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「モンガラ
カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.12.8(水)
昨日一日休んだだけなのに、仕事がドッサリ溜まっていました。まあ、毎度のことですけどね。Eメールを片付けて、書類を片付けて、残業までやって頑張ったけど、終りませんでした(^^;
明日という日もあるさ、、、たぶん。イランの諺にもあるじゃないですか明日できることは今日するな≠チて。で、帰りました。それだけの一日です(^^;
○小川英晴氏著『POESY』 |
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2004.12.24 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
2800円+税 |
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秋がシーンと あいよしけんいち(小2)
ぼくたちが なくと
うるさくて
すこしも いいことないのに
虫たちが なくと
秋が シーンと
きれいになる
『詩と思想』、日本詩人クラブ編の『現代詩の50年』『日本の詩100年』などに書いた詩論をまとめたものですが、タイトルの「POESY」に注目する必要があると思います。詩∴ネ前に存在する「POESY」。著者はさかんに「生命記憶」という言葉を使いますが、もちろん「POESY」と無縁ではありません。異色の詩論集と云えましょう。いや、詩論のみならず音楽論、絵画論、芸術論でもあります。それらの根底としての「POESY」を深い洞察で書いています。詩を含めた芸術に携わる人には必読の書と思います。
紹介した作品は「少年詩の魅力」という詩論の中に収められていました。この詩を評して「 この眼差しのすなおさは、あと数年すればなくなってしまうかも知れない。そこに思考の力が介入してしまうからだ。情緒をおさえてしまってはいけない。このことがのちにすなおな感受性を殺してしまう一因にもなる」とも書いています。人間の持っている素晴らしさとその限界、限界の原因にまで踏み込んだ言葉です。並の詩論集ではお目にかかれない言葉ではないでしょうか。
そんな眼から鱗が落ちるような文章に出会います。小川英晴詩の解明のためにも必要な書でしょうが、それ以上に詩とは何か≠知りたい人にお薦めの一書です。
○小川英晴氏詩集『いのちひかる日』 |
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2004.11.30 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
2000円+税 |
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序詩
いのちは尽きてゆくものなのですね
そして最後にたましいが残る
きょうも死んだばかりのたましいが
たとえようのない美しさで夕ぐれの空を彩りました
あなたはそうして夕ぐれとなり
大空を色あざやかに染めかえては
この世での傷ついた心を
ひっそりと癒していったのです
あなたは空の高みから見慣れたはずの街並を見わたし
それからなつかしい風景に別れを告げると
ついには虹のようにはかなく
この地上から旅立っていったのです
詩集の扉に、
―― かつて私の妻であった
いまは亡き環に捧げる ――
と、ありました。亡くなった環夫人への鎮魂詩集ですが、透明感のある詩句で被われていました。紹介した作品は文字通りの「序詩」ですけど、透明感の一端を読み取っていただけると思います。「あなたはそうして夕ぐれとなり/大空を色あざやかに染めかえては/この世での傷ついた心を/ひっそりと癒していったのです」というフレーズは胸にこたえるものがありました。「そして最後にたましいが残る」というのは愛した人を亡くした者の実感だろうと思います。環夫人のご冥福をお祈りいたします。
○詩誌『木偶』59号 |
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2004.12.5 |
東京都小金井市 |
増田幸太郎氏方・木偶の会
発行 |
400円 |
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蝉が死んでいる 増田幸太郎
こんな出会いもある
なんと
樹木から離れて
突然 迷うように飛来して
余力をうしなったのか
沈黙のまま腹を空に向けている
たくましさを秘めたその容姿
鋭い二つの眼は黒曜石のように
永遠に光を受け入れ
前方を見つめたまま息絶えている
わたしは掌に乗せて
きみに今を問うている
偶然にも
ここを選んだのだろうか
おおらかに吠え続けた声が見える
五センチにも満たないヴイオリンで
かくも
巨大な弦楽を幹に摸して発していたのに
空は光に満ち
きみの声は槍のように
広大な空をかき回していた
だが
もう動こうともしない
逃げようともしない
鳴動した声は
わたしの夏を支配していたのに
みじかいのか
ながいのか
蝉のいのちよ
機関銃の砲身のように
下半身は白く焼けただれ
化石みたいに骸は残されていた
木汁を吸いながら
無心に羽を震わせ
戦車のように勇敢な姿態を
きみの体に重ねている
渾身の声で命を叫んだ亡骸
果敢に生きたきみのいさぎよい一期
わたしはおもわず敬礼する
夏が急いで駆け抜けて行くとき
きみの声は
わたしの視界から消えていた
きみは
夏の暑さを演出していた
この不可思議な生き方に驚いている
きみは夏の番人だ
真昼の星のように
沈黙を世界に知らせ
暑い夏の日々を支えていた
「蝉が死んでいる」状態を表現した作品ですが、蝉をよく観察し、上手い比喩を使っているなと思います。「五センチにも満たないヴイオリン」「機関銃の砲身のように」「戦車のように勇敢な姿態」などは戦争を体験しないと出てこないものかもしれませんね。「きみは/夏の暑さを演出していた」「きみは夏の番人だ」も的を射ており、今は冬ですけど、この夏の異常な暑さを思い出してしまいました。
○詩誌『ふーが』31号 |
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2004.12.1 |
滋賀県彦根市 |
ふーがの会・宇田良子氏
発行 |
非売品 |
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白い言葉 山本みち子
浅間山が中程度の爆発をして
東京地方にも火山灰を降らせたと報じられた朝
ゆうべから戸外へ迷い出ていった猫は
足うらに白い砂をつけてもどってきた
二階の窓をあけると
ベランダの屋根にも白いものがうっすらと積もり
その中に
梅の花模様の足あとがほつほつと しかも二匹ぶんの……
音もなく降る灰の中で
やさしい鳴き声を交わしあっていたのは おまえたち
熱い地球の思いを ほんの少しだけ吐き出した火の山は
恋を語る猫のうえにもやさしく降りて
いったい何を伝えたかったのだろう
初秋の陽がゆれる縁さきで
ていねいに毛繕いをした描が立ち去ったあとにも
白い言葉は残って
「浅間山が中程度の爆発をし」たのは記憶に新しいのですが、「足うらに白い砂をつけてもどってきた」「猫」を見る眼が優しいですね。「音もなく降る灰の中で/やさしい鳴き声を交わしあっていたのは おまえたち」というフレーズに特にそれを感じるのですけど、「火山灰」を「白い言葉」と捉えているところは秀逸だと思います。火山の爆発と「恋を語る猫」という二つの自然を見事に結びつけた秀作だと思いました。
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