きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.9(火)

 ISO9001という国際的な品質標準システムがありますが、弊社は国内で最も早い時期に取得しています。これには3年に一度、社外の審査機関の審査を受けるという規則があり、今年はその年です。私の勤務する工場には今日から4日間の予定で審査員が来社しました。私の部にも午後から審査員が来て、私も立会いを求められて出席しました。今回は私の担当する分野が指名されていますので、同僚も心配してくれたのですけど、今日は一般論で終始して、正直、ヤレヤレです。でも、明日からは現場に入っての審査ですからね、どうなることやら。まあ、在りのままの姿を見てもらって、指摘されたところはきちんと対応するしかないと思っています。



個人詩誌『粋青』39号
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2004.11
大阪府岸和田市
後山光行氏 発行
非売品
 

    木々の悲しみ

   わずか数本の木だけれど
   庭木の刈り込みをする秋がきた
   枝を切れば枯れる木もあるが
   庭木は
   切れば切るほど伸びる

   木はさまざまな形の葉を育て
   さまざまな性格を持っている

   今年もゴミ袋数個分の
   葉と小枝を集めた
   人間が時間を捨て去るのに似て
   木もたくさんのものを捨てる
   人間も木も同じだ
   秋を迎えている

 最終連の「人間も木も同じだ/秋を迎えている」というフレーズが好いですね。作者と私はほとんど同じ年齢ですから、このフレーズはよく判る気でいます。「人間が時間を捨て去るのに似て/木もたくさんのものを捨てる」のだ、という視線にも共感します。どれだけの「時間を捨て去」ってきたのか、改めて考えさせられた作品です。



月刊詩誌『現代詩図鑑』第2巻11号
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2004.11.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

    嘘つき    高木 護(たかぎ まもる)

   嘘という字に似た虚という字のつく
   虚弱体質のせいだったからではあるまいが
   わたしは子供のころから嘘つきで
   父を殺し 母を殺し
   爺さん婆さんを殺し
   ついでに虫や鳥や魚たちを殺し
   学校をズル休みしたものだった
   それから家出をして
   おとなにならないうちから働いたが
   わたしはやはり嘘つきで
   父を生き返らせ 母を生き返らせ
   爺さん婆さんを生き返らせ
   ついでに虫や魚や鳥たちを生き返らせ
   働き先の博多の本屋さんのストック倉庫で
   雨の日は本の山に腰かけて
   小さな窓から聞こえてくる
   チンチン電車の軌道の音に
   郷愁をつのらせて
   胸を熱くしたものだった
   それから戦争もあって
   わたしは一兵士になったけれど
   敗戦となって
   惚け頭になって生還はしたものの
   職なしのまま老いさらばえてしまい
   きょうもアパートのドアを閉ざし
   わたしを留守ということにして
   滞った支払いはパスにして
   なんとかなるさ
   くよくよするな
   ほら、そこまでいいことがやってきているよ
   またも嘘をついたりしたものだった

 「わたし」を狂言廻しにしているのが面白い作品ですね。最後の「またも嘘をついたりしたものだった」というフレーズがよく効いていると思います。「学校をズル休みした」理由も見え透いていて、これも面白い。結局「父を生き返らせ 母を生き返らせ/爺さん婆さんを生き返らせ/ついでに虫や魚や鳥たちを生き返らせ」たのは、作者の優しさのように思いました。



詩誌『掌』129号
    te 129.JPG    
 
 
 
 
2004.11.1
横浜市青葉区
志崎 純氏編集・掌詩人グループ 発行
非売品
 

    いっしょけんめい    福原恒雄

   昨日の
   収まらなかった
   口論の
   行方が
   呆けた蛇口の漏水のように喉に垂れているのか
   口を
   開けたり
   閉めたり
   きょうはまことに晴れてしまったから忘れたのに
   それほどのコトでしかないのに
   あいつ
   開けたり
   閉めたり
   まだ笑顔を隠したがっているように
   光りに射し込まれ斜めに位置していたが

   そうか
   いっしょけんめいガムを噛んでいるのか
   でも
   薄荷の風が漏れて堪えた音もとび出してきて
   このさい穀類もガムも洋風はいやになる
   アメリカのひとでも
   アメリカを嫌いなように
   ニッポンのひとでもニッポンを
   好きに
   いじるように
   製造元もお客さま相談室も包装紙の文字のどれもこれも
   小さく小さくつぶしてしまう
   そ知らぬふりの
   うしろで
   ナショナリストふうに
   ただただ噛んで噛んで
   口角泡の残滓か
   昨日の
   穀類の咀嚼を
   洋風ネクタイを波うたせ
   いっしょけんめい呑みこんでいるようなのだ

 この作品では何を「いっしょけんめい」なのか考える必要があると思います。表面に出ているのは「あいつ」が「ガムを噛んでいる」ことと、「口角泡」を飛ばした「残滓」を「呑みこんでいる」ことだけですが、もちろんそれは表層に過ぎません。そうなる理由は「昨日の/収まらなかった/口論の/行方が/呆けた蛇口の漏水のように喉に垂れている」からでしょう。それも、本当は「笑顔を隠したがっている」、笑顔を見せたいのに…。
 そんな関係って、親しければ親しいほどありますね。早く謝ってしまえばいいのに…。ガムの「薄荷の風が漏れて」くるのも憎たらしい、クチャクチャと「堪えた音もとび出してきて」、本当に「いやになる」。そうやって読んでいくと「いっしょけんめい」なのは、実は作中主人公なのかもしれないと思いますね。




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