きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.9.3(金)

 珍しく呑み会の予定もなく誘いもない金曜日でした。調子が狂うといけないので(^^; あれこれ顔を思い浮かべながら誘う相手を考えましたけど、結局やめました。来週は前半から2日続けての出張があり、その帰りに呑まなくてはいけないのが判っていますからね。たまには大人しい金曜日というのもいいものでしょう。早めに帰宅して、いただいた本を読んで過しました。




  詩誌『蠻』138号
    ban 138.JPG    
 
 
 
 
2004.8.20
埼玉県所沢市
秦健一郎氏 発行
非売品
 

    梅雨明け真昼どき    穂高夕子

   ぎらりゆらりと陽が射して
   真昼の道はうねっている
   郵便局と銀行と
   ちょっと歩こうと出てきたけれど
   日傘の下で三歩歩いて汗が噴き出す

   角を曲がると議員さんの門
   庭師がバッサバッサと剪定している
   はしごの上の黒い腕
   あっという間にモチの葉が積もっていく

   駅の近くの交番の裏手
   駐車場では警官三人が
   制服着用して訓練中
   ヘルメットの下の
   額に張り付いた前髪を掻き上げているのは
   まだ若い婦警だ

   いつも自転車を預かってくれる
   駅前農園のご主人とばったり
   「暑いねえ」と麦わら帽子が笑いかける
   畑に向かう後ろ姿に手を振って
   その手で汗を掻き落とす

   ぎらりゆらりと陽が射して
   梅雨明け七月の真昼は
   夏の凄さが押し寄せてくる
   そんな日射しを跳ね返して
   こんなに は逞しい

 本当に今年の夏は暑かったですね。暑い、暑いと私は自分のことばかり考えていましたけど、この作品では「そんな日射しを跳ね返して」「働く人」をしっかり見つめていて、作者の心の広さを感じました。登場してくるのは「庭師」「警官三人」「駅前農園のご主人」のたった5人なんですが、もっと大勢いるように錯覚してしまいます。街の風景がきちんと伝わってきていますので、5人以外の存在を感じることができるからでしょう。いわゆる筆の力≠セと思います。「梅雨明け七月の真昼」を詩人の眼で切り取った秀作だと思います。



  詩誌『サライ』2号
    sarai 2.JPG    
 
 
 
 
2004.8.25
栃木県宇都宮市
金敷善由氏 発行
800円
 

    おんなごころ    岡田泰代

   大部屋俳優の悪足掻きのように
   宙吊りの縄梯子をのぼっていく女
   腕一杯に伸ばしても掴めたのは糸屑と挨だけ
   それをゴミ袋に封じ込め 手を洗ってしまった…が
   接着剤で固定したり カラースプレーをかければ
   独特なフレスコ画に仕上がり
   衆目を集めるのは容易いことだったのに 何故
   視点を宙に止め盲目を演じてしまったのか
   女は 屈折した午前と午後にはさまれていた

   こおもて
   小面をつける事で他人になれる(とか)
   年齢をキープすることができると知った女は
   そそくさと露天市へ出かけた
   亀甲飴細工や射的・金魚すくい・唐辛子売り
   食欲をそそる烏賊焼き・その隣に面を並べた店
   桃太郎・月光仮面・鉄腕アトム……
   居並ぶ面々に女は迷ったすえ
   阿亀の面を手にして被った
   《醜女》ではなく《お多福》と自己流な理由付をして
   ほくそ笑んだのは言うまでもない

   引き攣った訛言葉に嫌気がさして
   女は まず発声法を学んだ
   かつての駄弁を篩にかけ 言葉の約束事を知ろうと
   友人・知人を招く
   又あるときはビデオを師匠に見立て口真似をする
   毀れかけた骨組みに筋肉を付け足して
   昔 夢見た貴婦人のシルエットを描きつつ焦ったが
   女の前の道は蛇行し始め
   ふり向いた踵の後には足跡すら消えていた
   オブラートに包んだ語尾は成型されず溶けかかり
   それでも女は逞しく日課を繰り返している

 「おんなごころ」というのは、よく判らないもののひとつなんですが、この作品で少しは判ったような気がします。最終行の「それでも女は逞しく日課を繰り返している」というフレーズが私にとってのキーワードで、そこから前に戻って考えるということを何度か繰り返してみました。
 特に「小面をつける事で他人になれる(とか)」というフリーズは印象的ですね。これが重要なキーワード。もう一つは「引き攣った訛言葉に嫌気がさして」という詩句でしょう。ここから広がるイメージで鑑賞しました。それからどうしても「それでも女は逞しく…」というフレーズへ達してしまいます。うーん、やっぱり「おんなごころ」は難しい(^^;



  月刊詩誌『現代詩図鑑』第2巻9号
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2004.9.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

    和田亀の遺言    宮原 結(みやはら ゆい)

   佐々木義足店の角のところでくろ太と出会った
   聞けば、和田亀のじいさんの見舞いの帰りだという
   まるめがいなくなってからというもの
   とんと足が遠のいていて知らずにいた

   七福堂のどらやきを片手に病室に入ると
   一番向こうの窓際のベッドに
   家にいる時よりもはるかに小奇麗な寝著を着た
   気丈夫な背中が見えた

   「和田亀」
   振り返った顔が以前よりやさしい
   困り果てた気持ちで立っていると
   「こんなとこで何やってんだ」
   言おうと思ってた台詞を先に言われた

   まるめは元気か
   いなくなったもののことをいつもそんなふうに聞く
   酒はほどほどにしておけと言っておけ
   嫌がる鼻先にムリムリ酒おしつけてたのは自分なのに
   あ、それよりね あいつとは別れたよ
   やっぱジュンアイじゃないとね ちょっとね
   ここぞとばかり耳の遠いふりをして和田亀は
   まあ食え、とあたしの買ってきたどら焼きをあたしにすすめる
   このチグハグさ加減が好きだったな
   そういえば、たぶん、絶対に

   帰りはひとつ手前の停留所で下りて
   商店街でししゃもを買った

   ネゴシさんに伝えようか?
   帰り際、そう聞いたあたしに
   今日はししゃもを買って帰れ
   と和田亀は言ったのだ

   いかにも夏らしい夕暮れの空気が
   商店街のざわざわをやさしく包み込んでいく

   往生、往生
   身体の中が空っぽでいっぱいになると
   和田亀はいつもそう言ったっけ


   「和田亀様
    ようやくかねしろ酒店の前まで来ました。
    ししゃもは十匹買いました。あたしとまるめと
    あいつと、そしてあなたの分、一人二匹づつです。あ、くろ太もくるかもしれないので。言
    われた通りカリカリに焼きあげるつもりです。たぶんできると思います。
    それにしてももう、誰も彼もがこの世にいないみたいに静かですね。
    往生、往生。
    それではまた。」


   そのなかをな、
   皿のししゃもを箸でツイとつまみあげると
   これがな、こう泳いでいくんじゃ、こう、こうだぞ
   いつかの和田亀がそう言って、焼き冷ましのししゃもをいつまでもいつまでも
   宙に漂わせて見せるのだった

 「和田亀」という魅力的な人間像が巧みに描かれた作品だと思います。どこにでも居そうで、でも決していないだろう「和田亀」という人の淋しさまで伝わって来ますね。「往生、往生」という詩句にそれがよく現れていると思います。
 「佐々木義足店」「七福堂」という具体的な店名、「くろ太」「まるめ」というおもしろい固有名詞も奏功していると云えるでしょう。詩でなければ書けない作品だと思いました。




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