きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.28(土)

 神奈川県秦野市の紙芝居カフェ「アリキアの街」へ行って、パソコンをセットアップして、オフラインでHPを見てもらいました。簡単な創りだったのですが喜んでもらえて一安心です。店としてメールアドレスも取れていない状態ですからアップできるのはしばらく後になりますけど、まあ、必要最小限は創っておきましたのですぐにアップできます。その節はここでも紹介しますから是非見てあげてください。1950年代の珍しい紙芝居の表紙も入れるつもりです。その頃の日本文化の発信ができればいいなと思っています。





  詩とエッセイ誌『千年樹』19号
    sennenjyu 19.JPG    
 
 
 
 
2004.8.22
長崎県諌早市
岡 耕秋氏 発行
500円
 

    眠りにつくことは    鶴若寿夫

   眠りにつくことはとても難しい
   お前は眠りに就くつもりで
   冷たい土地に濡れた 三本の湿った煙草を喫う
   迷路のような人生に似た煙草の一瞬の愉楽が
   夜の存在と時間の狂気に犯され
   不在という存在のかたちは無形で
   私たちの時間の糸が切られ
   私たちの存在の糸を切断し
   私たちの関係の糸は消えた

   本当に太い骨がごろりと揺れる深い 言葉の先端
   父は無名な兵士だった
   重い背嚢を背負い 位置を失う
   存在はいつも先端から落下する
   暗く悲しいだけの狂気が詰まった背嚢の皺と父の皺が重なる
   父の軍歴と戦争の悲しみが重なるように
   父と話した幼い頃の思い出はいつも静かすぎ
   兵士としての父は死人のようで
   狂気から十三年
   父さん それは良かったのでしょうか?

   思想信条は家族といえども自由だと
   「当たり前のこと」を言いながら
   戦争を擁護した父
   眠ることも 目覚めることもできない時間
   死んだ父とぼくは話しあう
   「どうして戦争に行ったの」とぼくは問い
   「父さんも人を殺したの」とぼくは指のすきまから真実を見るように
   問う そして
   問いと問いの間に困惑している父を見る
   父の眼には涙が溢れ
   父の皺の深さは更に深くなる

 かなり重いテーマの作品だと思います。「父さんも人を殺したの」とは、「無名な兵士だった」父を持つ私もいまだに聞けないでいます。私の父の場合は少なくとも「戦争を擁護」してはいないのが救いなのですが、「思想信条は家族といえども自由だと」「戦争を擁護した父」を持ち、しかも父上が亡くなっているようですから、「眠りにつくことはとても難しい」のかもしれません。
 しかし「問いと問いの間に困惑している父を見る」というフレーズが救いでしょうか。「眠ることも 目覚めることもできない時間」が出来てしまうのは私たちの世代の必然なのかもしれないと考えさせられた作品です。



  秋吉久紀夫氏著シルクロード・詩と紀行
    silk road.JPG    
 
 
 
2004.8.30
福岡市中央区
石風社刊
2000円+税
 

    棉畑のなかでの祈り

   夕暮れどき、ホークン郊外のヨトカン遺跡を訪ねる。
   吹きすさぶ土壌のなか、ポプラ並木は天を突き刺し、
   雪をいただくコンロン山脈は遥か南に壘々と峙つ。
   なのに、街路樹に並行して緑の棉畑がつづき、
   この古代の于
(うてん)国の城に到着する前に意外な光景に遭遇した。

   八月、棉の花のピンクに咲く畑のなかでは、
   いとも神々しい厳粛な祭儀がとり行われていた。
   ムスリムの毎日五回のメッカの神殿への礼拝である。
   いま執り行うのは日没直後の沈黙のなかでのき跪拝(きはい)、
   ターバンを巻き髭がむしゃらの農夫が三人祈りを捧げている。

   時折、各自の唇が動いているからには、
   きっと口々に願いのことばが唱えられているにちがいない。
   確かコーランでは、最後の審判の日が来る前に、
   大地は割れて裂け、星座は四散し、海は大津波を惹起し、
   次々と天地がひっくり返るほどの災害が起ると記されている。

   わたしの心を襲った刃
(やいば)は、かれらの祈る畑の棉花。
   それというのも、「クルムード」に、この棉は、
   「イェドゥーア」という魔法に使う動物の骨だといい、また
   その動物は「スキタイの仔羊」だと説く書物すらあるため、
   つまり棉の茎にはメロンみたいな仔羊が実るというのだ。

   そもそも、この話は古代のユダヤ人たちが、
   中央アジアの遊牧民だったタングート族のもたらす
   見たことのない真っ白でふっくらとした棉花を、てっきり
   羊毛の一種だと誤解したために生じたということなのだが、
   わたしは昨今のパレスチナでの殺戮の原点だと思えてならない。

     *タルムードの説。「ミシュナ」の「キライム」第八章第五節およびそのサンスのラビシメオ
      ンの注釈による。(
The Vegetable Lamb of Tartary;A Curious Fable of the Cotton Plant by Henry
         Lee:London 1887
 一九九六年四月博品社刊尾形希和子武田雅哉訳『スキタイの子羊』)。
     **スキタイ(
Scythians)。紀元前一〇世紀ごろ、内陸ユーラシア大陸の草原地帯であるアル
      タイの東、内モンゴル地区にいた遊牧民だったが、やがて匈奴の攻撃に遭い前八世紀ごろか
      ら中央アジア、南ロシアに移住、スキタイ王国を樹立した。が二世紀には新たな征服者であ
      るサルマートに、クリミヤ半島に封じ込められ遂に滅亡したが、歴史的にもっとも古い騎馬
      遊牧民族であった。その遺跡からは金銀銅の貴重な器具が出土する。

 九州大学名誉教授である著者が、専門の中国文学の現地見学として1999年と2000年に訪れたシルクロードの詩と紀行文をまとめた著作です。第一部が「シルクロード詩集」、第二部が「シルクロード紀行」となっています。詩作品はこのHPでも個人誌『天山牧歌』の中の作品を何度か紹介していますので、覚えていらっしゃる方も多いと思います。詳しくは
こちらの『天山牧歌』過去ログをご覧ください。

 この著で圧巻なのは、やはり第二部「シルクロード紀行」です。福岡空港から西安、西安から空路敦煌へ、敦煌では莫高窟を見、車で蘭新鉄道の柳園駅へ。柳園からトルファンまでは特急列車の旅。そこから先は車で日本列島を2回縦断するほどの車の旅。タクラマカン砂漠を周回するようにウルムチ、コルラ、クチャ、アクス、カシュガル、ギタンジャリ、ヤルカンド、ホータンと長い旅が続きます。ホータンからは空路でウルムチへ戻り、そこで紀行文は終了していました。
 本著にはシルクロードの略図も添えられていましたが、私は書棚の世界地図を引っ張り出して、それとも見比べながら夢中で読んでしまいましたね。もちろんご専門の中国文学に関わる各地の詩人・中国五千年の英雄たちの姿も史跡とともに登場してきますが、過去の史実を追体験するだけの旅でなく、現在の人々の生活を真摯に見ている著者に私は感動を覚えました。

 紹介した詩は、そんな著者の姿勢が良く現れている作品だと思います。特に最終連の「わたしは昨今のパレスチナでの殺戮の原点だと思えてならない。」というフレーズは紀行文の中には表現されていないもので、これはやはり詩で表現したかったのだろうなと愚考しています。中国文学、とくにシルクロード周辺を舞台に活躍した人々を知るには絶好の著ではないかと思います。読みやすい文体と簡潔明瞭な解説で初心者にもお薦めの1冊です。




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