きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.8.31(火)

 8月最後の日。台風16号は大きかったですね。皆さんの処はいかがだったでしょうか。大きな被害が出ていますので案じています。私の所は幸い庭のバケツが飛んだぐらいで済みました。

040831.JPG   台風一過、きれいな月が出ていました。
庭の椿越しに見た月です。
田舎だから、まわりの照明に影響されていません(^^;
それにしてもデジカメで月を撮るのは難しい。
ピンボケですみませんが雰囲気だけを味わってください。









  季刊文芸同人誌『青娥』112号
    seiga 112.JPG    
 
 
 
 
2004.8.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    夕陽    竹下初代

   秋桜の花が散りかけて
   肌寒くなりかけた頃
   チカばあちゃんの家の前に
   竹カゴがつるされているのを見た

   夏の暑さがこたえたのか
   寝こんだらしい

   春に植えられた 野菜も
   村人たちの手で掘り起こされ
   土のついたまま 新聞紙の上に置かれていた

   もう一人で住むのは 無理かのう

   今日 煮ころがしを竹カゴに入れておく
   明日は あんたが何にか 入れておくれ
   町に行かせるのは かわいそうよ

   竹カゴは一か月間程つるされた

 心あたたまる作品ですね。「一人で住む」「チカばあちゃん」が「寝こんだ」ら、食べ頃の「野菜」は採ってくれるし「煮ころがしを竹カゴに入れておく」。それも「村人たち」何人もが「明日は あんたが何にか 入れておくれ」と声を掛け合って…。「竹カゴは一か月間程つるされた」のは、病気が治ったからでしょうか。「町に行かせるのは かわいそうよ」というみんなの思いが通じたのかもしれません。
 「夕陽」というタイトルにも注目する必要があると思います。「土のついたまま 新聞紙の上に置」いたり「竹カゴに入れておく」のは、きっと一日の畑仕事が終った頃なのでしょう。出来る範囲で、少しの時間で、無理をしないでやれることをやるという自然さが滲み出ていることをタイトルは知らせてくれています。「村人」のそんな自然さを、実は作者も持っているのだと感じた作品です。



  詩誌『墓地』52号
    bochi 52.JPG    
 
2004.9.1
栃木県宇都宮市
矢口氏方 山本十四尾氏 発行
非売品
 

    弄る    山本十四尾

   弄る まさぐると読み 弄る いじると決し
   て声にしない世代がある まさぐる欠望群と
   いってよい昭和十年前後生まれの男たちだも

   強制にしろ縁故にしろ疎開させられて いち
   ばんまさぐりたかった母の乳房に 触れられ
   なかった戦争の傷をもった連中だ

   男たちは弄るを女に人生に激しく求めつづけ
   疲れて 最近の訃報欄では突出した年代にな
   っている

   そしていま、男どもは世に咆哮しつつ 自分
   のそう遠くない着陸点をまさぐり続けている
   母のやさしいふくらみとは極端に異なる世界
   の硬質の土壌で

 「弄る」という一字から一つの世代を言い表した素晴らしい作品だと思います。「最近の訃報欄では突出した年代にな/っている」というのは意識したことはありませんが、あるいはそうなのかもしれません。「そう遠くない着陸点をまさぐり続けている」という詩句にも現実味があって、思わずドキリとさせられました。自分の力ではどうにもできない、生れた時代というものを真正面に据えた、硬質な秀作だと思います。




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