きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.9.28(火)

 ISO9001の内部監査があって、ちょっと疲れ気味です。JQAという機関の本審査は11月ですけど、それに先立って社内監査員による監査ですが、社員同士ということもあるのか、かなり手厳しいという印象でした。まあ、製品の品質に関わるものですから当然と言えば当然なのです。私の担当分野も指摘があって、焦りました。一応、納得してもらえる結論にはなっただろうと思います。私自身の事前の準備が足りなくて、反省。うーん、11月までには挽回するぞ。



  二人詩誌『夢ゝ』一字書別冊 第三冊
    yume yume bessatsu 3.JPG    
 
2004.10
埼玉県所沢市
山本 萠氏方・書肆夢ゝ 発行
500円
 

    <水> と書く 山本 萌 水、と書いてしまう。何かが表出するとき、いつもそれは、結果、である。水
   は、止めようもなく溢れ出てしまうから。 湧き立ち、迸り、零れ、浸してくる。 水。誰もの。そして誰
   も、水、である。生命の水、である。それは、美しい、か。あの、近い死の星、火星に似るな。無比の水。

 「水帳」という副題が付いていました。一字書別冊としては、一で花帳、二で月心長、そして三で水帳と副題が付いて、これで完結だそうです。もちろん毎号、山本萠さんの書が添えられています。
 紹介した文は「水、と書いてしまう」山本さんの思いですが、やはりいい視点をしているなと思います。「誰もの」水であり、「そして誰も、水、である」ということは、言われてみるとその通りなんですが、改めて認識してしまうだけの力を持っていますね。そして「あの、近い死の星、火星に似るな」という言葉は新鮮です。火星は興味の対象でしかなかったのですけど、たぶん「無比の水」の無い世界で、そこに焦点を合わせていることに軽い衝撃を受けました。そんな思いをしながら書も楽しんだ別冊です。



  季刊二人詩誌『夢ゝ』19号
    yume yume 19.JPG    
2004.10
埼玉県所沢市
山本 萠氏方・書肆夢ゝ 発行
200円
 

   どれも わたし 魚の皮膚のまた皮膚も
   いっしんにわすれなくさの 吸いあげている食べ物も

   (むかえにゆこうよ 雷を)
   どれも わたし とびたつ羽ある塔として いま落下しつづける滝も

   じつは 魚の内部にもわたしが いて
   あるとき あふれてしまう
   すると(ほかのものたちのかなしみも おどろくほどおしよせてくるので)
   魚は 溺れる
                             水語 赤木三郎

 こちらも水を主題とした号で、山本さんの水の書も添えられています。
 紹介した作品の「わたし」は、もちろん水ですね。その「わたし」が「あるとき あふれてしま」い、「魚は 溺れる」わけですが、あふれる理由が「ほかのものたちのかなしみも おどろくほどおしよせてくる」ためだというのは、赤木詩の真骨頂だろうと思います。2誌それぞれの水をめぐる詩句を堪能させていただきました。




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