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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.9.21(火)
3連休明けの初日ですから、ちょっと疲れが残っていたようです。こんな日は早く帰るべきなのですが、こんな日に限って遅くなるものです。それでも19時には帰れたのですけど、何と最終退出者。みんなも疲れていたのかな、18時過ぎには誰もいなくなりました。まあ、たまにはこういう日があってもいいでしょう。
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○隔月刊詩誌『RIVIERE』76号 |
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2004.9.15 |
大阪府堺市 |
横田英子氏 発行 |
500円 |
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一番幸福な日 森かおり
朝六時半起床 洗顔
まず外廻りを掃く
庭の水やりをする お手洗いに行く
朝食をとる
洗濯をする
買物に行く
午後からは
新聞を読む
風呂の掃除
昼食をとる
片付けもの 雑用
家族は人間四人 犬一匹 鳥一羽
昼間はテレビをみたり小説を読んだりしない
必ず労働に準じることをする
疲れたら小一時間のお昼寝
夕食は手作りをモットーとする
七時から夕食 片付け 風呂
夜は 楽しみにしていた
はてしない読書の旅に出かける
午前二時には必ず眠る
自分の意志で決めた一日の決まった形が
健やかに遂行できる
私の一番幸福な日
この作品は良く判りますね。判るとともに羨ましさを覚えます。「自分の意志で決めた一日の決まった形が/健やかに遂行できる」日なんて、滅多にあるもんじゃないですから…。
作者の「一番幸福な日」には、「必ず労働に準じることをする」「はてしない読書の旅に出かける」という2点があって、そこに作者の人柄を感じます。なんでもない作品のようですが、作者の生きる姿勢が良く出ていて好感を持ちました。
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○詩誌『帆翔』33号 |
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2004.9.15 |
東京都小平市 |
<<帆翔の会>>
岩井昭児氏 発行 |
非売品 |
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ぼく 三橋美江
ぼくと云う一人稱は
小学生か中学生の男子が
自分を指して云う言葉だと思っていた
犬が自分の事を
ぼくという(ほんと?)
中学生も大学生も
当然ながら自分をぼくと云う
ここまでは別に不思議は無い
改まらず氣軽に口に出来て
一寸へり下って
いかにも自然に用いられる軽便な一人稱
さて此所からが問題だ
総理大臣が
大学教授が
老名優が大画家が大作家が大音樂家が
お医者さんがチョン髷のお相撲さんが
在日外国人が
凡そ男性という男性が自分を指して
悪びれずにぼく≠ニ云って憚らない
そうして
聞く側もさのみ異和感を覚えない
若者が使っても紳士が使っても
老人が使っても偉い人が使っても
誰でもが自然に用いて可笑しくない
氣取らず親しみ深く
平易な一人稱
難かしく複雑な日本語の中で
ずばぬけて単純ですてきな言葉
ぼく
この詩はいい処を突いている作品だと思います。確かに私も偶にはぼく≠遣いますが「氣取らず親しみ深く/平易な一人稱」とまでは考えていませんでした。むしろ、ちょっとキザな感じを持っていましたけど、「一寸へり下って」と云われると、もともとは下僕の僕≠ナすからね、その通りだなと思います。
「ずばぬけて単純ですてきな言葉」と復権されたぼく≠改めて認識した作品です。「悪びれずに」遣ってみようかと思います。
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