きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.10.20(水)

 午後から東京本社に出張してきました。台風23号が上陸しそうで心配していたのですが、案の定、会議の終了間近に一枚のFaxが手元に…。「台風23号が上陸して、現在、東海道新幹線は運転見合わせ」とありました。あわてて会議を終了して帰ることにしました。
 西麻布から東京駅まで社用車で送ってもらったのですが、1時間近くも掛ってしまいました。地下鉄の六本木駅あたりで降ろしてもらった方が早かったなと思ったのも後の祭でしたね。
 いつもなら新幹線で35分ほどで小田原駅に着くのですけど、在来の東海道線は1時間半も掛ります。でも、グリーン車に座れたから良かったかな。グリーンでも通路がいっぱいでしたからね。
 出張の帰りにしては珍しく、どこにも寄らないで、呑み屋さんを尻目にまっすぐ帰宅。いただいた詩集を拝読していました。



  秦恒平氏著『湖の本』エッセイ32
    umi no hon essay 32.JPG    
 
 
 
 
2004.10.16
東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元 発行
1900円
 

 鶴見 わざと初めボンヤリさせておいたものが、だんだんあぶりだされて見えてくる、そのなりゆきを楽しむんですね。結論をマル・バツ式に速く出せというのとは違う。そこが文化なんでしょう。
  結論、つまり答えを求める文化ではなく、「式」を出す文化。いろんな答えがあるけれども、その答えに行きつく式をどう立てるかということだと思う。わたしは、京都風の文化の出発点の一つは『古今集』だと思いますが、そこではフォーシーズンのほうの「四季」を立てている。ちょうど同じ頃に延喜「式」という律令制のいわば施行細則ができて、この二つの「シキ」がひじょうにおもしろい意味をもっていて、その後の京都と日本とを律したと思います。

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 今号では「死なれることと生きること」という副題で付いていて、1974年から1992年にかけて行われた対談・鼎談集を収録していました。ちなみにその目次を拾ってみると、

 死なれることと生きること・竹西寛子(小説家) 「波」1974年9月号
 いけ花と永生・長谷川泉(国文学者) 「古典と現代」1975年5月号
 極限の恋・大原富枝(小説家) 「芸術生活」1975年8月号
 一遍聖絵と一遍の信・望月信成(美術史学者) 「新修日本絵巻物語全集・月報(2)」1975年9月
 マンダラを描く・前田常作(画家) 「美術手帖」1975年1月号
 祗園の街角から・堀泰明(画家) 「アート'84」1984年12月号
 京ことばの京と日本・鶴見俊輔(哲学者) 「思想の科学」1987年10月号
 日本の美意識と表現・下村寅太郎(哲学者)・西山松之助(歴史学者) 「季刊MOA美術」1991年1月号
 創作への姿勢と宗教・加賀乙彦(小説家) 「あけぼの」1992年8月号

 となっていて、錚々たる人たちとの対談・鼎談だったことが分かります。
 紹介したのは鶴見俊輔氏との対談の一部ですが、「京ことば」の本質に迫った部分だと思います。京都生まれで東京で長く暮らす秦さんには「京ことば」に対する著作が多いのですけど、「式」を出す文化だという発言は初めて目にしたように思います。これは面白い見方と云えましょう。「京ことば」を知っているわけではありませんが、謂い得て妙と感じました。
 並のエッセイ集ではありません。文学の真髄、あるいは「死なれることと生きること」という人生の真髄に迫るエッセイ集です。




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