きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
     
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.1(水)

 今日から師走というのに、ん?師走だから、かな? 午後から東京本社に出張してきました。新幹線が品川に止まるようになって、山手線恵比寿→地下鉄日比谷線六本木というルートを使うようになったのですが、今日は日比谷線の広尾から行ってみました。本社までの距離は六本木からでも広尾からでも変らないのですが、広尾は降りたことが無いので慣れた駅を使っていたというだけです。途中に六本木ヒルズもあるしね(^^; でも、駅は恵比寿→広尾→六本木と続いていますから、広尾で降りれば1駅分早くなるわけです。今後のためにもルート開拓、というつもりで降りてみました。

 地図で見ると距離的には変らないはずなんですけど、意外と早く着くなと思いました。原因は人込みと信号の数でしょうかね。人通りは六本木の半分以下。数えませんでしたけど信号も少ないようです。六本木からだと15分ぐらい掛るのが13分ぐらいかな? 途中でお茶していましたので正確には判りません(^^;

 会議は無事終了。表参道まで歩いて、うどんが名物という店で呑んで帰りました。お酒は「一の蔵」ぐらいしか無かったですね。そういえば先週の出張でも「一の蔵」を呑んだなぁ。体調が悪かったので1合だけにしようと思ったのですが、段々調子良くなって(^^; それでも2合で止めておきました。身体を労わりながら呑むようじゃオシマイですね。



詩誌『左庭』3号
    satei 3.JPG    
 
 
 
 
2004.11.25
京都市右京区
山口賀代子氏 発行
500円
 

    巣箱の修理    堀江沙オリ

   こいのぼり こわれた
   お兄ちゃん こわれた

   こいのぼり もう直らない
   十五年前の部品がもうないから
   お兄ちゃん 十五年前の部品がない
   こいのぼり 買い換えるって
   お兄ちゃん 買い換えられないよ
   どうしたらいいの?

   お兄ちゃん こわれると
   お母さんも こわれる
   どんどん部品 落ちて行く
   お母さん お父さんに 部品拾ってほしくて
   お父さんに部品 投げつける
   お父さんのねじに命中して
   お父さん こわれる
   あたしは 泣いた
   あたしの涙 オイルになる?
   あたしの涙 接着剤になるなら
   いくらでも 泣いていいよ
   いくらでも あげるよ

   お母さん 自分で直す
   あたしの涙塗って ガムテープ巻いて
   お父さん 自分で直す
   あたしの涙塗って ガムテープ巻いて

   お母さん またこわれる?
   お父さん またこわれる?
   いまはお父さん 直った顔になってる
   お母さん ガムテープ 少しはがれてるけど
   私は泣きやんだ

   お兄ちゃん まだ直らない
   私の涙 オイルにも 接着剤にも
   真水にも ならない
   あたしの茎が すこし腫れた

   こいのぼり こわれた
   お兄ちゃん こわれた

   こいのぼり もう直らない
   お兄ちゃん いつ直る 
   来年になって
   新しいこいのぼりと一緒に 直る?

   お兄ちゃん
   来年の五月
   新しいこいのぼりの下で
   吹き流しがなびくみなもとに向かって
   みんなで 歩こうね
   くるくる 笑おうね

 「巣箱」という家族模様を「修理」していく様を描いていますが、存在感があると思います。特に鎹(かすがい)となっていも「あたし」の存在が大きいですね。「お母さん お父さん」に比べて「お兄ちゃん」の「直る」のが遅れる理由は、私も長男ですから判るような気がします。妹に「みんなで 歩こうね/くるくる 笑おうね」と言われた昔を思い出します。ちょっと自分のことに引き寄せて失礼だったかもしれませんが、そんなことを感じた作品です。



アンソロジー『大宮詩集』27号
    omiya shisyu 27.JPG    
 
 
 
 
2004.12.1
さいたま市大宮区
大宮詩人会・飯島正治氏 発行
1300円
 

    いつもの道    岡野菊子

   詩を見つけに行った
   秋の空は視野いっぱい澄んで
   平和な世界がどこまでも
   続いているように見える

   大通りまで
   次々建てられた
   家とマンション
   夏いっぱい庭を飾った花達
   ベゴニアも 下った気温にその位置を譲って
   垣根から身をのり出し
   笑いかけるような菊の花
   狭い庭に小さい蜜柑 柿の木
   いくつかの実を黄色に染めて
   花水木は道にそって
   他の木より早く その葉を紅色に変えた
   冷たい風に家々の窓は閉められ
   あの悪戯止功やの声も聞えない

   大通りは車が絶え間なくスピードを上げて走る
   詩を忘れた私
   自動車から身を守りながら
   スーパーに足は向いて
   そうそあれも これも
   私の手には
   野菜やおかず 大きな買物袋が
   詩の代わりに下がっていた

 「詩を見つけに行っ」て、「ベゴニア」「菊の花」「蜜柑 柿の木」「花水木」を見つけたけど、「大通りは車が絶え間なくスピードを上げて走」り「スーパーに足は向いて」、結局「野菜やおかず 大きな買物袋が/詩の代わりに下がっていた」というわけですけど、親しみの持てる作品ですね。形而上と形而下がうまく機能していると思います。「詩を見つけに」街や林に出かけて、逆の思いをして帰ってくるということは私にもあるのですが、この作品のような気持にはなかなかなれません。心の広さの違いかもしれません。そんなことを感じた作品です。




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