きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.14(日)

 午後から銀座に出かけて、個人詩誌『POETICA』主宰の中島登さんが出品している「東京自然写真の会」の写真展に行ってきました。鳩居堂ビル6階にCONTAXギヤラリーがあるんですね、そこでやっていました。中島さんは「視覚」というフェニックスの葉を剪定した跡と「花くれないに」というハイビスカスの花の写真を出品していましたが、いずれも目白のご自宅で撮ったというのですから驚きです。特に「視覚」は、いわば切り株ですから、さすが詩人の視線だなと思いましたね。

 その後は四谷に行って、四谷コタンのライヴに向ったのですが、その前の晩メシ。いつもならジョナサンか長崎チャンポンで済ますところですが、今日は時間も早かったのでちょっと探してみました。ありましたね。JR四谷駅前のナントカ小路(^^; の秋田料理「太平山総本店」。きりたんぽの旨かったけど、「太平山」というお酒はお薦め。1合280円はバカみたいな安さです。安くて旨い! 本当に日本酒って奥が深いと実感しましたね。

041114.JPG    で、今日の本命はコレです。以前、奥野祐子さんのライヴに行ったときに知り合ったHATAさんからメールが来て、オレのライヴにも来い!というお達し。ご覧のようにコワイから行きました(^^; まあ、それは冗談ですけど、好いシンガーソングライターです。「Professional eyes」なんて曲はお薦めです。
 写真がボケてごめんなさい。四谷コタンでは写真OKなんですが、フラッシュ・ストロボは不可。で、夜景モードで三脚も使ったのですが、シャッターが切れるまで1秒も掛りますからね、どうしてもボケてしまいます。マシなのがこれですから、まあ、雰囲気だけでも味わってもらえれば嬉しいです。次回までにボケない撮り方を研究します。それとも「写真撮るから動かないで!」と頼もうかな(^^;




詩誌『多島海』6号
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2004.11.20
神戸市北区
江口 節氏 発行
非売品
 

    栗    江口 節

   
いが
   毯にくるまれた部屋のなかで
   時間は
   育っていたのだった

   父と母と
   いもうと おとうと
   すきまは少しずつ押しやられ

   はじかれて
   出ていく、ひとり ふたり

   入ろうとすれば
   枯れても鋭い無数の毯は
   ことのほか痛く

   熱い石の間で、ほくほくと
   まどろんでいる

   まぶたの向こうで
   部屋の灯をともしていく人がいる

 家族を「栗」に譬えるのは面白い発想だと思います。「はじかれて/出ていく、ひとり ふたり」「入ろうとすれば/枯れても鋭い無数の毯は/ことのほか痛く」などの連は謂い得て妙と云えましょう。考えてみると、家族の長い歴史なんてそんなものかもしれませんね。でも、最終連ではホッとさせられます。それが家族というものでしょう。好い作品だと思いました。



季刊・詩とエッセイ誌『焔』69号
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2004.11.10
横浜市西区
福田正夫詩の会 発行
1000円
 

    ちいさなことば    上林忠夫

   小さな娘が
   どこからか ことばを拾ってきた
   前橋の祖父母
   箕郷の祖父

   こんなことばは
   使ってほしくない

   妻と顔を見合わせ
   口をとがらせる

   「おまえね」
   小さな娘が言った
   これはあなたね

   「いやなの」
   人生がこもったようなことば
   これは君だ

   先日
   「お金ちょうだい」と言った
   耳を疑った
   これは
   どこから
   仕入れてきたのだろうか

   そうだ
   保育所だ
   そういえば
   風邪も
   風疹も
   保育所からもらってきたではないか

   今日も
   せっせと
   小さな娘は
   ことばを拾ってくる

   我が家では
   ずいぶん
   ていねいなことばが
   使われるようになった

 「小さな娘」の突然の悪いことば。私も覚えがありますね。本当に「どこから/仕入れてきたのだろうか」と思いました。うちも「保育所」からだったと思います。「ちいさなことば」にタジタジとなったことを思い出しました。
 最終連がいいですね。そんなふうに親が注意して、夫婦で子供を守る、ひとつの典型を見た作品です。



黒羽英二氏詩集『月天心にありて』
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2004.11.30
神奈川県中郡大磯町
玄葉社刊
1500円
 

    ヘイムスメカモン

   少年二人サクラジョウスイカラ乗り込ンデキタ
   少年タチアメリカノ軍服着テタ
   電車マンインダッタ
   戦闘帽カブリ兵隊服着テ軍靴ハイテル者大勢イタ
   背広着テル者モ少シイタ
   女モタクサン乗ッテタ男タチノ半分グライダケド
   髪パーマ服トリドリハイヒールモ少シイタ
   アメリカ少年兵二人トツゼンワメキダシタ
   乗客逃ゲテ車輌後方ニスシ詰メニ固マッタ
   アメリカ少年兵二人ノマワリダケ空間広ガッタ
   二人ワメキ続ケ
   ツイニピストル抜イテ頭ノ上ニカザシタ
   ヘイムスメカモン!
   声荒ラゲピストル収メ手近ナ娘ノ手ツカンダ
   恐怖屈辱カラダ強張り両足踏ン張ルモ
   アメリカ少年兵二人強引ニシートニ女ヲ座ラセ
   ヘイムスメカモン!
   二人三人無理矢理シートニ女座ラセ
   布剥ガサレタオンボロシート女タチデ埋メラレタ
   男タチ皆眼伏セ首ウナダレテ兵士二人ヲ見ナイ
   ロカコーエンデ二人ハ降リ
   「デマカシOK?(民主主義ワカッタカ)」ト笑ッタ
   ショーワ二十二年アキ
   アメリカニ敗ケ夕日本ノ
   軍艦色ノ京王電車ノ中
   少年十五歳
   眼卜心ニ焼印押サレ
   ソノママ消エナイ

 「ショーワ二十二年」頃の米兵の話は、小説や映画で少しは知っていたつもりですが、この「アメリカ少年兵二人」の行動は初めて知りました。最初は米兵の暴行かと思ったのですが「デマカシOK?(民主主義ワカッタカ)」だったのですね。「デマカシ」はもちろんデモクラシー≠フことでしょう。女性に席を譲らない男どもに業を煮やした行動だったのでしょうが、今のアメリカを思うとそんな「アメリカ少年兵」もいたのかと驚くばかりです。嫌われ者になってしまった現在の米兵を思うと、隔世の感がありますね。

 著者の作品は前詩集『須臾の間に』で初めてまとまって拝見でき、それ以来のファンになってしまったのですが、今詩集も読み応えがありました。硬質な表現の中に著者の懐の深さが感じられる詩集です。小説では1970年に文藝賞、詩では本年に小熊秀雄賞をお取りになっていることでも判るように、小説・詩の両刀に鋭さを持っているようです。ご一読を薦めたい詩集です。




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