きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.9.16(木)

 呑み仲間の女性が出産休暇、育児休職をとることになって、しばらく逢えなくなるから呑もうということになりました。その女性の亭主を含めて男5人、女2人で「一膳一酒」というお気に入りの店に行って、22時近くまで呑んだのかなぁ? 酔いつぶれて覚えていません(^^; その女性には飲酒を禁じて、ノンアルコールビールならいいよ、と言ったんですけど、あれにも0.5%ぐらいのアルコールが含まれているんですね。まあ、そのくらいはしょうがないか。子供産んだらせいせいと呑みましょう。

040916.JPG   もう一人の女性にお酌をしてもらっているところを
写真に撮ってもらいましたけど、いやらしい眼つきになっているなぁ。
まあ、これが本性なんでしょうね。
呑んだお酒は「土佐鶴」「李白」までは覚えています。
「李白」は口に合いませんでした。
あと二種類呑んだのですが、忘れました。
ほんとうの酒呑みだったらちゃんと覚えているんでしょうけどね、
情けない限りです。







  会報千葉県詩人クラブ会報187号
    chibaken shijin club kaiho 187.JPG    
 
 
 
 
2004.9.15
千葉市花見川区
中谷順子氏 発行
非売品
 

    先生 お元気ですか    西田 繁

   完全犯罪は 単独でやるのが鉄則だよ
   煙草だって 相棒ないと面白くないだろうが
   誰もいないところで 独りで喫いたまえよ 君
   その先生は さらりと言って笑った

   テレビジョンなどと フルネームで呼ばれて
   夢のような時代が本当に来るのかと
   半信半疑の旧制の中学時代
   喫煙が一人の白状で 芋蔓式に挙げられたが
   お陰で 俺だけ停学処分をまぬかれた

   君は勉強にあまり向かない頭なのだから
   午後もう帰っていい 担任に話しとく
   観ておきな 映画は途中からでは駄目だ
   複雑な気持の 公認の授業エスケープ

   晩春 麦秋 ペペルモコ どん底 哀愁
   笠 智衆・原 節子・ジャン ギャバン・ビビアン リー

   ごめんなさい 先生
   俳優の男っぷりと 美人ばかりに気をとられ
   肝心のストーリー 会話の良さも上の空
   昼間の映画館でた時のまぶしさ 何度味わったことか

   テレビでやる思い出の名画集≠ネどで
   いま 課外授業の本当の復習しています

             (平成七年 詩集『日光写真』より)

 この会報には毎回、何篇かの詩作品が載せられているのですが、紹介した作品もそのうちの1篇です。平成7年の詩集から載せるというのがいいですね。いつまでも作品を大事にしているという姿勢を感じます。
 作品中の「先生」は、今はずいぶんとお年になったと思うのですが、古き佳き時代を彷彿とさせます。今では「公認の授業エスケープ」なんて考えられません。「俳優の男っぷりと 美人ばかりに気をとられ」というのも、今はどうですかね、TVで美男美女を見飽きた子供には感じない感情ではないかと思います。
 最終連もうまくまとまっていて、落ち着いた印象を受けた作品です。押し付けるのではなく、淡々と青春時代を述べたタッチに感動しました。



  詩と批評誌POETICA41号
    poetica 41.JPG    
 
 
 
 
2004.8.30
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    乾く泪    中島 登

   裸の石たちは空を仰ぐ
   黙っている石たち
   叩かれ砕かれた
   石たちもいる

   貨車で運ばれ
   分別されて
   ガス室へ送り込まれる
   石たちもいる

   コウノトリも巣づくりしない
   枯れ枝
   泪は石の上でたちまち乾く

   風は泥の柩の上をかすめて
   ひゅーひゅーと叫ぶ
   ガイドの女性は骸骨となって鉄の扉を開けた

 「石」は人間の比喩だと思います。「叩かれ砕かれ」「ガス室へ送り込まれる」「石たちの上で」は、「泪」も「たちまち乾」いてしまう、そんな不条理の世界を想像してしまいました。「ガイドの女性は骸骨となって鉄の扉を開けた」のは、おそらく「ガス室」の遺物ではないかと思います。泪もたちまち乾いてしまうような世界に、これからなろうとしているのでしょうか。そんな警鐘を感じた作品です。



  詩誌『ハガキ詩集』220号
    post poems 220.JPG    
 
 
 
 
2004.9.15
埼玉県所沢市
ポスト・ポエムの会 伊藤雄一郎氏 発行
非売品
 

    妻を見る    根本昌幸

   夫婦になって
   三十余年。
   じっと妻を見たことがない。
   夫婦になる前もだが。
   うしろめたいことがある訳でもない。
   女という者を見詰めるなんて
   おれのやることではない と思っている。
   古いことかもしれないが。
   おれの家は士族といって
   武家だった。
   今だにおれの体には
   その血が流れているのだろう。
   男の前を歩くな
   男より早く寝るな
   男より遅く起きるな
   分かったか。
   そういう時代もあったのだ。
   今日おれは三十余年と少々過ぎて
   妻を見た。
   少し白髪が混じっている。
   幾分しわも増えた。
   苦労をしたのかもしれない。
   優しい声を掛けたいけれど
   おれの性格には合わない。
   他所へ行って
   他所の女を見る。
   ここでは美しいね
   なんて言いながら。
   家に帰って妻を見る。
   前からではなく
   後ろから。
   結局はにらむようにして。

 後書きで作者の紹介がされていました。福島県の在住だそうです。私の父親の実家も福島県で、「士族といって/武家だった」そうです。福島県の武家の末裔というのは、早乙女貢さんの『会津士魂』に代表されるように、ちょっとクセがあります。言わずと知れた戊辰戦争での賊軍≠セった過去から来ているのでしょうね。ちなみに私の先祖は戊辰戦争で真っ先に敗れた平藩です(^^;
 現代の女性からは叱られそうですが、「男の前を歩くな/男より早く寝るな/男より遅く起きるな/分かったか。」という風潮は、私の子供時代まで残っていました。作者は私よりちょっと上の世代の方のようですから、そんな性分が私より色濃いのかもしれません。もちろん作品上のことだけで、実際は「美しいね/なんて言いながら」「妻を見る」のかもしれませんが…。それにしても「結局はにらむようにして」というのは事実でしたね、私のじいさままでは。
 そんな狂言回しを演じながらも、実は「おれのやること」をしっかりと認識している作品だと思いました。




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