きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.12.5(日)
奥野祐子さんのライヴを聴きに「四谷コタン」に行ってきました。10月末に秦野市の「アリキアの街」でライヴをお願いしてからほぼ1ヵ月。それほど時間が経っているわけではありませんけど、ずいぶん懐かしい感じがしましたね。「アキリアの街」では、奥野さんのあとに田川紀久雄さん・坂井のぶこさんのライヴをお願いしまして、そんなこんなでずいぶん昔の気分になったのかもしれません。我ながら面白い感覚だなと思いました。
ちょっとピントが甘くてごめんなさい。ストロボ・フラッシュ禁止なんで暗がりで撮ったのですが、どうも上手くいかなくて、1回だけストロボで撮った写真です(コタンさん、ごめん!)。 私の好きな「smile」はやっぱり良かったのですが、それ以外にも収穫がありました。何度か聴いている「ポテトチップス」「Alcholic Woman」が新鮮に聴こえましたね。聴き慣れたせいもあるのでしょうけど、いつもより歌い方に迫力があったようです。この2曲はCDに無いので、いつか録音してもらいたいものです。 |
○詩誌『1/2』18号 | ||||
2004.12.10 | ||||
東京都中央区 | ||||
近野十志夫氏 発行 | ||||
400円 | ||||
雲中飛行
―再び獅子吼高原にて― 呉屋比呂志
三日日の三本目のフライトの時
それはふいにやって来た
三回目の立ち上げトライでやっとテイクオフ
高原沿いにターンを繰り返し
グライダーを流すうちに
機体のまわりに薄雲が流れはじめ
機はぐんぐん上ってゆく
下に眼をやると
テイクオフした人工芝
高原の円形レストラン
何面もある広々としたテニスコート
右手に鶴来の市街と
遠くにかすんでいる日本海
右にターンを切って北北東へ向うと
雲は更に濃くなる
昇降計(バリオメーター)は六九九メートルを指している
これ以上上るとまずい
雲の吸い込みだ!
バリオはピッピッピッと短い断続音を放ち
パラグライダーは上昇を続ける
正面に黒い雲黒っぽいガス
黒い雲団に背を向けて再び海の方向へ
機を向けたが上昇は止まらず
機は雲底を漂い
あたりは真白―これが雲の中というものか
ホワイトアウト
布と紐でできた飛ぶ道具
自転車並の速度
一九八六年に出現した現代科学の産物
―私はトレッキングの服装・スタイルでハーネスに腰をおろし
全身を風にさらしている
ホワイトアウトの恐怖を方角確認で振り払い
雲に吸い込まれた愉悦を同時に味わう
「そこの青いグライダー! すぐに雲から出て下さい。雲中飛
行禁止です」
下からの呼び掛けは妙に生温かい
戸惑いを落着きに変えて深呼吸
兎に角落着くことだ
背筋を伸ばし両の手を
翼端折りラインに掛けて引くと
両翼端は折れ曲って機はゆるりゆるりと
下りはじめた
翼形は急降下する猛禽類に似ている
雲からの離脱に安堵して地上を見る
手取川の流れ 広い河原
高度二五〇メートルで翼端折りを解放して
通常グライドに戻し
ランディング場へ向かう
三六〇度旋回を二度入れて高度を落とすと
いよいよランディングだ
地表が近づく 脚を出す
動かない一点 草地を見定めて足下一メートルで
フルブレーク
軽ろやかに足を着いたつもりだが
膝がガクッとなり転ぶ
それでも
芝草は私を抱き止めて包んでくれる
疲れがひどかったのだ
高原で三日遊び
三日日の三本日 三十分ばかりのエアータイム
初めての幸運…
確かにぼくは雲底に辿り着いたのだ
山中でじっと時を待って晴れるのを待つガスと違って
空中でのそれはほんの数秒でも
危険極りない代物だと知らされた
フライヤーは風を読み雲を視る
経験豊かな仲間がぼくに忠告をくれた
この作品を一緒に考えられる人は少ないのではないかと思い、あえて紹介してみました。私は1970年代にハンググライダーを始めて、しばらく中断したあとに1989年からパラグライダーを始めました。「一九八六年に出現した現代科学の産物」はフランスでのことで、日本に入ったのは1987年頃ではないかと思います。1989年に日本ハンググライディング連盟のパイロット技能検定試験に合格し、No.2532を取得しました。ま、5年ほど飛んでリタイアしましたから自慢にもなりませんがね(^^;
時代が違うなと思ったのは「翼端折り」が出来るようになったことです。私がリタイアするかしないかという頃、そんなことが出来るのではないかと仲間うちでは囁かれていました。今では普通のことになったようですね。「雲中飛行禁止」は今も昔も同じです。「雲底に辿り着」く「幸運」は確かにあります。そこまで到達するのが目標でした。到達して下降流に叩かれて、潰されて、翼端をパンッとはたいて態勢を立て直すというのが醍醐味でしたけど、いま考えると恐ろしい(^^;
作品を詩的に読まなくてごめんなさい。つい、昔話にひとりで興じてしまいました。そんなことを思い出させてくれたのがこの作品の魅力です。そういう意味では判る人には判るということで、普遍性という面では難があるのかもしれませんが、日本で一人二人しか判らない作品があってもいいのではないかと思います。不遜かな(^^;
○記念誌『関西詩人協会十周年記念誌』 | ||||
2004.11.14 | ||||
大阪府交野市 | ||||
事務局・金堀則夫氏方 関西詩人協会 発行 | ||||
2000円+税 | ||||
ラグビーさながら
球を
後へ
後へ
送りながら
前へ
前へ
突進せよ
杉山平一
関西詩人協会も10年なんですね。関東人の私は当然のことながら協会のイベントには一度も参加したことはないのですが、なぜか親しみを感じています。最近、会報や自選詩集を送ってもらっていることもありますが、関西の知合いの詩人がほとんど会員であるからかもしれません。まずはご出版をお祝いいたします。
紹介した作品は扉詩で、発足から現在まで代表をなさっている杉山さんの直筆と機関車の動輪の絵が描かれていました。代表になった次の年に阪神・淡路大震災が起き、神戸新聞に載せた「一月十七日 暁闇」という詩はあまりにも有名ですが、この扉詩も好いですね。詩人の詩人たる由縁を的確に捉えている作品だと思います。
1号から34号までの会報も合本されていて、年表もあって、貴重な資料だと思います。杉山代表の巻頭言は「次の五年十年に向って、友よ、詩の世界を輝かせよう」という言葉で締め括られていましたが、関東の片田舎から今後もご発展するよう祈念しています。
○詩マガジン『PO』115号 | ||||
2004.11.20 | ||||
大阪市北区 | ||||
竹林館 発行 | ||||
840円 | ||||
天国行き 地獄行き 与那嶺千枝子
目をつぶれば
太平洋戦争が見えてくる
東南アジアの
ジャングルのなか
兵士たちがつかの間の休息をとっている
祖国へ帰ったら坊さんになるという兵士
僕が死んだら念仏しでくれよな
ああいいよ 地獄行きがいいか 天国行きがいいか
天国に決まっているじゃないか
天国では 君 友だちに会えないぞ
一つの世界の空に
いくつもの空
イラク アフガン シリア イスラエル
の虚空 海 砂漠 山 河
力が漲っている大木があるのか
たんぽぽが生えている大地はあるのか
ひまわりはどこに咲いているのか
今も空の奥の奥では
彼らは生を削っている
地鉄行きがいいか
天国行きがいいか
今日も彼らの声が聞こえてくる
「天国では 君 友だちに会えないぞ」というのは、戦争で人を殺した友達はみんな地獄にいる、というブラックユーモアかもしれません。それは「太平洋戦争」だけのことではなく、今でも「イラク アフガン シリア イスラエル」で続く話なんですね。「一つの世界の空に/いくつもの空」があり、それは「虚空」なんだとするところは、空を切り取る真空の壁が見えるようで、見事なフレーズだと思います。読者に「今日も彼らの声が聞こえてくる」、優れた詩篇と思います。
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