きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.9.5(日)
個人誌『Quake』を発行している詩人・奥野祐子さんのライブに行ってきました。会場の「四谷コタン」も今日で3回目。店の人も私の顔を覚えてくれたようで、かなり居心地良くなりました。写真を撮ってもいいかと聞いたら、フラッシュを使わなければいいとのことでしたから、初めて撮ってみました。紹介しましょう!
でもね、こんな感じでしか撮れないんですよ。デジカメはピントがどうしても甘くなります。手ぶれを防げないんですね。今度は三脚を持って行こうかと思っています。ちなみに曲は、 ・Amazing Grace ・La mer(海へ) ・マリア ・雨のブルース ・underground ・新宿うらどおり ・ワンダラー ・I’m fool to want you ・smile ・神さまがおられたならば の10曲でした。 |
このうちの5曲は買い求めたCDに入っていましたから、私にとっては馴染みになっています。馴染みの曲が出来るとライブもグッと身近になりますね。
今日はライブが終ってから少し話をすることが出来ました。秦野のお店に出てほしい旨を打診しましたけど、乗り気になってくれました。日程はこれから調整しますが年内を予定しています。その節はこのHPでも予告をしますので、お近くの人は是非おいでください。ソウルフルな歌声を楽しんでいただければ、と思っています。詞も詩人の作詞ですからね、お薦めです。
○季刊詩と批評誌『キジムナー通信』23号 | ||||
2004.8.25 | ||||
沖縄県那覇市 | ||||
宮城松隆氏 発行 | ||||
100円 | ||||
人形 宮城隆尋
人形を拾ったよ
六体目だ
連絡先を控えて放し飼いにする
拘束すると性能が落ちる
俺以外にも主人はいるんだ
俺たちに似たような服を着た
人形は人間にまぎれているんだ
夜の街をふらついて
俺たちに暗号を発信している
受信は目を合わせるだけ
週末に呼び出して
人形に注射を打ち
一緒に遊べばいい
人形は人形であるというだけで稼ぎがいいので
ポルシェなんか買ってもらえる
ここの人形はできてる
注射さえ打ってやれば
稼ぎをつぎ込む
人形というだけあって
俺たちの人間性を問題にしない
癒しの楽園だよ
俺たちは国で疲れすぎた
だからここに来るといい
お前が来たら
俺が持ってる人形をあげるよ
「人形」はいろいろに解釈できると思います。私はすぐに「夜の街」の女を想像してしまいましたが、もちろんそれだけではないでしょう。なぜか私たち自身を重ねてしまいました。「拘束すると性能が落ち」て「俺以外にも主人」を持っている。「俺たちの人間性を問題にしない」のは、実は私たち自身なのではないか。それに「俺たちは国で疲れすぎた」のは実感ですね。架空の「人形」としての鑑賞も可能ですが、私はそんな読み方をしてみました。おもしろい作品です。
○季刊詩誌『GAIA』9号 | ||||
2004.9.1 | ||||
大阪府豊中市 | ||||
上杉輝子氏方 ガイア発行所 | ||||
500円 | ||||
鳥三題 熊畑 学
60m上空で
二羽の鳥がつかみ合いしてる。
近くの公園で
早朝池畔に立っているサギだ。
頑張れ。
やがて形勢逆転してカラスが逃げた。
誰に見せるでもなく
姿よく
サギは東の方へ飛んで行った。
◇
犬鳴山の麓の高い空で
カラスがトンビを追いかけている。
トンビは必死で山へと逃げていく。
何かあるにちがいない。
カラスの云い分を聞いてみたいと思った。
◇
いきなり足元から
バタバタと一羽の鳥が飛び立った。
潅木の茂みで驚いて私は立ち止まった。
キジだ。
信貴山々頂
西の山裾に八尾市の街景が広がる。
詩友飯島さんのお家(うち)はあの辺か。
それにしても
不器用な鳥だ。
鳥ならもう少し上手に飛べないか。
私みたいな鳥であった。
私も鳥は好きでよく観察するのですが、いい視点の作品だと思います。「誰に見せるでもなく/姿よく」というフレーズは鳥好きな人の言葉でしょうね。「それにしても/不器用な鳥だ。」「私みたいな鳥であった。」というフレーズには思わずニンマリ。この感情移入はほほえましくなります。「キジ」は私の家にも時折やってきますので「それにしても/不器用な鳥だ。」というのはよく判ります。
何気なく置かれた「詩友飯島さんのお家はあの辺か。」というフレーズにも作者のお人柄が現れていると思った作品です。
○詩誌『弦』30号 | ||||
2004.9.1 | ||||
札幌市白石区 | ||||
渡辺宗子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
四月 佐藤道子
崩れる砂丘を踏む
海からの風が羽織らせる
古代のトーガ
波頭は剣の舞
二枚貝の蝶番が 捩れる
浜辺の残酷
春の陽が佇む
波打ち際の 泡沫
「四月」は新年度が始まって、新入生や新入社員が勢揃いして、気分的にはウキウキする月だと思っていたのですが、作者にとっては「残酷」な月なのかもしれません。「トーガ」とは古代ローマ人の着たゆったりとした服だと思うのですけど、それは「海からの風が羽織らせる」。「波頭は剣の舞」で、「二枚貝の蝶番が 捩れる」ように「浜辺の残酷」がある。「春の陽」は「波打ち際の 泡沫」に「佇」んでいるにすぎない……いずれも鋭さを感じる詩句ばかりです。でも、考えてみたら北海道の「四月」はそうなのかもしれませんね。私はたった一度の経験しかありませんが、確かに5月にならないと春という気にはなれませんでした。北海道と内地≠フ違いを感じさせられた作品です。
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