きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.10.30(土)
年に1、2度ある土曜日だけど出勤日というヘンな日です。でも予定が立て込んでいて、休暇をとりました。午後3時から静岡県御殿場市で中学校時代の同窓会、午後7時からは神奈川県秦野市で奥野祐子さんのライヴと、2県を跨いで動き回っていました。
こちらには中学校の同窓会。40年前の1964年に静岡県小山町の北郷中学という所を卒業した連中です。たしか4、5年前にもやったのですが、150名ほどの卒業生のうち今回も50名以上が集まるというのは立派。田舎の中学の結束力の良さでしょうか。 中学2年のときに静岡県東部地方の文芸コンクールで特選をとったことがあるんですが、そのときの指導をしてくれた先生とも懇談することができました。 二次会に出ると秦野に行けなくなるので、それはパス。一次会が終る前にズラかってしまいました。幹事さん、ごめんなさい、ありがとう! |
5時に会場を抜け出して東名に乗り、18時には秦野市の紙芝居カフェ『アリキアの街』に到着しました。奥野祐子さんのライヴには「詩人・奥野祐子の熱い夜! 自作詩の弾き語り」というタイトルが付けられて、ご本人もノッテいましたね。
写真はアカペラを披露する奥野祐子さん。私のコーディネート、ということにしていましたので、司会と対談のようなことをやりましたけど、それは途中でやめました。彼女の語りとピアノ弾き語りだけで充分。私も客席にまわって楽しみました。お気に入りで、聴きたかった「ふるさと」「smile」も良かったけど「新宿うらどおり」「雨のブルース」も好かったなぁ。まだまだ知らない曲がいっぱいあるんだ! 19時から始まって、途中、休憩をはさんで21時過ぎまで。2時間たっぷりと聴けて、本当に今夜はいい夜だと思いましたね。雨のせいか、お客さんは20人を切るほどでちょっと少なかったのですけど、その分、彼女との距離が短くなったと思います。また機会をつくって、やりましょう! |
○詩と評論・隔月刊誌『漉林』122号 | ||||
2004.12.1 | ||||
東京都足立区 | ||||
漉林書房・田川紀久雄氏 発行 | ||||
800円+税 | ||||
てんゆう
反テロリズム宣言 石田天祐
テロリストを讃めたたえるな
彼らを英雄視するな
殉教者扱いするな
彼らは革命家でもなければ
高邁(こうまい)な宗教家でもない
もともと名も無く
貧しい敵側の有象無象(うぞうむぞう)だ
自分たちの住む街や家を
飛行機や戦車で破壊され
父や母、兄弟や子供らを
無差別に殺されたことに腹を立て
絶望的な反撃を試みているのだ
神風特攻隊のように
彼らは自爆を恐れず
民衆の大勢集まるところに
地下鉄や市場やホテルや学校に
爆弾を仕掛け攻めてくるだろう
人質を沢山取って
拘束された仲間の解放を求めつつ
自分たちの受けた悲惨な仕打ちを
声高に訴えるだろう
これはすでに戦争だ
彼らの家族や仲間を殲滅(せんめつ)したことを
思い出す必要はない
戦う気力を削ぐ正常心は捨てて
敵を殺害することだけを考えよう
世界平和の理想を追わず
味方の正義と安全を一方的に信じよう
不注意に外出して
人質になった人々には
自己責任の名に置いて
生存をあきらめて貰え
但し 外国のマスコミがうるさいから
人質を救済するふりは忘れるな
人道的な配慮を演出する一方で
「テロリストと交渉しない」と
ワンパターンに言い続けて
突入の機会を伺え
強い国家像を取り戻し
大統領再選を果たすために
毒ガスや劣化ウラン爆弾の
使用もやむをえない
人質が巻き添えを喰らい
累々たる死体の山を築こうとも
テロリストを生かしておくな
最後の一人まで殺せ
(平成十六年九月五日)
この「宣言」は文字通りの「反テロリズム」とも採れますが、反語として考える必要もあると思います。確かに「彼らを英雄視」したり「殉教者扱いする」必要はないのでしょうけど、なぜ彼らが「絶望的な反撃を試みている」のかを考える必要性を訴えていると思います。「自分たちの受けた悲惨な仕打ちを/声高に訴える」手段としてのテロルであることを理解しないとモノの本質は見えないでしょう。
「但し 外国のマスコミがうるさいから/人質を救済するふりは忘れるな」というフレーズは、どの国にも当て嵌まります。なぜ「強い国家像を取り戻」す必要があるのかは作品には現れていませんが、それも重要な視点だと思います。考えさせられる作品です。
今号では拙文も載せていただきました。貞松瑩子さんの詩集『風の情景』評を25人が書いていまして、そのうちの一人として採り上げていただきました。『漉林』に書かせてもらったのは初めてです。お礼申し上げます。
○アンソロジー『千葉県詩集』37集 | ||||
2004.10.24 | ||||
千葉市花見川区 | ||||
千葉県詩人クラブ・中谷順子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
絡み屋 斎藤正敏
宴会で席に戻る時
誰かに呼び止められた
見覚えのない奴だ
嫌な予感が当った
「あんたの話は 横に長い」
酔って絡んできたのだ
その場は収めたつもりで席に戻ったのだが
絡み屋は それでは済まなかった
「おーい 横に長いの」
と 千鳥足で 私の席までやってくる
どうにも 不快だ
不快さのまま 目が覚めた
先ず 絡み屋の言葉を解明しようとしたが
意味不明である
横柄という言葉を連想したが
それもしっくりこない
そのうち絡まれる資質が 気になりだした
生きかたについてが気になりだした
近頃は 何かバタバタと忙しくなってきた
何かを追い求めるのではなく
何かに追いかけられている
そんな日日だ
心身の整理が 出来ていない
もしかして
あの絡み屋は 私だったのかもしれない
もうひとりの私が
私自身に絡みたかったのかもしれない
夢とは云え「あんたの話は 横に長い」という「絡み屋」の言葉は印象深いですね。どういうことなのか、確かに「意味不明である」のですが、何となく判るような気がしますから不思議です。さすがは詩人の夢だと思いました。
最終連は「あの絡み屋は 私だったのかもしれない」と狂言仕立てにしていて、ここも見事です。己に立ち返らせたことによって作品の質を上げていると思います。私自身の日頃の呑み方も含めて、良い意味で反省させられた作品です。
○季刊詩誌『象』114号 | ||||
2004.10.25 | ||||
横浜市港南区 | ||||
「象」詩人クラブ・篠原あや氏 発行 | ||||
500円 | ||||
弟よ 篠原あや
何番だったの
三番
何人で駆けて?
三人
平然と答える私に家人は呆れ顔
張り合いのない子
それがいつか代名詞となった
そんな私とは異り
上野の油絵科を出た弟は母の自慢の子だった
外から見える洋間には
彼の描いた「マリアさま」が掛かっていた
やがて
ヨコハマは焼野原になり
いつでも
どこにでもある家の中の小さい争いが増えた そして
老いた母に心を遺しながら弟は家を出た
母が臨終を迎えた時
駈け着けた彼は 既に息絶えた母に添い寝をし
冷たくなっていくまでその躰を確っかりと抱きしめていた
こんな二人を何故離れ離れにしたのか
子らの無言の苛立ちが
兄嫁に集中したが
生きて来た智恵か
口に出して責める者はいなかった
あの頃
私も病んでいた
家族の歴史の中で「弟」の占める位置がよく判り、「弟」の人間像も描けている作品だと思います。それとともに「私」もよく描けていると思います。第1連、第2連で狂言廻しを演じることで、他人の家族ながら読者も入り込んでいける余地を与えているようにも思いました。
最終連は見事ですね。事実かどうかは別として、作品としては見事な〆を見せていると云えましょう。家族を見る深い眼を感じさせる作品です。
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