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「モンガラ
カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.12.3(金)
久しぶりの個人的な金曜呑み会。お気に入りの店でお気に入りの酒を呑んで、最高です。山口の「獺祭」を3合も呑んでしまいました。ニンニク焼きも食べたしね。毎週出張で、ちょっと疲れていましたけど、これで大丈夫、、、おっと、明日も出張だ、土曜日だけど……。ま、気楽な出張です。写真を撮ることが最大の仕事になりそうです。
○北岡淳子氏詩集『アンブロシア』 |
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21世紀詩人叢書・第U期1 |
2004.11.30 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
2000円+税 |
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微笑む
そんなに瑞々しく君はいつでも微笑んでい
るのに ときどき君を忘れている ごめん
行きずりの声や 思わず追いかけて確かめた
りする見知らぬひとの後ろ姿から ふっと還
ってきて君は 過ぎた日の話を始めるけれど
君と同世代の年若い墨衣の 時につかえる
読経にもやわらかく笑ってしまう そのたび
に君が還ってくるので 無数の手を伸ばし
微笑む君をとらえようとするおかしな人たち
ばかりがここにいるよ 気配の指を遠慮がち
に触れる 日常のふとした罅のような君の時
間がいつ訪れるか知れないので 私たちはそ
れぞれ 澄んだ空間にアンテナを張り合った
暮らしの折々に立ちあがっては ひとしき
り華やぐ時間のあと 満ちてくる深い寂蓼の
へりに君がそっと立ち現れるので 宇宙の波
動のように 寂蓼ごと私たちをゆらすので
思わず堪えていた声をあげると かき消える
悪戯ものの君だった 君はまだ微笑んでいる
お案じなら寺でしばらく供養を続けましょ
うという墨衣の若い僧とともに 微笑む君の
前で 膳に向かい箸をとる 君との距離を確
かめる このもの喰うとき 口に含む一瞬の
静寂 どこか後ろめたく うつむく私たちに
君はなお ふっくらと微笑むのだ
この詩集の中では異質な作品です。私の的外れとは思いますが、著者の詩を書く必然性がここにあると感じました。この作品を根底にして詩集を読むと、ずいぶんといろいろなことが判るのかもしれません。そんな気になっています。
詩作品ですから事実かどうかは関係のないことですけど、「君」の人間像がよく描けているなと思いました。「おかしな人たち」の心理も手に取るように伝わってきて、胸に迫るものがあります。「気配の指を遠慮がち/に触れる」「澄んだ空間にアンテナを張り合っ」ているなど、「私たち」の行動に人間とは何かを見た作品です。
○季刊文芸誌『南方手帖』79号 |
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2004.12.1 |
高知県吾川郡伊野町 |
南方荘・坂本 稔氏
発行 |
800円 |
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秋ガ来テ…… 坂本 稔
秋ガ来テ
私ガ遠イ。
秋ガ来テ
庭住ミノ蛙ガミイラ<jナッタ。
秋ガ来テ
飼イ猫ガ猫山へ消エタ。
秋ガ来テ
キリマンジャロ<m味冴エル。
秋ガ来テ
シリウス<m億年ノ青イ光。
秋ガ来テ
毎日手紙ヲ書イテイル。
秋ガ来テ
生マレル前ノ闇ヲ知ル。
秋ガ来テ
私ガ益々遠クナル。
「秋ガ来テ」という単調な繰返しが何とも面白い味を出している作品だと思います。もちろんカタカナも奏功していますね。「私ガ遠イ。」という第1連、「私ガ益々遠クナル。」という最終連のフレーズが全体をピシャリと締めているとも思います。「生マレル前ノ闇ヲ知ル。」という詩句を真剣に考えると難しいのですが、「庭住ミノ蛙ガミイラ<jナッタ」り、「飼イ猫ガ猫山へ消エタ」りするようにひとつの生が終ろうとしている季節、次に来る再生のための準備の季節、と捉えています。何度も朗読してみた作品です。
○文芸誌『獣神』28号 |
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2004.11.24 |
埼玉県所沢市 |
伊藤雄一郎氏 発行 |
1000円 |
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詩作 大瀬孝和
さびしいものが
ふりそそぐとき
すなどけいの
したたるかげ に
<生きる> ということの
しきりにふりそそぐとき――
ひそかにもえる
蜂蜜色の
ことばのらんぷに
暗い夜が照らしだされるとき――
「詩作」をする時間、あるいは動機を描いた作品だと思います。身に覚えがあるだけに親近感を感じました。ただ、最終連は私と違って、深い意識で書いているのだなと思います。「蜂蜜色の/ことばのらんぷ」なんて、とても出てきません。彼我の違いを見せつけられました。
伊藤雄一郎氏の小説「白い煙が立ち昇る日」は問題作で、一気に読んでしまいました。長生きをすることは本当に幸福なのか、老人の死の理想とは何なのかを考えさせられます。少子高齢化が現実になって、これから年を追うごとに深刻になる問題です。そのひとつの解決法が提示されています。ミステリー仕立ても読者をグングンと魅きつけていく小説で、おもしろいですよ。
○詩誌『天山牧歌』65号 |
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2004.11.25 |
北九州市八幡西区 |
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏
発行 |
非売品 |
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飛翔する雁の群れ 秋吉久紀夫
桜葉が紅や黄に色づく秋の夕暮れ、
茜色の空を隊伍を組み翔けて行く雁の群れ。
一羽、二羽、三羽、四羽、五羽、六羽、七羽……
先になったり、後になったり、
北から南へ暖かな目的地を目指してまっしぐら。
はたはたと左右の翼を羽ばたかせて
飛翔を調節し、尾羽は船の舵取り役。
きみらの視力はどんな遠近にもかかわらず、
わたしたち人類よりも二、三倍もあり、
聴覚ですら超音波の周波数でのキャッチと同様。
鳥とはいえ比較にならない
飛翔力を有するきみらの維持する高度は、
二〇〇〇bから三〇〇〇b、
海抜五四〇〇bのヒマラヤ山脈の峠でさえ、
速度九〇`前後で滑るがごとくに天下るという。
きみらは、一年、三六五日、変わることなく
同じ繁殖地と越冬地のあいだを往復し、
夏と冬のねぐらをも誤ることなく把握する。
きみらの頼りとするのは、
人工的な計器ではなく、太陽と星座というが……
わたしが一途に眼を輝かせ注目するのは、
きみらの群れをなし飛行している間の行動だ。
そら、また見えた、先頭を行く一羽が、
二番手と交替して最後尾に移動するのが、
二番手もやがて三番手にと次々に座を譲るはず。
2004.11.28
久しく「飛翔する雁の群れ」を見たことがありませんが、作者の居住する地域では今でも見られるのかもしれませんね。最終連は私も「一途に眼を輝かせ注目する」詩句です。「次々に座を譲る」雁の「群れをなし飛行している間の行動」は、私たち人間に何かを暗示しているようにも思います。
今号では11月23日に北九州市で講演なさった「わたしたちの知らない情報操作」の講演録も載せられていました。盗聴法が実施されている現在を南京大虐殺に絡めて論述し、アメリカの平和運動家ノーム・チョムスキー著『メディア・コントロール』を紹介しながらの講演だったようです。ファルージャ攻撃が続いている現在、まことにタイムリーな講演だったのだろうと思いました。
○文芸評論誌『中国文学評論』29号 |
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2004.11.25 |
北九州市八幡西区 |
中国文学評論社・秋吉久紀夫氏
発行 |
非売品 |
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チャイダム
チャンヤオ
昌耀(中国)
滄海は無くなった。
錦海老も海蟹も
どちらも太古の水の輝きに連れて消滅し、
いちめんの塩湖と
数株の荒れ草とを留めているばかりだっのに………
いまとなって、この消え失せてしまった
海洋がすでに復活している。
わたしは眼にする、
鋼鉄が青空の下で古代神話の太陽の昇る所にあるという
扶桑樹の竜の牙みたいな枝を築き上げているのを、
濃縮した海水が身を隠した鯨の頭から
幾筋もの噴水を吹き上げているのを。
わたしは眼にする、希望の幻の船が、
いまやこの浮動する波影の中で帆を揚げているのを………
1963・3・7初稿
(2000年7月青海人民出版社刊「昌耀詩文総集」56頁)
秋吉久紀夫訳
「わたしは眼にする、希望の幻の船が」とありますから「消え失せてしまった/海洋がすでに復活している」のは幻視なのでしょうか。「1963・3・7初稿」ですが「2000年7月」の刊行だと現在の中国を書いているのかもしれません。
今号では8月26日に博多で講演なさった「シルクロード・詩と詩人」の講演録が載っていました。新疆ウイグル自治区の詩人を中心に講演したもので、古代から現代までの代表的な詩人と作品が紹介されています。広大なシルクロードを背景にした文学は、私たち日本人には無いもので、今後の詩作の参考になりました。
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