きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.5(金)

 午後から所用で会社の付属病院に行ったのですが、看護師さんにサボリを咎められてしまいました。年2回の健康診断で再検査が必要な人は自主的に病院に行くことになっているのですけど、サボっていました(^^; それを咎められたという次第です。何が再検査になっていたかというと、視力です。右の視力が0.03以下で、要するに一番大きなCの字さえ見えません。もちろん眼鏡を掛ければ0.7ほどになって問題ないんですが、検診では持って行きませんでした。で、カルテ上は視力測定不可。そんなもの、眼鏡を掛けなかったから当り前じゃないか、と思っていましたので放っておいたのです。
 じゃあ、再検査ということになったのですけど、今回も眼鏡を持っていませんでした。当り前のように視力測定不可(^^; どうするのかな?と興味津々だったのですが、結局は、通常は眼鏡を掛けているということで無罪放免になりました。ん?本当にそれでいいのかぁ?と言いたかったんですけど、堪えましたね。ここでヘンなことを言うと足止めが長くなる(^^;;;

 やれやれ、と思う間もなく、今度は女医さんに呼び止められて「あんた、大腸検査のフォローをやってないじゃないの!」。そういえば2年前に大腸検査をやって、ポリーブを取って、1年後にフォローをやりましょうねと言われて、放っておいたなぁ(^^; 結局2年も放っているということでこっぴどく怒られました。来月、フォローをやる、日程も決めるということで釈放してもらいましたが、ほんの10分ほど立ち寄るつもりが1時間も掛ってしまい、本当にやれやれです。病院というところは、看護師さんもお医者さんも一所懸命やってくれているのは判るのですが、自覚がないと近づき難いところです。



個人誌『むくげ通信』24号
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2004.11.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

                        チュークムニョ
    わたしの体にもバーコードがある    崔 金女

   バーコードに光があたる
   大豆もやし千ウォン、豆腐千五百ウォン‥‥
   物の価格がでる

   わたしにも私の値打ちを決めるバーコードがある
   死後に洗礼を受ける席の数字が、血を出し
   イエスにかかる瞬間
   わたしの手足はピンセットで固定され
   取り出された胸は心臓だけがぴくぴく動く

   ピンセットの先が胸奥をぶすっと刺すとき
   無意識に反応する四肢の筋肉
   ひりひりする視線に貧相に横たわる

   出生の根と運命的星座の命運と
   さらけ出したくない過ちの痕跡も
   幾重にもならべて
   わたしの体と心を束ねて出した

   世間知らずの生の分かれ道で流した涙や
   古着の類いまで捨てるように
   わたしのバーコードの数字たちはほぼ席を発った
   つまらない記憶も消えて無くなった
   バーコードに数字が消えた私は
   わたしの値打ちが無くなった計算になるが
   不思議なことに心が爽快だ
                「文学と創作」〇四秋号

   崔金女
   『自由文学』に小説「失魚記」入選。『文藝運動』に新人賞で
   登壇。詩集「野の花は一人で咲け」、「行ってみた事のない
   ない道に立って」、「私の体に家を建てる」、鴻農映二と飯嶋
   武太郎共訳による日訳持集「あの島を胸に秘めて」等がある。
   青荷文学賞、文愛文学賞等受賞。

 「わたしの体にもバーコードがある」とは、何と面白い視線かと思いました。「わたしにも私の値打ちを決めるバーコードがある」というフレーズにはドキリとしました。私たちはバーコードで管理されているようなものですが、ここでは主体的に使っていると読んでもよいのかもしれません。
 その反語ととらえてよいと思いますが、最終連が好いですね。「バーコードに数字が消えた私は/わたしの値打ちが無くなった計算になるが/不思議なことに心が爽快だ」というフレーズは、現代人の理想の姿なのかもしれません。国の違いを超えて、21世紀に生きる人間の深層を描いている作品だと思いました。



詩誌『解纜』126号
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2004.10.20
鹿児島県日置郡伊集院町
西田義篤氏方・解纜社 発行
非売品
 

    破戒    杢田瑛二

   あたまにはとうといものがはいっている
   寝ているあたまの前をけっして通ってはいけない
   それは母がこどもにくりかえして言うことばだった
   それは母のしんこうだったのだろうか

   まくらをならべて あたま三つ
   まずしくともしびくらく
   夜はいつもそうしてあった

   ねがおを安堵にまるめて まくら三つ
   夜はかならずそうしてあった
   あたまをとうとんだ母が
   子のあたまに
   たくしたねがいはいったいなんだったのか
   舳先をならべた匂やかなふねのように
   母はみていたのだろうか
   夫をはやくうしなったこころぼそい母は
   とうといものを三つ ほとりに繋いで
   いつもやすらかにねむれただろうか

   一個のフットボールのようせきでも
   ちみつな回廊をあかいあかい血がくまなくめぐり
   見すえられる庭にただしくえらばれる石となり
   ふきだしてはもりあがって滝としぶき
   ひかりを吸い影をはじいて きわだち
   それはむげんにひろい宇宙ほどにも
   ひってきするちからを秘めていたか……

   いまこころみにわたしは
   つまと子のあたまを両脇にかかえてみる
   こころをこめてつよく抱きしめてみる
   すると かたくまるくて
   髪のにおいなどしんと立ちのぼらせて
   そこには万のおもみと万のかなしみが
   息をひそめてみゃくうってくる
   それはきっと切っても切れないつながりだからだろうか

   しかしせまい間取りの町ぐらしのへやで
   わたしはときに子のあたまのまえを通る
   母のことばを思い出しながら通らなければならない
   そのときいっしゅん あおざめて鳥肌たち
   わたしはふてくされた破戒憎になる
    ははよゆるせ 子よゆるせ
    ははよゆるせ 子よゆるせ
   しかしそれが母のねがった子のしわざだろうか
   子の親のわたしのしわざだろうか

                         詩集『父型』所収

 昨年8月に亡くなった元主宰・杢田瑛二氏の第2詩集の作品が2編収録されていました。そのうちの1編を紹介してみましたが、好い作品ですね。家族の中での「母」の位置、「わたし」の思惟が痛いほど伝わってきます。この作品はおそらく数十年前に創られたものと思いますが「あたまにはとうといものがはいっている/寝ているあたまの前をけっして通ってはいけない」と言う「母」の言葉、「そのときいっしゅん あおざめて鳥肌たち/わたしはふてくされた破戒憎になる」という「わたし」の思いは時代を超えた普遍性を感じさせます。読んではいませんが
『父型』という詩集の性格まで判る作品ではないだろうかと思いました。



詩とエッセイ誌『橋』113号
       
 
 
 
 
2004.11.1
栃木県宇都宮市
橋の会・野澤俊雄氏 発行
700円
 

    埋葬考    草薙 定

   最近の新聞によれば、自分の葬儀をしてほしいと思う
   人は五十六%と割に少なく、しかもその大半が近しい
   人だけでこじんまりと、と望む。わずかだが、好きな
   詩の朗読で、というのもある。どんな詩をご所望かは
   知らないが、詩を書いている端くれとしては、そんな
   詩の一編でいいから残したい。

   遺骨についてだが、墓に埋葬を望む人は五十一%とこ
   れも意外に少なく、地べたの少ない日本を憂慮してで
   もあるまいが、思い出の海や山に散骨というのが二十
   八%、樹木葬など墓以外にが十一%と続く。

   もとより海から命をもらった我なれば、灰となりて海
   へ帰り、元素に帰り、どんなにか長い漆黒の時が流れ
   ても、願わくばいつの日か、繰り返す輪廻のなかで戻っ
   てきたい。たとえば、愛憎の果ての愚かさ繰り返す人
   類へ、無力な言語の堅固な綴れ織りでエールをおくる
   詩人の前頭葉の一かけらの元素となって。たとえば、
   打ちひしがれた心に勇気を呼び起こす旋律を奏でる奏
   者の指先の一かけらの元素となって。よしえやし、そ
   れが命あるものの中ではなくとも、願わくば、アンデ
   スの頂きに降り積もる万年雪の中に、あるいは滔々と
   流れるメナムの岸辺のゆったりと木陰を落とす大樹の
   根方の土に、ひっそりと溶け込んでいたい。

   そう希う気持ちは強い。だが、ぼろぼろに風化し墓碑
   銘も読めぬ墓標のある我が家の墓所から、墨痕消えか
   かる位牌の中から、もう一人の私が見えてくる。こう
   して私があることが。代々さかのぼれば、隆市、多左
   衛門、鐵次、菊三郎、そして六代前の多左衛門へと続
   き、その先は百姓家の家系は江戸時代の混沌へと暗く
   消え去るのだが、その一人一人が子に託した連綿とし
   た思いの果てに私がある。太子墓地と呼ばれる土着の
   ものだけが眠る、寺などとは無縁の墓場。広々と見通
   しもよかった畑中の墓地は、いつの頃からだろうか、
   際まで住宅が押し寄せ、高温多湿の風土の中で少しうっ
   とうしく、狭苦しいとは感じるのだが、断ち切れぬ何
   かが待っている。私は五十一%の一人となるであろう。
   私も、一つの思いを子に託して。

 避けては通れぬ固体の死。その身の始末としての「埋葬考」を、私も少しは判る年齢になりました。それにしても「その先は百姓家の家系は江戸時代の混沌へと暗く/消え去る」と云うのですから、相当に古い家柄なんですね。しかも未だに「太子墓地と呼ばれる土着の/ものだけが眠る、寺などとは無縁の墓場」があるのですから「五十一%の一人となるであろう」というのも頷けます。
 そんな家柄でも、結局は個人として「一つの思いを子に託」すところに共感を覚えます。人間として当然の感情に帰納していることに瞠目した作品です。




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