きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.8.12(木)
夏休み明けの出勤2日目。身体もだいぶ慣れて、仕事も順調に進んで、17時半にはオシマイにして帰宅しました。夕陽がきれいでしたね。思わず写真を撮ってしまいました。
隣家の花を拝借して、足柄山の夕陽です。そろそろ秋の気配かなぁ、暑さはまだ続くのかなぁ。おお、そうだ、残暑お見舞い申し上げます(^^;
○季刊個人詩誌『天山牧歌』64号 |
2004.7.31 | ||||
北九州市八幡西区 | ||||
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
ボランティア 稲田美穂
孫娘がボランティアをするという
身体障害者の施設へ三日問
それはよかったね、と言おうとしたが
ふと何かが心にひっかかった
はたと気がついた、
そうだ、六十年前だった
小学生のわたしもボランティアをしたことがある
勤労奉仕という言い方だったけれど
その頃、この国は戦争一色で
食べるものも着るものもなく
弁当一つ作れなかったから
授業は午前中だけだった
その授業時間の午前中でさえ
先生に引率されて、しばしば近辺の山々へ
炭坑に必要な坑木出しに出かけて行った
夏のある朝の作業中
誰かが上から転がした一本の坑木が
下手にいた男子の頭にぶち当たった
先生はおろおろと男子の頭を
谷川の水で必死に冷やしつづけた
わたしたちは目を瞑った蒼白のその子の顔を
息を呑んでみつめていた
毎日学校で先生に教えられた通りに
国の期待に沿った少国民にならねばと
率先して小さな身を粉にして働いた
かつてのわたしの姿が
いま、ボランティアに行くという孫娘に
なぜか二重写しに見えて来る
「勤労奉仕」は「ボランティア」と言葉を変えて
いつのまにか
見事に復活している
この視点は重要だと私も感じています。「勤労奉仕」という経験は無い世代ですが、昨今の嫌煙に疑問を抱いています。「ボランティア」も嫌煙も正面切っては反論できないところにもどかしさを感じているのですけど、健康、健康と云われると、誰のための健康?と疑ってしまうのです。ヒトラーが体力増強運動をやった時代を知識として知っていますから、不気味なんですね。
「見事に復活している」のは「ボランティア」や嫌煙だけではないのかもしれません。そんな敏感さを持つのも詩人の役割でしょう。「弁当一つ作れなかった」時代を体験したくないものです。
○岡本光明氏詩集『呼吸』 |
2004.8.15 | ||||
東京都新宿区 | ||||
土曜美術社出版販売刊 | ||||
2000円+税 | ||||
嫌悪
性的に
競争的に
破滅的に
人間嫌いである
歴史的に
社会的に
文学的 本質的にも嫌いである
と
なるべく嫌いなことを見ないようにすると
余計に目の前に現れてくる
回避的原風景を
砕かなければならないから
全神経の忘却の深みから
呼び戻して
試されることの馬鹿馬鹿しさによる
空気の濁りに耐えて
性格テストを受けると
否定の概念になった
すべてを垂れ流しても
亡国の小人の手先になることはしない
と
先人のさらされた文体を集めて
混沌の静寂に遊ぶ
ああ 緑の大地が剥げていたので
無知を煮詰めて
投票箱を開くと
自己否定の風景を掠めて
そうして
歴史のしっぽが外れた
日常性を固着させて
苛立ちで 体を震わせて
人が身をかわしながら 攻撃してくる時
何も知らず
すべてを憎んでいた気がする
行動が失禁して
悲嘆が分裂していたから
道化が
顔を赤くして
謎を言語になぞらえていたのは
嫌悪の変形であった
人が死んで
遠い過去が明確に形を覚えているが
自己嫌悪の恒常性を
歯をくいしばって 守っても
あるかないかわからない
言葉の結び目を
本来に導いて
むしろ ごまかしの言葉を
含ませて
間違いを捜すのは簡単だ
確実に現れるのは
生理的理由
そして確実に死んでいく
「嫌悪」について明確な言葉で述べられていて、一種の清々しさを感じます。「確実に現れるのは/生理的理由/そして確実に死んでいく」という最終連の詩句もうまく収まっていると思います。私は何より「歴史のしっぽが外れた」というフレーズに惹かれました。「嫌悪」にも歴史がある、というのがこの作品の一つの主題だと思います。硬質で、誠実に物事に対応しようとする姿勢が見える詩集と思いました。
○詩・エッセイ・随想誌『天秤宮』21号 |
2004.8.1 | ||||
鹿児島県日置郡吹上町 | ||||
天秤宮社・宮内洋子氏 発行 | ||||
1000円 | ||||
背広 茂山忠茂
背は広いが
胸元は開いている。
「胸襟を開く」というが
開いて何を語ろうというのか
聞いているふりをして
内ポケットは深く暗い。
両手をつっこめる
外ポケットもある。
何が入っているかるかは
分からない。
前には
ボタン二個しかないので
すぐはずすことができる。
ボタンをはずし
胸元を開いて
紳士は
タテマエを語る。
手は
ズボンのポケットに
つっこんで
拳を握っている
この作品はよく判りますね。会社での私の普段着は作業服なのですが、出張や来客接待には「背広」・ネクタイの着用が義務付けられていますので、月に2〜3度は着ます。たまに着るから余計に感じるのかもしれませんが、確かに「内ポケットは深く暗い」し「手は/ズボンのポケットに/つっこんで/拳を握っている」ことがありますね。
それにしても、私は「紳士」ではありませんけど「タテマエを語る」の汲々として「胸襟を開く」ことは意外と少ないものかもしれません。サラリーマン心理を見事に表現した作品だと思います。
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