きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.10.5(火)

 帰宅して車を駐車場に入れた途端、携帯が鳴りました。名を名乗られて懐かしくなりました。大昔の職場の上司で、5年ほどオランダの工場に行っていて、最近、国内勤務になっていたのは知っていました。「久しぶりのところ申し訳ないんだけど、明日、午前11時までに東京本社に来てくれませんか…」。ん!? なんだ、それ!

 私の担当している製品に問題があるのではないか、ということでした。下手をすると問題が拡大する可能性がありますので、もちろん会議出席を承知。あす朝、早く会社に行って資料を集め、時間には会議に臨むことを約束して電話を切りましたけど、ちょっと心配です。その製品の発売には私が大反対した経緯もあって、気になります。まあ、心配していてもしょうがなくて、データをもとに問題点を洗い出すしかありません。技術的な役員として新設されたフェローも出席するようですから、かなり深刻なんでしょう。こちらは工場を代表して臨みます。




  詩誌『二行詩』4号
    nigyoushi 4.JPG    
 
 
 
 
2004.9.28
埼玉県所沢市
二行詩の会・伊藤雄一郎氏 発行
非売品
 

    二十年後    伊藤雄一郎

    廃 屋
   村にはいつのまにか誰もいなくなった
   崩れかかった家の壁が夕日に傾いている

    廃 校
   どこにも子供の姿はなかった
   黒板の落書きは日に日に乾いた

    廃 都
   渡る世間は老人ばかり
   今日もどこかで赤ん坊が攫われたらしい

    廃 園
   誰も訪れなくなった公園に 花一輪
   健気に咲いて 太陽がいっぱい

    絶 句
   あなたもいない わたしもいない
   かもしれない 月夜の墓地に佇むのは誰?

 誌名の通り二行詩が続きますけど、各々の詩のタイトルも大事なんだなと知らされます。紹介した作品は「二十年後」の世界を描いていますが「いつのまにか誰もいなくなっ」て、「どこにも子供の姿はな」、「渡る世間は老人ばかり」という事態は妙に現実味がありますね。「あなたもいない わたしもいない」「二十年後」は案外、こうなっているのかもしれません。



  詩誌『やまどり』32号
    yamadori 32.JPG    
 
 
 
 
2004.10.1
神奈川県伊勢原市
丹沢大山詩の会 発行
非売品
 

    駄々ッ子    小林教子

   スーパーのお菓子売り場
   ちいさな女の子が大の字に寝転び
   天井をにらんでいる
   幼い体にみなぎる怒りは
   その頬をふくらませ口をとがらせ
   若い母親をたじろがせる
   そうだね
   いい方法が見つからないときはもう
   そんなふうにするしかないよね
   私もあなたの真似して寝転んでみようか
   欲しいものは得られないにしても
   変わりようのないこの世界が
   少しは変わって見えるかもしれないから

 こういう「駄々ッ子」を見ると、変に教育的になるものですが、作者の視線は新鮮ですね。「そうだね/いい方法が見つからないときはもう/そんなふうにするしかないよね」と「ちいさな女の子」の立場に立って、「私もあなたの真似して寝転んでみようか」、そうすれば「変わりようのないこの世界が/少しは変わって見えるかもしれないから」と視線を低くすることはなかなか出来ないことだと思います。大人とは何かを考えさせられた作品です。




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