きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.10.18(月)

 先週は月曜日が休日で、木・金は出張でしたから、会社には2日しか出ませんでした。今日はそんな週明けですからね、仕事がドッと溜まっていました。何とか19時で切り上げて帰宅しましたけど、今週も出張が2日続いています。両日とも午後からの出張なので、多少は救われますが、それでもデスクワークは片付かないだろうなと思っています。ま、真面目に働くしかないでしょうね。



  『大河原巌詩集』
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2004.10.20
東京都千代田区
鮫の会刊
3800円
 

    〔7〕

   犠牲というその文字が示すように
   牛は古来 神や人の祭のたびにその生血をながしてきた
   いまでも戦争などがあれば
   犠牲となるのは いつもこの小心な反芻動物である

   反芻動物は生れつき その蹄が二つにわれているものだが
   牛もその例外ではなく
   そのたびに牛は 人から日和見主義者といわれ 反動といわれ
   ときには売国奴といわれてきた

   それでもいくつかの巨きな胃袋の中で
   これらの悲惨な世界の祭の情景を
   ゆっくりと反芻することのできたのは
   ひとりこの小心な反芻動物のみであった

 73歳になった著者の、これまでの作品の集大成とも謂うべき詩集です。初期詩篇T(一九四八年―一九五一年)、初期詩篇U(一九五二年―一九五八年)、初期詩篇V(一九五九年―一九六二年)、詩集『牛』(一九五九年)、中期詩篇T(一九八〇―一九八四年)、詩集『自画像』(一九八四年)、中期詩篇U(一九八四―一九八六年)、後期詩篇T(一九八六―一九九三年)、未刊詩集『自画像(二)』、後期詩篇U(一九九三―二〇〇四年)、未刊詩集『自画像(三)』という構成になっており、収録されている詩作品は225篇に登ります。著者は詩誌『鮫』の同人でもありますから、このHPでも『鮫』の紹介作品として「テロルの風景論」「もう詩は書けない」「アフガンの詩人」「かえりが怖い」「モナルコマキ(暴君殺し)」「君が代」などを紹介していました。興味がある方はトップページの <索引:詩誌> → <さ行> → <『鮫』> で検索してみてください。

 「評論・個我の危機と言語」も圧巻です。詩論として高い水準にあり、勉強させてもらいました。「年譜」は詳細で、大河原巌研究には欠かせないものと云えましょう。
 紹介した作品は第一詩集『牛』に収められている連作の一部です。牛を巡る11の詩篇の極一部しか紹介できなくて申し訳ないのですが、牛の特徴と社会とが見事に結実した作品だと思います。「犠牲」の意味もよく理解できます。「小心な反芻動物」の懐の深さ、広さを感じた作品です。




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