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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.9.4(土)
土曜日。終日書斎に籠りっきりで、郵便物を取りに一度庭に出たのが唯一の外出=Bいただいた本をベッドで読んでいましたが、そのうち眠ってしまいました。気がついたのは3時間もあとのことで、よく眠れるものだと我ながら思います。まあ、そうやって体力を回復しているのでしょう。貴重な休日を昼寝で過せるのは幸せなことですね。
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○山田ひさ子氏詩集『春いろ』 |
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2004.9.1 |
千葉県茂原市 |
草原舎刊 |
2100円 |
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キーウィ
――くらあいところで
食べるものをさがして
土をつついていますから
闇のなかに一歩入る と何もみえない
――五分間じっとしていると
目がなれてきますから
それからものをみることに
集中して下さい
それまではじっと立っていて下さい
五分間じっと立っていると
あたりはぼんやりと
うすらあかるくなってくる
目がなれてくると
木がある
やぶがあり 水が流れている
じとっとしめった奥の方で
まるまっている影が
かすかに上下している
――あっ いる!
――シッ 静かに
声を出しておどろかせないで下さい
夜行性ですので
頭を上下させて
うす黒いのか
茶色っぽいのかわからないものが
土をつついている
――歩いているわよ
――足はあるので歩けます
天敵がいないので
飛ぶ必要がないのです
だから羽は退化してしまってありません
うす暗いところで
鳴かず 飛ばず
ひがないちにち
土をつついて
虫をさがして
ときどき いねむりをして
交尾をして
少しずつ
ふとってきて
口をとがらせて
なんだか
あたしに
似ているなあ
第一詩集のようです。引き続き紹介する2冊の詩集とともに一挙に3冊を刊行したようです。ご出版おめでとうございます。
紹介した作品中の「キーウィ」はニュージーランドに住む鳥のようですから、旅行中の作品だと思います。最終の「なんだか/あたしに/似ているなあ」というフレーズが良く効いていますね。親しみを感じるフレーズです。
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○山田ひさ子氏詩集『はつ夏』 |
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2004.9.1 |
千葉県茂原市 |
草原舎刊 |
2100円 |
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わたり鳥
留鳥
何があっても
一年中
同じここに住んでいる
たとえば わたし
旅鳥
さむいところで子どもをうみ
あたたかいところでくらす
春と秋にここを通過していく
たとえば 娘
夏鳥
あたたかさが信条
肩に北風を感じると
あたたかいところへいってしまう
たとえば 夫
冬鳥
寒いところを好み
あたりが冷たくなるころ
ここに帰ってくる
たとえば 息子
迷鳥
暴風の夜に
一度か二度
迷ってここにわたってきた
記憶がある
たとえば あのひと
「わたし」「娘」「夫」「息子」と、「鳥」に託したそれぞれの性格が巧く表現されていて、おもしろい作品だと思います。とくに「娘」と「息子」に対しての観察は鋭いですね。
「あのひと」の扱いが難しいのですが、これが無いと平安な家庭を表現した平凡な作品になってしまいます。この最終連があるから詩的な世界を深めていると云えるでしょうね。それにしても「迷鳥」とは、謂い得て妙で感心してしまいました。
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○山田ひさ子氏詩集『ミスミ&サイコ』 |
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2004.9.1 |
千葉県茂原市 |
草原舎刊 |
2100円 |
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あたし ガンなの
あたしよ
あたし ガンなの
肺ガンなのよ
きのう 先生がそいったの
たしかなのよ あたしにいったんだから
肺に二センチ位のガンがあるって
だから
二月から四月まで入院しなきやならないの
いま 個室待ち
あなたに電話するのが仁義だから
すぐしなさいって
娘が
うん 元気よ
あちこち電話するの大変だから
娘が話してるときもどなるのよ
ママはガンだっていっといてって
親成の人が泣くのよ
隣のおばあさんも泣いてるのよ
バカねえ
図書館のパート?
当分休みにしたの
うん
いま ねてるの
ひまねえ……
あたし 書くわ
一日 三枚
で 何枚になる?
三百枚……
そんなにいらないわ
あとで削ればいいわね
書くだけ書いて
そう 書きたいことたくさんあるのよ
……うん……
……そうね……
そうおもう
おばあさん二人かかえて
働きすぎたから
休暇だわね
神さまがあたしに与えてくれた休暇だと
うん……
休んでくるわね
でも
お見舞いの人がぞろぞろきちゃったらどうしよう
あなた
きてね!
3冊の詩集の中では最も内容の重い詩集でした。「ね Mさん」と「さくら さくら サイコさん」の二部構成になっています。「ミスミ」は66歳で亡くなった三隅浩氏、「サイコ」は53歳で亡くなった牧野彩子氏であることが詩集の最後に書かれていました。お二人の詩人仲間への鎮魂詩集です。
ここでは「サイコ」さんへの鎮魂詩篇のうちの1篇を紹介してみました。「サイコ」という詩人の人間像が巧みに表現されていると思います。著者が持っている人間を見る眼の確かさを感じます。亡くなったお二人の分まで、著者の今後のご活躍を祈念いたします。
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