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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.9.1(水)
今日から9月。まだまだ暑い日は続くでしょうが、なぜかホッとしますね。
防災の日ですから各地ではいろいろな訓練が行われたようですけど、私の関連するところでは会社も地域も何もやりませんでした。会社では様々な防災訓練を年に二度はやっていますので、改めてこの日にやる必要がない、地域では日曜日の5日にやるから今日は無し、というところですね。
まあ、それはそれとして防災の日であることだけは認識しておこうと思っています。
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○秋山淳一氏詩集『何もない空』 |
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2004.7.11 |
東京都日野市 |
Akiコーポレーションズ 発行 |
2700円+税 |
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かくれんぼ 〜「田園に死す」より〜
かくれんぼ
鬼になったら
みな逃げて
隠れて隠れる。
大きな木の祠、茂った藪の中、古い神社の縁の下、
積み上げられた稲束の中、人混みの中
鬼は一人、また一人
見つけて見つける。
でも、
一人だけどうしても見つからない。
見つからないまま
鬼は解かれず
少年はいつしか大人になり
年老いる。
そして、五十五年後の村祭りに
年老いた鬼は
誰かを探す。
誰を探すのか
大きな貯水塔、茂ったWEBの中、通勤電車の座席の下
積み上げられた契約書の中、
そして、人混みの中に。
著者の第一詩集です。ご出版おめでとうございます。
あとがきには「若々しい二十歳代から疲れた中年男となった現在まで、長い期間に渡って書き溜めた詩が混在している」とありました。しかし一読してどれが若い頃の詩なのか中年の作品なのか、判りませんでした。描き方の若干の変化は感じられますが、若い頃から1本、筋が通っている詩人なのかもしれません。
紹介した作品はそんな著者の姿勢をよく現していると思います。「一人だけどうしても見つからない」のは誰か、それは鑑賞者が求めればよいのかもしれません。「解かれ」なかった「鬼」は、おそらく著者であり私たちだろうと思います。「五十五年後の村祭りに」に現れて「誰かを探す」。結局、そんな生き方を私たちはやってきたと謂えるでしょうね。寓意として巧みに描かれた作品だと思います。
新しい詩人の出現に敬意を表し、今後のご活躍を祈念いたします。
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○一枚誌『てん』36号 |
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2004.8.15 |
山形県鶴岡市 |
万里小路 譲氏 発行 |
非売品 |
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踵のない靴 水島美津江
どこから集めてきたのだろうか
人々が飲み干した幾多のアルミカンを
うす陽射す公園の 片隅で
足裏に力を籠めて
いっしんに 押し潰す
踵のない靴
壊されていく も の た ち
繰りかえす 単調な影が
長いグリーンベルトのなかで 揺れている
ビルとビルの隙間に拡がっていく世界へと
放たれる一撃の水
高く
たかく のぼりつめようとするひとつの姿
定められている高低に
ふきあげられ
開かれていく 花びら
ひらききった瞬間に
逆風に煽られ
飛び
散って
かえっていく 水盤のなか
丹念に作業を終えた初老の男が 織りたたんだ
金属のかたまりを 背負い 崩れかけた垣根を
ひょいと 跨いで 姿を消した
サラリーマンやOLの間をすーと突き抜けてきた
透明な自分の存在を
つめたい石の椅子にすわって
まだ火照っている一日の災事をさましている
わたしの踵のないハイヒール
「人々が飲み干した幾多のアルミカンを」「いっしんに 押し潰す/踵のない靴」と「わたしの踵のないハイヒール」の対比がおもしろい作品だと思います。「ハイヒール」は当然踵の高い靴のことですから、その踵が無いというのですから、何事かと思うと、「透明な自分の存在」「まだ火照っている一日の災事をさましている」とあります。「一日の災事」の象徴として「踵のないハイヒール」があるんですね。
背景の噴水も「わたし」の心境を譬えるのに奏功していると云えるでしょう。「ひらききった瞬間に/逆風に煽られ/飛び/散って/かえっていく」光景が「透明な自分の存在」と巧く重なった作品だと思いました。
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○詩誌『波』15号 |
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2004.9.10 |
埼玉県志木市 |
水島美津江氏 発行 |
非売品 |
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かたな 綾部健二
秒針の剣先が
一転する間に 数度
冴えた句読点のような
疼痛がある
誇りを失わずに
言い切る 思い切る
草稿のままの
静かな訃………
逝ったジャズメンが残した
腐心のメロディーを
切先のとどかない距離と
角度を保って聴く
その男 その少年(かつての僕?)
左肩に残る傷は 切り取られた片翼の痕跡
ファインダーにおさまることのない
飛翔の記憶 そして刃の感触
ひとの いちばん大事なもの
(それは 単なる清さではない)
背筋をのばして みずからを
きれいに拭い去っていくこと
ショーウインドーに映る 都市のエロス
あるいは新しい定義の数々
忘れられた使者のように
帯刀したもうひとりの僕がいる
特集「忘れられているものたち」の中の1篇です。直接、それに係わる詩句は「忘れられた使者のように/帯刀したもうひとりの僕がいる」という最後のフレーズですが、各連も「忘れられているものたち」という観点で鑑賞できると思います。ただし最初の連は最終連と関連づけて読んだ方が良いかもしれません。まあ、そういう読み方もできるのではないか、ということで…。
それにしても盗みたくなる詩句が多いですね。「冴えた句読点のような/疼痛」「切先のとどかない距離と/角度」「新しい定義の数々」など、それだけで1篇の作品になって行きかねません。「かたな」というタイトルでそれだけの詩句が浮かぶ(あるいは逆かもしれませんが)、うらやましい限りです。
この詩誌には私も毎号書かせてもらっています。今回は書斎の窓から見えた雉を遣ってみました。機会があったらご覧ください……ん? このHPのどこかに書いた記憶があるな(^^;
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