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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.10.6(水)
午前7時過ぎに出社して資料を集め、8時過ぎには東京本社に向いました。私の担当する製品に問題があるのではないかと疑われて、緊急の会議です。会議が始まる前に、私の製品を使って最終形態の製品にした技術者と話す機会があり、概略を聴いてすぐに判りましたね。私の製品に問題はない!
結局、その技術者が開発した機械に問題の大半があることが究明されて、会議は1時間ほどで終りました。私が血相を変えて出なくても良かったわけですが、私のいない処でヘンな結論になっても困りますから、まあ、出席して良かったかなと思っています。それに、私の製品に問題はなくともお客さまにとっては弊社の製品です。同じ社員として改善に協力するのは当然のことですから、私の立場で協力できることは努力すると回答して散開しました。やれやれ、一件落着です。
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○詩・創作・批評誌『輪』97号 |
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2004.10.1 |
神戸市兵庫区 |
輪の会・伊勢田史郎氏
発行 |
1000円 |
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樹の部屋 渡辺信雄
深い皺と
堅い乳房をもつ肌
天の見えぬほど葉を繁らせた
巨きな樹に出合う
雨を吸い陽に焼かれて
石を投げつけられても
黙ったまま年月を刻んできたから
たくさんの瘤もできた
巨きな樹は旅に出なくても
小鳥たち虫たちが入れかわり
訪れる
蝉たちは束の間を鳴きしきり
枝から離れた刹那に
白い腹を見せて転がり
地へ還るのだ
悩み多き旅人も
周りに集まってくる
八手のように根を張り
白い蛇を飼っている
もう千年もいきてきたのだ
旅人は手を合わせて去っていく
洞に蝸牛が張り付いて動かない
不思議そうに
覗き込む
子どもが一人
樹の部屋へ入っていった
「樹」は好きなので、こういう作品に出逢うとうれしくなるのですが、そんな単純な私の喜びとは違うを視線を見せられて、勉強させられました。特に「石を投げつけられても/黙ったまま年月を刻んできたから/たくさんの瘤もできた」、「巨きな樹は旅に出なくても/小鳥たち虫たちが入れかわり/訪れる」などのフレーズは、私には考えも及ばない面でしたのでハッとさせられました。
最終連もいいですね。タイトルにもなった「樹の部屋」は「洞」そのもので良いと思いますが、そこへ「子どもが一人」「入っていった」のは何を暗示しているのか。それを読者に問うているように思います。やがて子も大きな樹になる、と私は受け止めたいと思っているのですが…。
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○季刊詩誌『饗宴』41号 |
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2004.10.1 |
札幌市中央区 |
林檎屋・瀬戸正昭氏
発行 |
500円 |
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コンソメ 新妻 博
うしろへ退くことの
娯しみを
ザリガニは子どもたちに
おしえてくれた
西の大陸では
クローフィッシュと呼んで
コンソメには欠かせない食材
いずみをメムと呼んだ先任者の
遺跡が
山葡萄のように連らなっている
わたしたちは
けっして貧しくはなかった
紹介した作品からはちょっと離れますが、毎号楽しみにしているものに、瀬戸正昭氏の「林檎屋主人日録」があります。その中の7月23日の日録には次のような件がありました。
北海道は貧しい土地だが、農産物、水産物
のおいしさを考えれば、そう貧しいとも言え
ない。東京で食べたイカやホッケ、そして何
より水の味を思い出せば言わずもがなの感慨
だろう。北の住人はもっとおのれに自信を持
つべきだ…。
偶然の一致だと思うのですが、いずれも「貧し」さについて書かれています。これは意外でしたね。私が意識を持って北海道に住んだ1年間は、もう40年以上前になりますけど、確かに貧しかったと思います。しかし当時は日本全体が貧しい時代でしたから、とりわけ北海道だけ、というわけではなかったと思っていました。むしろ作品や日録に書かれているように「おいしさ」という面では内地より優っていたという記憶があります。もちろん今でもそうです。北海道への旅行は「おいしさ」を求めて、と言っても過言ではないでしょう。何より精神的には「わたしたちは/けっして貧しくはなかった」という思いがあります。
そういう意味では作品「コンソメ」は、量ではなく味と精神性の高さに「北の住人は」「おのれに自信を持」っていると捉えるべき作品なのでしょう。私の精神のふるさと・北海道について考えさせられた作品です。
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