きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.25(木)

 次々と書面を片付けていって、アッという間に定時の17時になってしまいました。明日は日本ペンクラブの「ペンの日」に出席するつもりで休暇予定です。もう少し片付けるか、というわけで18時まで残業して、まあ、そこそこ納得できたかなと思っています。仕事ってキリが無いですからね、どこかで妥協しないと毎晩徹夜になってしまいます。
 で、納得できたところで帰宅。いただいた本を読みながら夜を過しました。読書の秋にふさわしい夜だったかな。



一色真理氏詩集『偽夢日記』
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2004.12.24
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

    踏切

   とても悲しいことがあったらしい
   ワイパーが涙をぬぐってもぬぐっても
   ぼくの車は泣きやもうとしないのだ

         *

   踏切が開くのを待っているうち
   いつのまにか根が生え
   枝の先に花まで咲いてしまった

   遮断機の向こうを
   大声でぼくの名前を呼びながら
   電車が駆け抜けていく
   そしてみるみる
   遠ざかっていってしまうのに

 ご存知の方も多いと思いますが、著者は10年ほど前から夢の記録をインターネット(当時はパソコン通信)で発表しています。この詩集は、それらの夢を元にして作品化されています。紹介した作品はその一端ですが、「ワイパーが涙をぬぐってもぬぐっても/ぼくの車は泣きやもうとしない」なんてフレーズは詩句としてもおもしろいですね。心理学的にはどういう説明がなされるのか判りませんが、純粋な詩として読んでもおもしろい詩集です。詩と夢が本来は紙一重なんだと改めて感じました。



岡本勝人氏詩集『ミゼレーレ』
    misery    
 
 
 
 
2004.11.30
東京都豊島区
書肆山田刊
2500円+税
 

    

   一八五二年十一月の晩秋
   ニューヨークからミシシッピ号に乗った男は
   石炭と水と食糧を積んでノフォーク港を出発した
   マディラ諸島から希望峯をまわるころ
   大西洋の地図はポルトガル産のマディラ酒にぬれた
   モーリシャス島 セイロン島 シンガポール 香港 上海と
   インド洋から太平洋へと白いクジラが船をおいかける
   米国東インド艦隊司令長官は
   石炭と水と食糧の基地である南の琉球島那覇港に碇泊する
   小笠原諸島の調査からもどった一八五三年七月
   海上から初夏の富士をながめるソルジャーたち
   紺碧の海のうえを
   緩慢な夙が吹いていた
   伊能忠敬
(いのうただたか)の「日本沿海実測図」は
   シーボルトの手をへて英国で印刷されていた
   ペリーが眺める船室の地図には「
YEDO」のしたに
   「
Kanagawa」「Yokohama」「Uraga」という
   まだみぬ地名が記されていた
   ミシシッピ号 サスケハナ号 サラトガ号 プリマス号の四隻は
   村里 浦賀の港に錨をおろす
   横浜の村は遠浅の海に
   本牧岬より野毛浦へと砂洲がつづいている
   当時の横浜は小さな漁村だった
   東海道をいくひとびとは
   神奈川宿からまわり道をしたので
   畑に点在する人家や松林のむこうに
   青い海と小舟を眺めた
   日本近代の肌寒い夜明けよ
   空には鷹が舞っていた
   お台場も洋式灯台もまだないころのことである

 「沈黙する季節
」という副題の付いた詩集で、全1編の長編詩です。表題の「ミゼレーレ」とは17世紀の作曲家グレゴリオ・アレグリの作曲した教会音楽ですが、ローマの聖ピエトロ大聖堂では、写譜したり、門外に持ち出すことを禁じられている秘曲だそうですが、14歳のモーツァルトが聴いて、ホテルで難なく写譜してしまったという逸話があるようです。フランス語・イタリア語では「ミゼレーレ」ラテン語は「ミセレーレ」、英語の「ミゼリー(misery)」は同一の意味ないし同類語だそうで、日本語では「みじめさ」という俗の意味から「主よあわれみたまえ」の聖句にいたる意味に訳されているそうです。

 この長編詩は、そうした歴史の推移に詩想を練ったものだそうで、1〜12の章があり、ここでは冒頭の部分のみ紹介してみました。このあと日本や世界の歴史、家族を壮大なスケールでうたいあげ、一気に読者を引き摺り込んでいきます。おもしろいですよ。
 実は全編が日本ペンクラブHPの「電子文藝館」に載っています。是非そちらで全編を味わってみてください。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html の「詩」から入れます。



詩誌さやえんどう27号
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2004.11.15
川崎市多摩区
詩の会さやえんどう・堀口 精一郎氏 発行
500円
 

    雪の女王    袋江敏子

    

   何も感じなくなる
   私が私を感じなくなる
   そうしたら楽だろうな
   どうして 私は私としてうまれたの
   どうして こんなに息ぐるしいの

       ※
   雪野原で女の子が一人 遊んでいる
   格子柄の緑色のオーバー
   フーッ 息を吐いてその白さを確かめている
   両手をふって行進
   直角に曲がる
   足跡がつくった四角い部屋
     ここが居間 天井にはシャンデリア
     どんなお料理もつくれるキッチン
     シンデレラの寝室
     レースのカーテンに包まれたベットに
     少女は横になる
     羽毛の布団はすっぽりと少女を包む

   あなた だあれ?
   少女が私に声をかける
   一緒に遊びましょ
   手袋の片方 貸してあげる
   ここはとても寒いのよ

   これからお空に影を映すの
   じっと地面の影を見つめて
   サッと空を見るのよ
   ほら 私の影が空に映ってる
   あれはもう一人の私なの

   私は赤い手袋を見ていた
   ゴツゴツとした五本指の手袋
   はめると温もりが手を包んだ
   ママと手をつないだ時のように
   夢をみてるのだわ
   きっと

   目覚めてもその温もりが残っていた
   赤い手袋 あれは手編みだった

   ママ 子どもの頃 手袋はめた?

   ママのお母さんが編んでくれたわ
   セーターも靴下もパンツも
   寒くて雪の多い所だったから

   その手袋 小さくなったらどうしたの

   ほどいて靴下やマフラーに使ったり
   何度も編み直していたのを覚えているよ

   赤い手袋 あった?

   初めての五本指の手袋が赤だったな
   ママ うれしくて雪野原で遊んだの
   そうそう 不思議な子がいてね
   マフラーも手袋もしないで寒そうに私を見ていた
   手袋 貸してあげたわ

   夕方までその子と遊んだの
   ふと気づいたら居なくなっていた
   大切なものをなくしたようで一生懸命探したの
   でも それっきり

      ※
   左手に私は赤い手袋をはめている
   見えない時空で
   そこではずーっと

   私がママの子としてうまれた証し

 「夢」と題されていますけど不思議な話ですね。でも「私がママの子としてうまれた証し」をこのように書けるのはうらやましい限りです。「雪の女王」が実は自分の娘だったと知ったら「ママ」はどんな顔をするのか興味津々です。
 ミステリー仕立てですが底には母娘の深いつながりを感じます。母娘でさえ殺し合いかねないこの時代、こんな作品が必要なのかもしれません。童話にでもしたいと思った作品です。




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