きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.2(火)

 この10月から東京本社の営業の男が管理職になって、そのお祝いの会をやりました。私との付き合いも古く、その職場の生え抜きでは久しぶりの課長ですから、まわりの連中も喜んでいます。課長になるのは珍しい話ではないんですが、この男に関しては祝賀会をやろうじゃないかという話が自然に出て、それが今日になった次第です。
 仕事で関りの深い連中だけが集まって、いい会でした。初めて行った小田原の料理屋も雰囲気、味ともに申し分なし。明日は休日。ちょっと呑み過ぎるほど呑んでしまいましたが、まあ、いいでしょう。いい酒はあとに残らないものです(^^;



詩と批評誌POETICA42号
    poetica 42.JPG    
 
 
 
 
2004.10.30
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    ささやかなねがい    中島 登

   わたしは石であったのだろうか
   それとも水だったのだろうか
   いや わたしは風だったのかもしれない
   風にさそわれる漣だったのかもしれない

   ふたしかな あやふやなもの
   街や邑やひとなかを浮遊するあるもの
   泡立ちただよいながれてゆくもの
   目にもとまらない小さな存在

   そうだ わたしは石だったのだ
   蹴られても蹴られても黙して
   ころがってゆく一個の小石でありたかった
   大きな権力の岩も
   いずれ崩壊して見る陰もなくなるだろう

   いや わたしは水だったのだ
   昼夜をわかたずしずかにながれてゆく
   水でありたかったのだ
   旅人の喉をうるおし 飢えた子の渇きをいやし
   臨終の人の唇をしっとりぬらす冷たい水に

   わたしは風だったのだ
   泣き叫んでいる捨てられた子の頬をさする
   海からの微風のようになりたかったのだ
   どこへでも自由に飛んでゆける
   鳥のような風になりたかったのだ

   わたしは大きな波にはなれず 漣だったのだ
   人を驚かす津波にもなれない四分音符にちがいない
   だが浜辺の蟹や小魚や磯鷸がよろこぶだろう
   わたしがひたひたと歌をうたいつづけているかぎり

 己を「石」「水」「風」と規定し、しかも「小石」「漣」「微風」と見るところに作者の謙虚さを感じます。しかし「わたしがひたひたと歌をうたいつづけているかぎり」は「浜辺の蟹や小魚や磯鷸がよろこぶだろう」と表現するところには作者の強さも感じます。誇張せず卑下せず、己の道を歩むという決意のようなものを感じた作品です。
 今号では拙HPについて過分なお褒めの言葉をいただきました。お礼申し上げます。こんなHPでも見ていてくださる方がいて、しかも詩誌で紹介までしていただけるとは、こんな嬉しいことはありません。




   back(11月の部屋へ戻る)

   
home