きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.7(火)

 休暇を取って、会社の付属病院(健康管理センター)で大腸ポリーブの検査を受けて来ました。結果はOK! 医者の言うことを聞かないで2年ほど放っておいたので、内心ビクビクとしていたのですが、こうなったらこっちのもの、ガンガン酒も呑むし仕事もするゾ(^^;
 それにしても鎮静剤って気持いいですね。麻酔の一種なんでしょうが頭が朦朧として、しばし夢の中。検査の結果なんかどうでもいいから、この状態をしばらく楽しませてくれ、と思いました。で、看護師さんが「どう? 大丈夫? 検査の結果を聞きに行ける?」と聞いてきたので「しばらく放っておいてくれ!」と頼んで、ベッドの中。スーッと眼が覚めるまで楽しんでいました。下剤を飲むのは辛いけど、これだったら毎年やってもいいかなと思った一日でした。



隔月刊詩誌ONL75号
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2004.9.30
高知県中村市
山本 衞氏 発行
350円
 

    おい    山本 衞

   老い とは
   追い か はたまた
   生い なのか

   老いつき老い超し老い払う?
   追いつき追い越し追い払う?
   生いつき生い超し負い払う?

   戯れに文字と遊んでみるが
   どちみち
   ことばは文字にしない方がいいのかも
   知れない

   老いた相手に
   おい とよびかけても
   色よい返事なんぞは
   望むべくもない

   尊敬する先輩老人の晩年は
   連れ添いに一日中
   おい おい 声かけていたが
   ババさんはきまって
   あい あい と応えてなんとも
   仲睦まじかった

   老いの身には
   生い とよびかけて
   愛と 応えてもらうのが
   いちばんいいようだ

   おい おい お−い
   あい あい あ−い

 「尊敬する先輩老人」の「仲睦まじかった」様子がなんとも微笑ましくて佳いですね。「ババさん」が一枚上手なのか、「おい おい 声かけ」られても苦にならない性分だったのかは判りませんが、「老いの身」になったらそうなりたいものです。
 私事ですが、最近、デジタルカメラやオーディオを更新して、家人と娘に「なんで急に?」と問い詰められて、「老いに備えているんだ!」と応えて失笑を買いました。自分でも言ってからハッとしたのですけど、意外と老いについて真剣に考えているのかもしれません。そんなこともあって、妙に印象に残った作品です。



隔月刊詩誌ONL76号
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2004.11.30
高知県中村市
山本 衞氏 発行
350円
 

    もしも・・・    文月奈津

   人は
   なぜ
   彼方ばかりに憧れるのだろう

   あるのだろうか
   海の向こう
   山の向こうには
   幸せが
   楽園が

   それは空飛ぶ鳥
   海ゆく
   魚に聞けばわかる

   でも
   教えてはくれないだろうな
   鳥も
   魚も
   本当のことは

   だって
   そうでしょう
   もしも人間にそのことが知れたら
   たちまち
   そこは
   汚れてしまう
   ごみの山になってしまうかも
   知れないから

 「鳥も/魚も/本当のことは」「教えてはくれないだろうな」、「もしも人間にそのことが知れたら」「ごみの山になってしまうかも/知れないから」という、同じ人間としては何とも面目のない話です。でもきっとその通りになってしまうでしょうね。
 「空飛ぶ鳥/海ゆく/魚に聞けばわかる」というのが新しい視点だと思いましたが、「本当のことは」「教えてはくれない」というフレーズになるともっと新しいと云えましょう。新しさはともかく、考えさせられる作品です。



詩誌『そんじゅり』32号
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2004.12.31
横浜市磯子区
春井昌子氏 発行
非売品
 

    秘すれば花?    天彦五男

   頭の回転ばかりか
   腰の回転も悪くなった
   その上 指の回転もままならなくなり
   首も回らなくなった
   借金はないが 義理があるらしい

   ハンマー投げは当然としてもパチンコもダメ
   できることは <見る> ことだけだ
   見ることも目が疲れてイラ・イラする
   テレビを見ながらコックリ・コックリ
   どうも食べられないのが原因と
   無理やりに食すると吐いたりねむくなったり
   朝・昼・夕の食事をする為生きているようだ

   年を重ねる体を締めつけるものはすべてノー
   幸いにネクタイを締めないですんでいる
   葬儀場の少し前で締めて
   葬儀場から少しはずれると取ってしまう
   ただ生きて馬齢を重ねて古稀が目標
   七十才ではコキ・コキしている現役が多いらしい
   やはり餌がすべてを決するようだ
   目前のゴール古稀は遠くて近いのか
   近くて遠いのか 男と女の仲みたいだ

   秘所を見る為に劇場に通うことにした
   いつも覗き眼鏡を忘れるので良く見えない
   穴場だと思ったのにあなにやし
   花屋の前を通ると花が呼んでいる
   花いっぱい運動をしている訳ではないのに
   両手に花を抱えて帰宅する
   色気は十二分にあるのだが頭が反目しあって
   当初の目的から遠ざかってしまった

   グリーン・フィンガーは両手に
   サロメの首とヨハネの首を持って
   どの植木鉢に埋めようか迷っている

 「サロメの首」も「ヨハネの首」も「秘すれば花?」という詩なのですが、身につまされる思いをしないで楽しめばよい作品ではないかと思っています。「借金はないが 義理があるらしい」、「朝・昼・夕の食事をする為生きているようだ」、「近くて遠いのか 男と女の仲みたいだ」などのフレーズはそのままでも面白くて、どこかで使ってみたいものです。こういうフレーズを書いたら一流ですね。
 身につまされる思いはするなと自分に言っても「無理やりに食すると吐いたりねむくなったり」するというのは私にもあって、ここは考え込んでしまいます。先輩に倣って「秘所を見る為に劇場に通うことにし」て、「七十才ではコキ・コキしている現役」になりたいものです。そんなことを感じた作品です。



個人誌Moderato22号
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2004.11.25
和歌山県和歌山市
出発社・岡崎 葉氏 発行
年間購読料1000円
 

    南の島    いちかわ かずみ

   彼は最後まで私たちを見送って
   くれたのだろうか
   この村を訪れた日本人は何人いるのだろう

   トゥガナン村を案内してくれた少年は
   多分この家の稼ぎ頭だ
   タブルイカットの布をしきりに
   私に薦めた
   交渉が成立すると
   バリコーヒーを入れて
   モンキーバナナも出してきた
   バナナは裏庭に生えている
   旅人が来るたびに出されるのだろうが
   何本出してもきっとなくならない
   次は竹に絵物語を細工した民芸品
   「ほら、こんな風にするんだよ」
   そう言っているようだった
   根気の要る細かい手作業だ
   気が遠くなる

   長居は無用だ
   早くここを出よう
   いくらあっても足りない
   大阪商人のような少年だ
   トゥガナンはバリ島先住民族が暮らす村
   ガイドブックにはそう書いてある
   だが、入村料を払えば中に入れる
   観光地と変わらない

   彼の話す片言の英語は
   わかったり、わからなかったり
   彼と二人で写真を撮った
   こうして彼は何回も
   カメラに向かって微笑んできた
   旅人が日本人でもそうでなくても
   商品を購入してもしなくても
   トゥガナンを訪れる者たちがいる限り

 「南の島」と「大阪商人のような少年」の組合せが面白いのですが、現実はそんなものなんでしょうね。「バリ島先住民族が暮らす村」だからと言っても「入村料を払えば中に入れる/観光地と変わらない」のは当然かもしれません。今は19世紀ではなく21世紀ですから先住民だって経済に左右されるのでしょう。そんなことを改めて教えてくれた作品です。




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