きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.9.15(水)

 相変わらずバタバタと一日が過ぎていきました。業務委託契約書を準備したり、大型測定器のトラブルに立ち会ったり…。そうそう、環境推進委員会の会議なんてのもありました。日本でも早い時期にISO14001を取得している弊社にとって環境問題は重要な柱ですし、私も大事だと思っていますから、4月に任命されたときは喜んで受けましたけど、行事が多くてちょっとマイッテいます。廃水事故訓練に火災訓練、地震訓練、停電訓練なんてのもありますからね。三交替者の夜間廃水事故訓練にも2回立ち会ってきました。そんな訓練の報告会のような、部単位の安全環境大会も計画されています。その内容を決めるのが今日の会議の主体でした。全部、他の委員にお任せしようと思っていましたけど、私の役割もしっかりと決められてしまいました。数百人の部員に対する説明ですからね、心して資料作りをしようと思っています。どんな話をするか、今から考えています。

 どんな話、といえば、今朝、こんなことがありました。先日、課内の歓迎会が行われて、その会計報告を掲示板に貼るというので、会計担当者が書面を持って来ました。そこに「幹事長のつまらない話もあって、しらけたのですが、それ以外は良かった」と書いてあったのです。おいおい、オレのありがたい話がそんなにつまらなかったのかヨと抗議したのですけど、冷たく笑われてオシマイ。書き直しを命じようと思いましたが、まあ、大人気ないので許可(^^; そのうち掲示板を見たみんなから冷やかされるのだろうなぁ。口は災いの元、部員の前では恥をかかないようにしようと思っています。




  平岡けいこ氏詩画集『誕生』
    tanjyo.JPG    
 
 
 
アルカディアシリーズ
2004.1.15
東京都新宿区
美研インターナショナル刊
1200円+税
 

    時代

   背中をむけるきみに
   かける言葉を
   あきらめたわけではない

   交錯する人のなみ
   まぎれてゆく時間
   追いかければ
   べつの世紀もつかめるかもしれない

   はじめてきみをみた日のこと
   ぼくは忘れてしまった
   ジョン・レノンが
   死んだ日だったかもしれない
   ぼくたちのヒーローは
   みんな死んでしまった

   おぼえているかい
   はじめて吸いこんだ空気の味
   はじめて吸った煙草のように
   むせたにちがいない
   なのに
   忘れてしまったんだ

   くりかえす日々が
   輝きを失うように
   捨てられないチューイングガムみたいに
   きみへの興味もうすれた

   ごめんね
   モンセラーの黒のマリアの背中に
   聖家族教会の壁面に
   石畳のバリケードの裏に
   モンマルトル墓地の彫像の影に
   メトロポリタン・ミユージアムの奥に
   きみは確かにいたのに

   気づかないふりをしていた
   正義という名目のために
   だれかがだれかを抹殺する
   現実をいつも許していた
   今だって
   今夜のニュースを見たかい

   声高に叫ぶことで
   「世界はすこしでも良くなると思う?」
   ぼくは息をのみ肩を落とし
   ことばを捨てた
   莫大な時のなかに埋もれ
   心の砂漠を歩いた
   さつばつと黙して

   なにも終わらない
   あきらめてもいない
   見失うことはない

   ぼくらは水の星にすんでいる
   きみはまっすぐすすめ
   地球
(ほし)はまるく
   空ははてしない
   ぼくはなんどでも死のう
   未来はきみのなかにある

   ぼくはあす、不可思魂な花を植え
   愛、と名づける。

 石川勝保さんという画家の抽象画と組んでいる詩画集です。副題に「〜ぼくはあす、不可思魂な花を植え 愛、と名づける〜」とあり、紹介した詩はその詩句が含まれている作品です。
 「ぼくたちのヒーローは/みんな死んでしまった」というフレーズに惹かれました。確かにそうだなと思います。なぜかヒーローは早逝してしまいますね。死んでしまったからヒーローなのかもしれませんが…。「くりかえす日々が/輝きを失うように」というのも重要なフレーズだと思います。ただ繰り返すだけでは「さつばつと黙して」いるだけの日々なのかもしれません。だから「ぼくはあす、不可思魂な花を植え/愛、と名づける」必要があるのかなと感じました。「時代」という時間を考えさせられる作品だと思いました。



  詩誌AUBE42号
    aube 42.JPG    
 
 
 
 
2004.5.1
東京都武蔵野市
鈴木ユリイカ氏 発行
600円
 

    行為    平岡けいこ

   その行為を無意味と知りながら
   くりかえすことの愚かさ

   時折自分の重みを忘れたくて
   車を飛ばし泳ぎにゆく
   湿ったプール
   水滴の落ちるガラス窓
   足首まで届く光
   熱帯植物
   くぐもった喧騒

   プールに足首を浸して
   ゆっくりと水に抱かれる
   重力から解き放たれ
   内臓や血管や筋肉や脂肪を委ね
   脳味噌を支える重い頭から
   解放され、
   意識や記憶だけが
   水のなかに浮かんでいる

   海草になりたい
   くらげになりたい
   みずそのものになりたい

   そして流れ続ける思考のように
   液体となって
   あなたに同化したい
   すっかりあなたの体内に
   注ぎ込まれ
   消化されるまえに
   同化したい
   どうかしてる
   水から頭を出し水滴を飛ばす
   後から後から
   生まれて落ちる滴が
   黒髪にしなだりかかり
   やがて消失する

   繰り返し
   繰り返し
   一人の男と重ねる行為に
   理由を尋ねない
   暗黙のルール
   なぜからはじまる
   愛からはじまる
   問いかけはしない

   水中から上がると
   水をふくんで
   重みを増している
   耐え難い存在の重みに
   足を引きずりながら
   愚かな思考と
   車を飛ばして帰る
   痛いほどここにいる

 最終連の「痛いほどここにいる」というフレーズがいいですね。「その行為を無意味と知りながら/くりかえすことの愚かさ」を感じながらも「あなたに同化したい」という思いはある。その揺れがこの1行に凝集しているように思います。その揺れの具象化としての「プール」や「水」もいい着眼点だと云えましょう。「足首まで届く光」という透明性のある言葉も奏功していますね。
 「水中から上がると/水をふくんで/重みを増している」のは世の常。それを振り切るように「車を飛ばして帰る」のだが、やはり「痛いほどここにいる」。うーん、そうだよな、と思わず納得してしまった作品です。




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