きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.10.17(日)
デジタルカメラを2台持っているのですが、2台とも相次いで壊れてしまいました。修理しても高くつくだけですから新しく買うことにしたものが昨日届きました。ニコンのD70という一眼レフの製品です。ちょっと古いのですがニコンF70というアナログのカメラを持っていて、レンズが3本あります。そのレンズが全て流用できるので本体だけを買いました。
良く晴れた今日、久しぶりに真面目に写真を撮りましたけど、やはり楽しいですね。庭の花にやって来た蜂の写真がその成果です。マクロレンズを使いました。まだちょっとピントが甘いな。もう少し近づきたかったのですが、怖くて(^^; これでこのHPにも少しはマシな写真が載せられるかなと思っています。 |
○詩誌『鳥』43号 | ||||
2004.10.10 | ||||
京都市右京区 | ||||
洛西書院・土田英雄氏 発行 | ||||
500円 | ||||
人さらい なす・こういち
――人さらいにさらわれるよ
たそがれ時に 遊んでいると
母が 呼びにきて
いつもそう言った
子どもだけではなく 今
この国では 大人までがさらわれる
いつだったか
さらわれた人たちが
つぎつぎと帰ってきた
国の中でさらわれて 連れ去られていた人たちは
すこぶる歓迎されたみたいだが
国の外でさらわれた人たちは
ずいぶんひどいことを言われたらしい
――この国では 国の中にいても
さらわれてしまうのに
国の外のあんな所にいて さらわれるのは
当たりまえだろう
言うことを聞かないからだ
ところで ずっと以前
――恥ずかしながら帰ってまいりました
と こちこちになって言ったあの人は
いつ どこで
さらわれたのだろう
「さらわれた人」が「国の中」であるか「国の外」によって「この国」の人たちの対応が違うことへの指摘は見事だと思います。そして「こちこちになって言ったあの人は/いつ どこで/さらわれたのだろう」と最終連で問いかけたことには、思わず唸ってしまいました。「いつ どこで/さらわれ」るようになってもおかしくない現在の日本を見事に表現していると云えるでしょう。反戦の詩と限定してしまうわけにはいかないかもしれませんが、このような描きかたがあるのかと感心し、勉強させてもらった作品です。
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