きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.19(金)

 珍しく呑み会のない金曜日。仕事も早々に終えて定時で帰宅しました。今週は連日の呑み会がありましたからね、ちょっと控えています。帰宅して読書三昧。そんな金曜日もいいものです。



個人誌『伏流水通信』13号
    fukuryusui tsushin 13.JPG    
 
 
 
 
2004.11.10
横浜市磯子区
うめだけんさく氏 発行
非売品
 

    鶴よ
     <釧路にて>    うめだ けんさく

   夏の原野に
   丹頂鶴が数羽いた
   鉄柵の檻が哀れだった
   翔んでくれないか
   彼らに向かって
   俺はそっと呟いた
   まさか翔ぶことを忘れたわけではないだろう

   湿原に嘴をさしこんでは
   思慮深げな姿勢でいる
   おまえは
   自分で美しいと思ったことがあるのか
   ほんとはどうなんだ
   なぜナルシソのように陶然している
   老いたのか
   訊ねてみたことがあるかね
   おまえを捕らえたものに
   自分の領域を奪った真実を
   知らずに老いていくのは馬鹿げている
   その死もつまらないものにしかならない
   もっとも
   知っても 知らなくても
   老い
   死ぬ
   それっきりだ

   しかし
   おまえは
   きっと夢の中で
   美しい姿で空を翔んでいる
   かつてのように
   凛とした若者のごとく天を仰ぎ
   厳冬を待つ視線を
   宙にしのばせているに違いない

 「丹頂鶴」に仮託した私たちを考えさせられます。「自分の領域を奪った真実を/知らずに老いていくのは馬鹿げている」とは思いながらも「知っても 知らなくても/老い/死ぬ/それっきりだ」と言うしかないのは、何とも遣り切れないものを感じますが、それが「真実」というものでしょう。しかも「美しい姿で空を翔んでいる」のは「夢の中」でしかない。作者の意図とは違ったかもしれませんが、精神的な「鉄柵の檻」を考えてしまった作品です。



弓田弓子氏詩集『雪の下』
    yuki no shita.JPG    
 
 
 
 
2004.11.5
東京都台東区
ワニ・プロダクション刊
1200円
 

    三輪車

   ほんの一時間足らずの事でしたが 三輪車を乗り廻し
   空中を漂っておりました ペダルを漕ぐのに夢中で自
   分の位置を見失っておりましたら 雨が降ってきまし
   た 教会の尖塔を目標にして広い砂地に着地しました
   三輪車は私の意思でもあるかのように ステンドグラ
   スの美しい礼拝堂に騒音を高く響かせて進入して行き
   ます 祈るでもなく懺悔するでもなく私は三輪車に身
   を委ねておりました 心の内ではおろおろするばかり
   でしたが 神は不在でした 天井のステンドグラスが
   人のかたちそのものに細長く割れておりました 神は
   あそこからお出かけです 詰め襟の人が案内してくれ
   るのですが どこか怯えているふうでした お困りで
   すか 私が訊ねますと ここは戦場の近くでもありま
   すから不安です と答える 上からはそんな荒荒しく
   見えませんでしたが で 神は戦場にお出かけですか
   いえ いえ お逃げになりました平和主義者ですから
   やはり神は人間でもあるのですか いえ 人間ではあ
   りません 気掛かりな戦場について日頃の鬱憤をはら
   すつもりもあって 私は詰め襟の人に会話を続けさせ
   ようとするのでした 最も身軽な神が戦場に出て行く
   べきです 逃げるのは卑怯です神には逃げ場が多すぎ
   ます この戦場は神神の争いと噂されておりますが
   この三輪車をお貸しします神を探してお連れになって
   ください いえ ここを動くわけにはいきません生と
   死の境にいなければなりません 人びとがどちらに行
   くとしても見届けねばなりません 私はいらいらして
   それではますます神はお戻りになりませんねと言いま
   した 神は嘆いておられます 深く深く嘆いておられ
   るのです 詰め襟の人はもう話したくないと言わんば
   かりに 固い顔つきで ところであなたはこちらです
   と私から三輪車を外しました 詰め襟の人から白衣の
   人に入れ替わり 終わりましたよ と声をかけられ
   私は手術台から移動させられているのでした

 手術中の夢として受け取れますが神の本質を突いているようで、好い作品だなと思いました。「神は不在でした」「お逃げになりました平和主義者ですから」「逃げるのは卑怯です神には逃げ場が多すぎます」などの詩句には同感しました。「この戦場は神神の争いと噂されております」という詩句では神が戦争のもとになっていることを告発していると考えてもよいでしょう。
 「三輪車」は「生と死の境」を彷徨った象徴として採ることができますね。「ペダルを漕ぐ」姿には滑稽な感じさえ受けますけど、それだけに怖い姿と云えましょう。相変わらずの弓田ワールドに惹かれた作品、詩集です。




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