きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.9(木)

 朝から近くの関連会社に行っていました。業務委託している製品に不具合があって、良否を判断しようというものです。製造課の検査担当者2名を連れて、タクシーで15分で行って、仕事そのものは2時間ほどで終りましたが、行って良かったと思っています。思いもしないところに予期しない欠陥があって、危うく知らずに出荷してしまうところでした。製造課の検査担当者も素直に見逃しを認めてくれましたから、連れて行ったのも正解だったと思っています。

 最終製品としては2万巻ほどになりますけど、全数を再検査しないと出荷の許可は出せません。全数検査を関連会社に委託して、検査費用は製造課に負担してもらうことにしました。検査費用は、私が強く出れば関連会社では請求しないかもしれませんが、私としてはそんなことは出来ないので、最初から支払うと伝えました。製造課に支払わせる自信もあったし、何より下請け法に引っかかるかもしれませんからね。おそらく10万円程度でしょうが、そんな金で取調べを受けるようなハメにはなりたくありません。

 製造課と関連会社の調整などが私の仕事の一分野です。他人がやった仕事の尻拭いをするという嫌な立場です。でも、それが私の仕事。それでメシを食っていると思えば納得するしかありませんけど、そんな事態に陥らないようにするのも、実は仕事なんです。出来てしまったものを処理するより出来ないようにすることが理想なんですが、なかなか…。ま、精進しましょう。



月刊詩誌『現代詩図鑑』第2巻12号
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2004.12.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

    寒くなって詩が書きたくなり    渋谷美代子(しぶや みよこ)

   うそうそと青い
   秋も終りの空を眺めていると
   二十年余も音沙汰なし、の
   友だちの話が ふいに浮かんだ

   少し年下の
   友だちは看護婦(当時の呼び方で失礼を)で
   担当の患者さんが死ぬと
   その場で化粧をしてあげるのだが

   ――口紅だけは自分のを使うの
     うん、毎日わたしが使ってるので

   と 言ったのだ

   ――そのあと この口にも塗ル
     ぎゅっ、と

   同性の死者には
   だれでもそんな風にしていた(いる)のか
   彼女だけの 何か
   ヒミツの儀式、だったのか

   二人の子供を連れ
   離婚して間もない頃の話で
   もう 顔だっておぼろなのだが
   (トツゼン、とびこんで来るのが常だった)
   友だちが あの日
   ずいぶんと濃い紅を引いていた
   ことはたしかだ

 男の私には「紅を引」くこと自体の感覚が判らないのですが、女性でも「ヒミツの儀式、だったのか」と思うのでしょうね。気味が悪いといえばそうなのですけど、でも何となくその行為の意味するところが判るようにも思います。「同性の死者」が鍵かもしれません。「友だちが あの日/ずいぶんと濃い紅を引いていた/ことはたしかだ」という最終連のフレーズにも鍵がありそうです。「寒くなって詩が書きたくな」ったということはよく判ります。おそらくそこから発生した詩ではないかと思いました。



季刊詩誌GAIA10号
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2004.12.1
大阪府豊中市
上杉輝子氏方・ガイア発行所
500円
 

    おさなご
    幼児二題    熊畑 学

   スーパーのポリ袋
   一枚
   路肩で
   風が入って丸くなる。
   風に吹かれて
   大通りの交差点
   見えない手に引かれ
   信号が変わったら
   スキップ踏んで渡っていった。
   夏の日。

       *

   爽やかな風と
   母子が乗ってきて
   私の隣りに坐った。
   二才半ぐらいか。
   私の横に
   ちょこんと坐ったら
   私を見上げ
   女の子はニッコリ笑った。

   辛い仕事の気苦労で
   疲れていた私の気分が
   パッと明るくなった。
   窓外に広がる朝の琵琶湖
   穏やかな秋の一日
(ひとひ)

 「スーパーのポリ袋」がいつの間にか「スキップ踏んで渡ってい」く「幼児」になる、という最初の連は印象的ですね。2連目の「爽やかな風と/母子が乗ってきて」というフレーズもまさに「爽やか」です。作者は絵も描いているようですが、さすがに絵画的だなと思いました。「夏の日」「秋の一日」と押えているところも効果的と云えましょう。肩の力を抜いた詩で、好感を持った作品です。



高橋玖未子氏詩集アイロニー・縫う
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2004.12.5
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2300円+税
 

    アイロニー

   曇り空の下 女は布団を干した
   夕ベ眠れない男を招き入れてしまったから
   眠れない男の胸底を知っていたから
   その夜 体温は二人分の密度で上昇し
   既につぶれている綿の細部にまでとけ込んだので
   一枚しかない布団は干すより他すべがなかった
   日の目を見ない醜い情念は
   早くその身から解き放してやりたかった

   曇り空の下 布団は終日風に吹かれた
   湿った表層ははぎ取られ 外側から固まって行く
   内部では縮こまった綿がまだ生ぬるく熱を帯びていたが
   女は気づかずにいそいそと布団を取り込んだ
   これで行き場のない悔恨は飛んで行ったに違いないと
   けれど布団は 実は湿ったまま
   干された事実だけで気だるいアイロニーのままなのだ

   夕闇の中 点灯していく家々の内部で
   ひっそりと拡げられていく無数の布団
   今夜もどこかで
   絡みついた情念を解きほぐす儀式があるだろうか
   その時 無数の男と女が闇雲に足掻き合った後
   這いだした世界の向こう側に
   新たな決意で立ち上がるための浄化の海はあるのだろうか
   矛盾に満ち制御できない感情の渦の中
   翻弄されるのはいつも放り出された女の方

   白々と夜が明ける頃
   事の顛末を一気に物語った女の顔が
   見る見る女性に戻り始める

 詩集のタイトルポエムのひとつです。詩集タイトルにふたつの作品名を遣うことは面白い発想ですが、このHPでは一作に限っているので、残念ながら「縫う」は割愛。作品としてはどちらも佳い出来だと思いますけど、詩集全体の性格を示すという意味では、やはり「アイロニー」かな、とも思っています。
 日常の中の「気だるいアイロニー」が見事に表現されていると云えましょう。「行き場のない悔恨」に満ちた「無数の男と女」の「足掻き」は詩になるようで、実はちゃんと表現しようとするとなかなか難しいものだと思います。そこをきちんと押えている作品です。「女の顔が/見る見る女性に戻り始める」という最終連も上手いと思いました。



津坂治男氏詩集『天命』
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2004.11.30
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2200円+税
 


   〈ぼくの方程式 2〉

    天 命  (y=x
3

   もがいてばかりいた感じだったのに
   こんなに高くまで上がってしまった
   宇宙ねらう雲雀のように?
   思い切り投げられた礫のように
   (神の手で?遺伝子の推進力で?)

   途中で遭った爆風も 悲憤の渦も 疾うになめされて
   在るのは一筋の地物線 幅も厚みもなく ただきらきらと
   始原の胎内から伸びる心のへその緒
   人生七十 たどり着いたのは やっと原点(0,0)
   尋常に酒でも飲んで うたた寝でもと思った途端
   ふわっと浮き上がった 魂が
   何かに手繰り寄せられるように
   負ばかりの第3象限から
   プラスとプラスの第1象限を
   やっと翔ぶ、生きることを許されて
   座標A(1,1)からB(2,8)……へと向かう上昇曲線のなか
   行く手は父祖のいる仮想過去界?
   蜘蛛の糸で何処まで釣り上げられる?
   マイナス掛け合わせて正、いや生のエネルギー得ていた
   前世がなつかしいと 軌跡をそっくり言葉に巻いて
   反芻しながら 身を託すだけ
   ――これも 天命。

  「洒債尋常行処有、人生七十古来稀」(杜甫)
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 詩集のタイトルポエムですが、HPで正確に表現するのは大変です。何とか近い形になったと思いますけど、原文を忠実に再現していないことをお詫びします。
 詩に図が添付されるというのも珍しいのですが、「y=x3」というのは面白いですね。「人生七十」にして「原点(0,0)」へ「たどり着」き、そこから「ふわっと浮き上がっ」て、「負ばかりの第3象限から/プラスとプラスの第1象限」の「上昇曲線のなか」にあるというのは、新しい発見ではないでしょうか。この三次方程式はいろいろな場面で遣えると思います。
 こんな具合に発想が豊かで、肩の凝らない作品が多い詩集です。しかし人間として抑えるところはきちんと抑えた作品も多いのです。楽しみながらも人間って何だろうなと考えさせられた詩集です。




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