きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.15(月)

 月に一度の月報会。わが品質保証課の、この1ヵ月の製品品質状況を部長を始め、製造課・技術課への報告する会です。製造課が造った製品、技術課が開発した新製品が良かったか悪かったか。結果をズラズラと述べるだけなら楽なんですけど、品質を担当する課として、それらをどう考え、どう製造課や技術課の行動に結びつけるかが問われる会議ですから、キツイですね。ポイントは一般常識でどう考えるかだと思うのですが、専門家というのはどうしても自分の専門分野にこだわり気味です。そこを突かれてハッとする場面がしばしばあります。知らず知らずのうちに、企業とは学校なんだと思いますね。そんなことを言ってるうちはまだ甘いと思うのですけど、まあ、それが実態。考えて、考えて、さらに考えることを学ぶ会議だと思っています。



詩誌『パンと薔薇』122号
    pan to bara 122.JPG    
 
 
 
 
2004.10.30
北海道室蘭市
パンと薔薇の会・光城健悦氏 発行
500円
 

    きょうめいかん
    共鳴館    村田 譲

   駅構内美術館に設置した
   展示物の一覧は
   月日を摸したピラミッドの三角

   水槽に埋まった若い女の頭蓋
   所在不明の自分に宛てた所在
   皮膚癌の男から削ぎ取った肌
   臍
(へそ)の緒(お)を包む老いたる婆の掌
   無言の宅配便に添付した礼状

   まだ生きとるのか、
   悲しみをも持ち歩くのか、と
   添え書きされるなら
   黙ってうなづき
   いつか笑い話に仕立てあげるのだとの決意を
   密室に閉じた長男の携帯へ
   打ち込んだメールごと
   陳列台のいちばん奥にたてかける

   零時をまわって施錠された駅舎は
   壁一面に緑色で固めたリキュールの瓶
   広告フィルムを貼がしながらのイヴ
   屈曲したムーヴメントの光に
   たたかれる結晶が
   聖堂の鐘とともに鳴く

   くぐもり響く音の渡り
   最上階へつづく階段へ逃走する
   閉ざされたはずの入口の裏で
   澱む背信の息使いをためて
   闇色に染めぬいた欲望が
   三十八の階層の踊り場で
   拾い集めた吸いさし
   踏みつけられた形状で発火する

   展望台の窓をあけ放ち
   しつらえた便器
   癲狂院
(てんきょういん)から譲り受けた大時計は
   失われた夜への再会を願い
   ネオンに満ちた景色の只中へと
   放尿する
   銀の解放区

 かなり難解な作品ですが、鍵は「共鳴」ではなかろうかと思います。第2連が一番判りやすいかもしれません。「水槽に埋まった若い女の頭蓋」が共鳴する、「所在不明の自分に宛てた所在」が共鳴する、などの読み方ができると思います。
 もうひとつは「駅」でしょうか。「駅構内美術館」「零時をまわって施錠された駅舎」。それは「三十八の階層」を持っていると解釈してみました。それが「共鳴館」なのかもしれません。
 この作品は意味や解釈で判断してはいけないようです。朗読すると、もっと違った雰囲気になるのかな、と思います。



新 哲実氏作品『キクロス』
    kikuros.JPG    
 
 
 
 
2004.11.25
東京都千代田区
アテネ社刊
1300円+税
 

   ここ 人間文明の辿り着いた
   未踏の荒野の果てに在っては
   孤独とは

   たましいを
   万の否定の後
(のち)に来る
   深い肯定への憧れと

   有りのままに在るものたちへの
   原液のままの愛で満たして
   生きてゆくこと

   永遠に知られざる泉
   私の存在の核から
   ひそかに世界に湧き出でて

   せせらぎのまま
   声押し殺して流れ続ける
   祈りを帯びた言葉たちは

   今日も私の生の地形を
   瞬時毎になぞり換えながら
   有性の果てのはるかな海へ

   凡庸な安らぎのかなた
   偽りの輝きのかなた
   騒々しい微笑みのかなたへ

   あなたを指して下りてゆく
   原初の持続の揺らぎに生きる
   得体の知れない生き物よ

   長い旅の間中
   守り通した真の孤独を
   培い続けた真摯な言葉を

   その純度のままに受け止めて
   こぼれんばかりに春を満たした
   夕ベのチューリップのように

   やさしくそっと包み込み
   ねぎらい抱き締めてくれる
   大きな愛の掌
(たなごころ)

   あなたの元で 私の想いは
   初めて自らの声を知り
   音楽となって語り始める

       ☆ ☆ ☆

 副題に「名付けられないものに寄す」という言葉が付いている作品で、70頁近い1編の詩です。タイトルの「キクロス」とはギリシャ語で、ΚYΚΛΟΣと書きます。意味は円だそうです。
 紹介したのは冒頭の部分ですが、すごい書き出しだと思います。この後にギリシャ神話のオルペウスなどが出てきます。作品の良さはそのあたりまで行かないと判らないのですが、ここでは冒頭に留めました。言葉の音楽としての詩を堪能していただけるものと思います。この分野に興味のある方にはご一読を薦めます。



なんば・みちこ氏詩集『おさん狐』
    osan gitsune.JPG    
 
 
 
 
2004.11.3
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

    狐ん嫁入り

   子狐が初めて化ける練習ん時ん
   お母狐が言うたてえ
   ……みんなめえめえ得意
(とくゆ)う持たにゃあおえん
     それにゃあなあ なりてえもんをよう見てから
     そんとおりがでけるまで練習せにゃあおえんぞな
   せえからみんな始めたてえ

   鳥んなりてえ子狐あ
   ほんまじゃ 鳥にゃあ足二本
   ふさふさの毛もねえ尻尾もねえ
   耳もねえなあ そん代わり
   くちばしがあって羽がある
   人間になりてえ子狐あ
   ほんとじゃ 人間は難しいなあ
   男と女は格好も違うし髪型も違う
   話しかたまでみな違う
   子供と大人もみな違う

   せえでもみんな
   一生懸命やったてえ
   人間の娘に化けたお春はのう
   嫁入り行列がやってみてえ言うて
   お母狐へせがんだてえ
   兄弟狐も手伝う言うけえ
   お母狐も承知
(しょうちゅ)うした

   朝から晴れて雲もねえのに
   雨が降ってきて
   降り出えたか思うたらすぐ止んで
   かっかかっかまた日が照り出すことがあるじゃろう
   あれじゃ
   あん日もそうじゃった

   まだ少うし雨が残って
   雨ん筋が生糸みてえに光り光り
   天から斜めに落ちゅうた
   そん時じゃった
   角隠
(つのかく)しゅうつけたきれえな嫁ごの行列が
   山ん麓ん道うしずしず進んで行ったんじゃ
   そりゃあきれえじゃったで
   田んぼをしょうた百姓らあ
   めったに見えん行列う
   腰う伸べえて見送ったんじゃ
   衣装がまたぼっけえもんじゃ
   お姫
(ひい)さんでも作ってもらえんような
   きんきらきんきら虹みてえに輝
(かがえ)えとった

   せえじゃけえど うしろから二番目のお供がのう
   一人だけ少しばあ遅れて付
(ち)いて行きょうたが
   太え
(ふて)尻尾をのぞかせとった
   一番後ろを品のええ年増
(としま)が行きょうたが
   これがおさん狐に違えねえ 色気が違う
   前
(めえ)の尻尾を着物の裾で一生懸命隠しょうた

   村ん者
(もん)は 拍手うして見送った
   ……うめえもんじゃ ほんにのう
   ……ええもん見せてもろうたわい
   せえからもういっペん
   じっと見つみょうとしたら
   消えとった
   狐ん嫁入りん出合
(でお)うたら
   ええことあるんで

 著者のご自宅から1kmほど南にある伊予部山(いよべやま)に伝わる狐の話をもとにした作品だそうです。18編の詩すべてが「おさん狐」に関する作品です。母狐のおさんには8匹の子狐がいて、昔話の通りに化けて人間と接しています。そのいたずらにあたたかい眼を向けている人間の姿は、紹介した作品からもお分かりいただけると思います。ここでは私たちにも馴染み深い狐の嫁入りを紹介してみました。岡山の方言が好い味を出している作品だと思います。

 詩集を通読して思うのは、かつての自然と人間の関係が失われてしまった現実です。たった40年、50年前には確かにあったその関係がいつ頃から無くなってしまったのか、そんな問を知らずに考えてしまった詩集です。




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