きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.11.28(日)

 昨日に引き続いて今日も、朝寝・昼寝で、その間にいただいた本を読んで過しました。外に出たのは朝刊を取りに行っただけだったかな? 2日連続でそんな生活をしていると体力は随分と回復するものだなと思います。寝すぎて頭がボーッとしています。ん? ボーッとしているのはいつものことか(^^;



柴田三吉氏詩集『遅刻する時間』
    chikoku suru jikan.JPG    
 
 
 
 
2004.12.1
東京都葛飾区
ジャンクション・ハーベスト刊
1800円
 

    比喩

   交差点の手前で
   女の子を乗せた自転車が追い越していき
   その一瞬、わたしの耳をことばが打った
   ――だまらないと、口が曲がるくらいひっぱたくよ
   若い母親にしがみつく
   ちいさな背中が見えた
   信号が変わり、わたしは立ち止まった

   ことばが地面に落ち
   とんとんはずんでいる
   口が曲がるくらい、ほんとうに
   女の子は叩かれるのだろうか
   いや、家に着くころには母親の怒りもおさまるだろう
   すでに女の子の頬は
   比喩の手で叩かれたのだから

   口が曲がるほど
   酸っぱいものを想像し、ころがることばを蹴った
   世界はまさにそんな比喩でみちている
   火箸のような、針のような
   きょうはもう、と覚悟した
   机に向かうことも、ことばを記すことも
   できはしないと

 「比喩」に功罪があるとしたら、これは罪の方でしょうね。「比喩の手で叩かれた」「女の子」を思い、「机に向かうことも、ことばを記すことも/できはしないと」「覚悟した」著者の敏感さに敬服します。「口が曲がるほど/酸っぱいものを想像し、ころがることばを蹴っ」ても「火箸のような、針のような」「世界はまさにそんな比喩でみちている」現実を知ってしまった著者の落胆。何事もなくやり過ごすこともできたはずなのに「耳をことばが打っ」てしまう詩人の感性は、実は誰もが持っているものなのかもしれません。

 そんな感性に満ちた作品はタイトルポエムの「遅刻する時間」を始め、「そのひぐらし」「冬の旋律」「如カズ」など多くの作品に表出していると思います。柴田詩の世界を楽しめる1冊です。



菊田守氏詩集『タンポポの思想』
    tanpopo no shiso.JPG    
 
 
 
 
2004.11.25
東京都板橋区
待望社刊
2500円+税
 

    タンポポの思想

   しっかり根づいた
   桜の大樹の下
   赤い提灯
   敷かれた茣蓙
(ござ)
   酔限のヒトと歌と手拍子
(てびょうし)
   頭上でとび交う
   ヒヨドリの歓喜
(かんき)の声
   春らんまんの桜の季節に
   わたしは見た
   さすらいの草花
   タンポポの本当の姿を

   とある川の辺
(ほと)
   散歩みちの途中に
   咲いている黄色のタンポポ
   いつも仮
(かり)の宿(やど)りの場所で
   タンポポは
   風にそよぐペンペン草の隣
(となり)
   そこに在る
   咲いている一本のタンポポの花は
   まるで大地に輝く
   黄金の太陽のようだ
   やさしいこころが
   白い蝶やシジミ蝶になって
   やってきて舞っている

   さすらいの魂
(たましい)とは
   こういうものだ
   人目にはつかないが
   しっかりした
   武骨
(ぶこつ)な思想が
   ここに花開いて
   ひとときの生を
   生きている

   そして
   いっとき咲いて
   さっさと立ち去って
   また見知らぬ土地で
   根をおろすのだ

   さすらいの魂
   タンポポよ

 小動物の詩人・菊田守さんの草花を中心とした詩集です。紹介した作品はタイトルポエムですが「タンポポ」への視線が新鮮だと思いました。「タンポポの本当の姿」が「武骨な思想」「さすらいの魂」だとはなかなか思いませんからね。「ひとときの生を/生きている」のは何もタンポポに限った話ではなくて生あるもの全てに言えることなのですが、それをタンポポに限定することで、逆に私たちにも照射しているのだとも思います。菊田詩の根源を解き明かす作品でもありましょう。一読をお薦めする詩集です。



詩とエッセイ誌『すてむ』30号
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2004.11.25
東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会 発行
500円
 

    靴    長嶋南子

   新しい夫は
   遊びにいく時は茶色のバックスキン
   黒い靴を履くと
   勤めに出かける気になる
   本当にわかりやすい

   前の夫はいつもスニーカーなので
   温泉に行きたいのか勤めに行きたいのか
   なにをしたいのか
   わからなかった

   わかりやすい新しい夫
   靴を見ていればいいので
   話すことがなくなった
   することないので街に出かける
   新しい靴にも夫にも
   まだなじんでいない
   こすれて小指が
   痛い

   スニーカーを履いているひとを見ると
   話しかけたくなる

 「新しい夫」と「前の夫」を「靴」で比較するというのはおもしろい発想ですね。でも「わかりやすい」ことが全て良いわけではない、「話すことがなくなっ」てしまうこともある。だから「スニーカーを履いているひとを見ると/話しかけたくなる」というのはよく分りますし、女心を垣間見た思いもします。「新しい靴にも夫にも/まだなじんでいない」けど、でも、いずれは馴染むのが人間なんだろうなとも考えた作品です。




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