きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.9.14(火)

 土曜日の日本詩人クラブ例会に出席したとき、ある会員からHPの夕陽シリーズが良かったよと褒められました。シリーズでやっていたつもりはなかったのですが、調べてみると先月は確かに3日ほど夕陽の写真を載せていました。
 で、今日も早めに帰るといい塩梅(死語かな?)の夕陽になりそうでした。さっそくカメラ担いで行きましたよ。

040914.JPG   うちから100mほど東の蜜柑畑から見た夕陽です。
気を良くして(^^; 画像も少し大きくしてみました。
今までの中では一番鮮やかな色でしたね。
羽田から飛び立った南行きの旅客機も見えて、
ド田舎の自然を満喫した夕暮でした。

(また褒めてもらえるかな!?)








  詩の雑誌『鮫』99号
    same 99.JPG    
 
 
 
 
2004.9.10
東京都千代田区
<鮫の会> 芳賀章内氏 発行
500円
 

    ささやかに懐疑    仁科 龍

   ペットボトルの水を買う
   イメージデザインされたラベルがはられ
   山の水から深層水にいたるまで
   大自然にかこつけた恵みのメッセージ
   本当だろうか
   こんなことが豊かさだなどと言われると
   何やらしきりとむなしく思われるのだ

   有害物質の排出量が少ないなどと
   ジャズやら演歌やらのテープを回し
   ケイタイ片手に車をとばす
   何をえらそうに
   環境にやさしい だなんて
   体にいいだとか
   ボケの予防に効果があるとか
   まるで人間のすることなすことの総体が
   地球にやさしい自然にやさしいなどと
   そんな思考をどこでひろったのだ
   日常の中の狂気 というよりも
   狂気と妄想の上を横すべりしているだけの
   日常に構造変位しているのではなかろうか

   ひねくりこねくりしたコトバの汚泥に
   もの思うわれらの能力が
   それと意識されずにのみこまれているだけ
   あの人類の月面到着・帰還が
   前世紀をしめくくった壮大なウソだとすれば
   続く今世紀もまた
   ねじまがった虚偽の戦争から
   はじめるしかない と言うのだろうか

   わたしはだまされないぞ

 「ジャズやら演歌やらのテープを回し/ケイタイ片手に車をとばす」部類の私には耳に痛い作品ですが、真摯に受け止めようと思います。本当に「そんな思考をどこでひろったのだ」とも思います。それは「狂気と妄想の上を横すべりしている」からだと指摘されると、返す言葉は無くなりますね。
 救われた思いがするのは「ひねくりこねくりしたコトバの汚泥に/もの思うわれらの能力が/それと意識されずにのみこまれているだけ」というフレーズです。少なくとも「もの思う」「能力」はあり、意図的ではなく「それと意識されずにのみこまれているだけ」であり、「ひねくりこねくりしたコトバの汚泥に」起因していると読み取れますから、ならば「コトバの汚泥」を避ければ良いという論法が成り立つように考えられます。やはり「コトバ」か、とも思います。「だまされない」ためにも言葉を磨くしかないのかと納得した作品です。勉強させていただきました。




   back(9月の部屋へ戻る)

   
home