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「モンガラ カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.10.25(月)
珍しく静岡県三島市に出張してきました。初めて行く会社で、弊社からの依頼事項がありましたから、昨日の日曜日は出勤して資料を揃えたほどですので、正直、ちょっと緊張しましたけど、無事に会議は終了。弊社からの依頼事項も全て承認していただきました。
帰りはまっすぐに帰宅しようと思ったのですが、つい嬉しくて、いつもの呑み屋さんへ(^^; 「獺祭」2割3分を4合も呑んでしまいました。ほぼ私の限界酒量です。次の日を考える余裕もないほど嬉しかったのですね。まあ、そういう日もあっていいでしょう。
○季刊詩誌『詩と創造』49号 |
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2004.10.20 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社 発行 |
788円 |
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枯野の舟 こたき
こなみ
母親は色白で太っていたから
風をはらんだ帆掛け船に見えた
国中が飢えていた時代も どこかで荷役をしては
積み荷とともに帰ってきた
惜しげなく子らは受け取った
いま年古りて破船はわずかの風にもたえられず
人工の息で生死の潮目をさまよっている
とうとうそれは海境の果てへ没した
帆のちぎれのような骨を子らは拾った
あるとき趣味の会の仲間から
テープに収められた母の声がとどけられた
「この浦舟に帆を上げて……」
祝ぎ歌の連れはとうになかったが
はじめて聴く美声だった
からの
古えの書に 枯野の舟 という文字を見つけた
大樹から造られた目覚ましい早船で
貴人のための清水を運んだ
何故か 枯野 と名付けられた
壊れてのち塩を焼く焚き物となり
その残りの材は琴に作られ
七つの里に妙音を奏でた とか
これが母に似ているとは思いたくない
骨身惜しまず働く女が求められた時代の
死後もなお残すものを尊ばれた時代の
日本の母たちのようだ とは思いたくない が
黄泉路 星明かりに
枯野いちめん 藁草が光を帯びる
埴輪で見る舟が橇のように滑って行く
すっかり空ら身なので
かすかな夜風にも軽やかに吹かれて見えなくなる
もうすぐ地の塩を焚き上げるだろう
もうすぐ琴が鳴り出すだろう
一度生きたものは 終わってなおしばらく
身の余韻として世に留まる
*「 」内 謡曲より
枯野の舟 「古事記」より
「母親」への鎮魂詩ですが、抑えた筆の奥に作者の深い心情が見えています。「一度生きたものは 終わってなおしばらく/身の余韻として世に留まる」譬えとして「枯野の舟」が引き合いにだされていますが、適切な例だと思います。「もうすぐ地の塩を焚き上げるだろう/もうすぐ琴が鳴り出すだろう」と母上を見る作者の思いが痛いほど伝わってきました。
「骨身惜しまず働く女が求められた時代の/死後もなお残すものを尊ばれた時代の/日本の母たちのようだ とは思いたくない」というフレーズは、その通りなのでしょうが、そうでなければ生き難かった時代を生きた母上への哀切に満ちた作品と思いました。
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