の「父を会社に」は、原文では父の会社に≠ノなっていました。勝手に誤植と判断して変更してあります。ご了承ください。




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