きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.24(火)

 強制夏休みの4日目。今日は東京都美術館に行ってきました。知り合いの絵描きさんから招待状が届いて、日本詩人クラブ会員を誘って行ってみたら彼女も別の招待状を持っていて、二つとも観てしまいました。誘った女性も絵を描いていますから、いろいろ解説してもらえて良かったですよ。考えたら、今まで展覧会に同行してくれた人って、意外と絵が判らない人が多かったなと思います。私も本当はよく判っていないのですが、私がいいと言った絵は彼女も同意してましたし、彼女が褒めた絵は私も好ましく思いました。おっ、オレって意外と判っているのかな! なんて単純に喜びました(^^;
 お目当ての絵は以前に比べると格段に上達しているように見えました。内面の複雑さは残しながら広がりを持ち始めたように思います。単純化した中に複雑さを採り込む手法が出来上がりつつあるようにも思います、、、なんて、判った風な言い方をしていますが(^^;

040824.JPG   帰ってしばらくしたら、いい夕焼けになっていました。
これは書斎から見た東の空です。
東空が夕焼けになるのは珍しく、思わず撮ってしまいました。
右のこんもりしているのが神社の欅、正面の山が丹沢山系西
外れの松田山です。光っている枝は隣の畑の蜜柑の木です。
写真では空全体を撮れないのが残念です。













貞松瑩子氏詩集『風の情景』
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2004.9.5
東京都調布市
方向感覚出版刊
非売品
 

    ある時 風にしたためて娘へ
                     作曲 岩河三郎
                   04年初演
 
   夕ぐれは 優しい 瞳のいろ
   足もとから 鳥が立つように
   飛び立っていった 娘よ
   食卓に 花を飾り
   お前の 幸せを 見ている
   素直な愛の 象
(かたち)を見ている

   降りそそぐ 月の光が
   やわらかく 辺りを包み
   うたた寝の 夢路のなかで
   風に舞う 妖精のよう
   今も たおやかに 踊り続ける
   けなげに 美しい お前の手脚
(てあし)

   嫁ぐ日の 晴れやかな 装いに
   微笑みの あどけなさ
   かけがえもなく いとおしい
   お前のしぐさ 声音
(こわね) 温もり
   気がつくと また お前を真似て
   お前のなかに 埋もれてしまう

 副題に「歌曲のために」とあり、この4年ほどに演奏された作品を収めてあります。紹介した作品は、まず第1行目に惹かれました。「夕ぐれは 優しい 瞳のいろ」、いいフレーズだと思います。この詩人はこのような形容を書かせたら天下一品なのではないかと思います。「夕ぐれ」と「瞳のいろ」は、実は合わないはずなのですが「優しい」という言葉が入ることによって可能にしていると言えるでしょう。言葉をねじ伏せるのではなく、組み合わせることによって新しいイメージを創りだしていく。流行言葉のようで嫌なのですが、まさに言葉の力≠見る思いがします。

 最終連の「気がつくと また お前を真似て/お前のなかに 埋もれてしまう」というフレーズもいいですね。成人した「娘」への素直な寄り掛かり、なかなか書けない部分だと思います。「風にしたためて娘へ」という思いもあるかもしれませんけど、逆に「娘」から風をもらっているようにも感じた作品です。



詩と評論・隔月刊誌『漉林』121号
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2004.10.1
東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏 発行
800円+税
 

    雲雀が今年も    田川紀久雄

   六月三日今年初めて雲雀の鳴き声を聴いた
   今年もまた聞くことができてほっとした
   この荒川の土手にはまだ雲雀が棲む場所があるのだ
   東京の風景はどんどん変わってゆくのに
   古いたたずまいは巨大なビルに姿を変え
   江戸の香りがあった路地裏の道も姿を消し
   そこに棲んでいた
   野良猫達も
   いつのまにか姿が見えなくなっていた
   壁にへばりついているイモリの姿も
   ここ数年見たことがない
   小学校の裏地から
   夜中に蛙の鳴き声が時たまする
   都会の中でも昔ながらの光景が窺えることに安堵する

   人の心もどんどん変わってしまった
   人に対する思いやりも消え
   ちょっと注意をすると
   反対に喧嘩ごしの批判をあびせられる
   先輩に対する礼もなくなった
   弱い立場の人が
   もっと弱い立場の人をののしったりする
   すこしでも人の過ちをカバーする気力もなくなっている
   定職につけずアルバイトをしても
   まるで餓鬼を扱うように罵倒されることもある
   若い頃私がアルバイトをやっていた頃には
   そんなことは一度もなかった
   みんなが助けあって生きてきたように思う
   貧しいことをそれほど気にせずに生きてこられた
   ところがバブルがはじけたころから
   貧しいことに苦痛を感じるようになってきた
   それは仕事がなくなってきたからでもある
   明日の生活が見えてこない
   今日精一杯生きていられば
   明日はなんとかなるだろう
   なんていう言葉すら口からは出てこない

   妹の成人後見人の許可もなかなかおりてこない
   妹の年金の管理をちゃんとやってこなかったからである
   妹の面倒を見るためにどれだけ苦労してきたかなど
   家庭裁判所では理解してはくれない
   父母の死後妹の面倒をみるため
   会社勤めもやめ
   喫茶店をやりだして失敗したことも
   なにもかも私の人生航路が変ってしまったことも
   そのあげくの果てが家庭崩壊を招いたことも
   けれどそのために私は妹を責める気にはなれない
   これも私の運命
(さだめ)だと思っているからだ
   失うものがいっぱいあった
   しかしそのお蔭で得るものもあった
   自分を見つめること
   そして絵を描いたり
   詩を書いたり
   その上に詩語りの道まで見出してきたことを思えば
   妹の面倒をみることで
   私は大きな得をしたと思っている

   六月の上旬
   雲雀の鳴き声を聞くことができた
   荒川の河原で詩語りが今日もできたからである
                         (二〇〇四年六月四日)

 「妹の面倒を見るためにどれだけ苦労してきたか」、「そのあげくの果て」に「家庭崩壊を招いた」けれど、「そのために私は妹を責める気にはなれない」。それどころか「妹の面倒をみることで/私は大きな得をしたと思っている」。この言葉に感動しますが、ここに至るまでには相当の紆余曲折があっただろうと思います。簡単に「私の人生航路が変ってしまった」としか書かれていませんけど、その言葉の裏を想像してしまいます。

 そんな個人的な苦労と「貧しいことに苦痛を感じるようになってきた」のは「バブルがはじけたころから」だと、社会との関連をきちんととらえているところに、この作品の魅力があると思います。さらに「今年初めて雲雀の鳴き声を聴い」て「ほっとした」と、自然への眼もちゃんと持っています。自然、社会、個人と重層的な関心を表出させた見事な作品だと思いました。



阿部堅磐氏著『春日井建の短歌』
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詩歌鑑賞ノート(七)
2004.8.20
愛知県刈谷市
私家版
非売品
 

    舞ひ狂ひたり    阿部堅磐

         −春日井建兄逝く

   建さん
   あなたの訃報に
   触れた時
   ――逝くには早すぎやしませんか
   思わず私は呟きました

   二十二歳
   歌集「未青年」
   前衛短歌の新星として
   デビューしたあなた
   短歌創作の一方
   ドラマやラジオの脚本も手がけ
   演劇運動にも活躍
   (古事記をヒントにあなたが演出した「お父さまの家」は楽しかったですね)
   歌誌「短歌」の編集発行
   (ここには私は「万葉の恋唄」を連載させてもらったものです)
   ついで <中の会> への多大な尽力
   二〇〇〇年
   「友の書」「白雨」で
   迢空費を受賞したことなど
   広く知られているところです

   あなたが三十五歳
   私が二十九歳の時
   あなたの父上O先生より
   あなたを紹介されました
   以来 時々喫茶店で話し合ったものです
   語らねば更けなかった夜々

   あなたが書いたラジオドラマ
   「赤猪子
(あかいこ)」の録音テープを
   あなたの書斎で聞いた夕
(ゆうべ)の一刻(ひととき)
   その後 定家や俊成について
   心ゆくまで論じ合ったものです
   静かにゆっくりと
   うなづくのはあなたの癖でした

   忘れられない
   尾張国府宮の儺追
(なおい)神事
   それに参列した夜の思い出
   昼の裸祭で
   神男を務めた儺
(おに)のむごたらしい赤い背
   かいま見た二人ともびっくり
   思わず顔を見合わせたものです
   儺鼓
(だこ)が鳴り
   庭に神男が降りて来た時
   その面
(おもて)を映す左儀長の炎

    <火祭の輪を抜け来たる青年は霊を吐きしか死顔をもてり>

   あなたの名歌のその顔
   二人ともそう言って領き合いました
   神男は神事から言えば儺
   そこで取り出す
   あなたの古い色紙
   懐かしい
   花祭の折の歌

    <悲しみを問へ問へ問へと笛の音いつしかも鬼は舞ひ狂ひたり>

   鬼は見事にその芸術的生を
   舞い狂い得ましたか
   残されたこの身も
   詩的生命を舞い狂い続けましょう
   あなた同様に

 副題に「歌集『未青年』『行け帰ることなく』『青葦』より」とあり、今年亡くなった歌人・春日井建氏の追悼作品鑑賞です。紹介した詩の中にも出てくる短歌を懇切丁寧に解説していました。
 紹介した追悼詩は春日井建という歌人の人間味がよく出ていると思います。「前衛短歌の新星」「ドラマやラジオの脚本も手がけ/演劇運動にも活躍」「迢空費を受賞」などは誰でも書ける経歴の部類でしょうが、「語らねば更けなかった夜々」「うなづくのはあなたの癖でした」「二人ともそう言って領き合いました」などのフレーズから滲み出る歌人の姿は、直接接した人にしか書けない部分だろうと思います。何より二首の短歌が歌人を雄弁に物語っていると云えましょう。

 私は短歌の世界は門外漢で、春日井建という歌人を初めて知りました。しかし、この著でかなりの部分が判った気でいます。そういう出会いを演出していただけるのも「詩歌鑑賞ノート」の魅力です。勉強させていただきました。



詩と評論季刊誌新・現代詩14号
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2004.9.1
横浜市港南区
知加書房・出海渓也氏 発行
850円
 

    詩人    武西良和

   ぼくらは
   深い緑が波だっている
   木に登って詩を
   探していた

   だがどこまで登っても
   木は低すぎて詩は
   どこにも
   見えなかった

   葉も風に揺れていた
   見えそうになったと思ったらすぐに
   隠れてしまって
   空の青と
   雲の白
   しか見えない

   詩はどこかに
   あるものではなく
   木と葉裏
   との関係によってあるいは
   葉と景色
   との組み合わせによって
   生まれてくる

   詩を書こうとする
   情熱が
   それらの組み合わせを詩に
   移行させるのだ
   その情熱が
   木を揺すっている

   風景の組み立ての
   不自然さ
   から詩が湧き上がる
   さわさわと揺れる枝葉の隙間から
   夏の光が
   秋を誘っている

 「特集・詩人の条件」の中の作品です。正攻法てはありますが詩人の条件≠うまくまとめて書いていると思います。「木に登って詩を/探していた」と、志を述べ、詩は「木と葉裏/との関係によってあるいは/葉と景色/との組み合わせによって/生まれてくる」と、詩の生成の秘密についても行き届いた見方をしています。「詩を書こうとする/情熱が/それらの組み合わせを詩に/移行させるのだ」というフレーズはまさに詩人の条件≠ナしょう。
 最終連もいいですね。「夏の光が/秋を誘っている」という詩句は詩の本質を見事に表現していると思います。詩について、詩人についてこれだけ的確にまとめられた作品を、私は初めて眼にしました。



詩誌hotel第2章11号
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2004.8.1
千葉市稲毛区
根本明氏方・hotelの会 発行
500円
 

    Pの地ふたつ    根本 明

   (子規庵まで)
   煙る雨のなかに
   ホテル群の青やピンクのネオンがどこまでも滲み
   振り返るたびに谷中の卒塔婆の崖が
   生の刻限を隈どってなだれるのに
   その人とたどりつかない
   外国人娼婦の面しろく濡れ下水溝のうえで裏返って
   どこだろう、ね、もう
     紫陽花や鶯の谷を走り水
   とその人が腕を強くかかえてささやくので
   こちらもぐっと低いバルトリンの声で
     愛の湯はじく猿の雌雄は
   なんて付句もどきで顔をかくして
   「HOTEL SEESE 休憩4700円」
   と書かれた門をくぐってしまう

   みて、あそこかしら
   後背にスカートをたくしあげたその人の
   水桃のはざまだ
   緑あざやかな小庭がうきあがった
   あれだ、夕顔の蔓も鋭く
   梅花ウツギの白い花が水をたたえて垂れる
   足萎えて
   性ともっとも遠い発句の庭に
   たどりもつかず
   無数のPや劣想が四囲にそそりたち
   恥しらずなかたちで見下ろしてるわけですか
   「糸瓜咲て」の碑が鈍く光ると
   幻なの、とその人の声がシーツをくぐもる
   ホテル街もPにさらわれるわたしたちも
   いや、この有限と愚劣でいいよ、と果汁を吸い
   雨にさらに新しい時間をみつめる

   (千葉栄町のビワの木はさびしい)
   ビワの木は痩せ
   源氏名を脱ぐトイレ陰らし
   三浦屋、角海老、エーゲ海だ
   そのビルの間を
   また地を黄の実で汚すところを
   呼び込みたちが老いた拳を振りあげる
   蒼白な顔で腰をゆらして
   じゃんけん、かな
   都川の対岸でわたしは見る
   勝ったらしい猫背の男が両手をあげるが
   ここまで声は届かない
   路地を抜ける若者を
   猫背が追い掛けていく
   一万五千円ぽっきりでいいからさ、と
   しわがれた喉が鳴ったろう
   都川を潮は満ち
   浮かぶ風呂椅子状のもののうえで
   カワウが水底を探るけど
   ここはPの地なので
   自分の股間を覗き込むかたちに見える
   低い天を強風に振れる裸電球のように
   モノレールが滑りその光に
   ビワの実がまた照る
   各階の擬態するPなベッドがそこからは見えるだろうか

 「特集・ポルリグラフィ(か)?」の中の作品です。ちょっと長かったのですが2篇とも引用しないと伝わらないと思って転載してみました。今回の特集について同じ作者が「付記」を載せています。こちらも長いんですけど重要な点を述べていますので全文を紹介します。


    ポルノに呼ばれて――特集のための付記    根本 明

   「ポルノな詩」ってあるのだろうか? それはエロテ
   ィックな詩や性表現を突出させた詩、さらには性そのも
   のをモチーフとした詩とどう重なり、また異なっている
   のか。
   「エロチシズム」は広辞苑では「(エロスに基づく)恋
   愛・性愛を重んじたり、誇示したりする傾向。好色。煽
   情」とある。大辞泉では「性愛・情欲をよび起こす性質。
   芸術作品などで、そのような傾向の表現」とある。広辞
   苑の説明にやや首を傾ける気になるのは、時代的にエロ
   チシズムと思われる表現が当たり前になっており、其自
   体が「好色・煽情」とはいえない状況になっているから
   だろう。この「好色・煽情」はいま「ポルノ」と呼ぶも
   のに近いのではないか。そのためか広辞苑には「ポルノ」
   という言葉はない。
    で、大辞泉では
    ポルノグラフィ― 性行為の描写を売り物にした読み
   物・絵画・写真・映画など。ポルノ。
    とある。また岩波大英和辞典でも「春画、好色文学」
   となっている。「性行為の描写を売り物に」するという
   ことは、性を前面に出すということと似ているが違って
   もいる。過度なエロチシズムとポルノは表現されたもの
   の差し出される場が異なる。ポルノは性を商品として売
   ることを目的に作られるものであり、芸術性や文学性を
   含んでいたとしてもそれが一義的なことではない。
    つまり、ポルノという場に詩の出番はもともとないと
   いうことだ。「ああ、みだれみだれてうつる白いけむり
   の肉、/ぽってりとくびれて、ふくふくともりあがる肉
   の雨だれ/ばらいろの蛇、みどり色の犬、ぬれたように
   ひかる あつたかい女のからだ、」(大手拓次「鏡にうつ
   る裸体」)も、「女よ、/このうす青い草のいんきで、/
   まんべんなくお前の情欲をたかぶらしめ、しげる草むら
   でこつそりあそばう、」(萩原潮太郎「愛憐」)も先鋭な
   エロチシズムの表現であってもポルノとは一線を画する
   ものだ。自己表現としての詩の外に、街の雑踏の流れの
   中にあふれるものがポルノだ。
    「詩は、人を、エロティシズムのそれぞれの形態と同
   じ地点へ、つまり個々明瞭に分離している事物の区別が
   なくなる所へ、事物たちが融合する所へ、導く」(ジョ
   ルジュ・バタイユ『ロティシズム』)という。 しかし
   ポルノによって詩が永遠なる地点へ向かうことは不可能
   かもしれない。だから詩の「ポルノグラフィ」とはただ
   自己から、表現の制約から逸脱することのひとつの符牒
   でしかない。タイトルが仮題であるのはそのためだ。
    中高年の詩を書く人たちよ、道を踏み外して、恥知ら
   ずな悪路に悶えつづけよ! この特集の意味はそんなと
   ころにある。

 「タイトルが仮題である」ことと「特集の意味」がよく判ると思います。「ポルノという場に詩の出番はもともとない」ことの理解、「ポルノによって詩が永遠なる地点へ向かうことは不可能」であることも理解できるのではないでしょうか。素晴らしい論理の展開だと思いました。
 さて、そういう論理のもとで制作された作者の詩はいかがだったでしょうか。確かに「自己表現としての詩の外に、街の雑踏の流れの中にあふれるもの」とは違う印象を私は受けました。特に二つのタイトル、「(子規庵まで)」と「千葉栄町のビワの木はさびしい)」にそれが象徴されていると思います。それにしても「中高年の詩を書く人たちよ、道を踏み外して、恥知らずな悪路に悶えつづけよ!」との檄、これが意外と難しい(^^;




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